ガールズ・ゴーン・ワイルド:ジプシー・バン・クロニクル - パート1
10代の娘にはじめて車の鍵を渡す父親のように、JTは心配げにジプシーの鍵を手渡した。ジプシーは私たち一家の新入りの、2010年型メルセデス・ベンツ・スプリンターの白いバン。私はそっと鍵をつかむと、フェンシングの突きのように勢いよく大型バンの運転席に飛び乗った。仲の良い友人ゾーイ・ハートはすでに助手席に乗り、シートベルトもしている。かわいそうなジョナサンのために興奮を隠そうとしているようだ。
編集者記:パタゴニアのアンバサダー、ブリッタニー・グリフィスが、2部構成のレポートの第1部を送ってくれました。ブリッタニーと、同じくパタゴニアのクライミング・アンバサダーである彼女の夫、ジョナサン・セセンガ(JT)がお届けする今後のレポートもお楽しみに。
「いいか、スピードを出しすぎないように。携帯メールや飲酒は禁物。休憩エリアやトラック・ストップみたいなヤバそうな場所でビバークするなよ」 JTは厳しく忠告した。「バンになにか不具合が起きたらまず電話をくれ。自分で直そうなんて思うんじゃないぞ」
私はJTを気の毒に思った。ジプシーにとってはじめての遠出のロードトリップなのに、家に残ってブラック・ダイヤモンドの仕事を片付けなければならないのだ。彼はこの2か月間毎晩かけて、空っぽのパネルのバンから超豪華なロードトリップのマシーンへとジプシーを変身させた。ジプシーにはリサイクル・デニムの断熱材、ストーブ、流し台、冷蔵庫、クイーンサイズのベッド、ベンチ、折りたたみ式テーブル、キャビネット、戸棚、天上扇風機、ヒーター、コルクの壁板、竹とペーパーストーンのカウンター、内外LED灯が据え付けられている。ジプシーはすごい代物なのだ。
私は窓から身を乗り出してジョナサンにお別れのキスをすると、私道から午後の道路へ車をバックで出した。「やった~!!」 私たちは叫び声を上げてクラクションを鳴らし、気落ちしたジョナサンを置き去りにしてガールズ・ゴーン・ワイルド:ジプシー・バンのロードトリップに出発した。
これはお決まりの「女性の結束力の強化」でも、「女性パートナーとの方がうまく登れる」、「私のクライミングの問題はすべて男性の責任だ…」といったような泣き言の物語でもない。私は自分のパートナーの性別なんてどうでもいい。落ちたとき壁に激突しないように上手にビレイしてくれて、私よりたくさんの荷物を運んでくれさえすればいいのだ。
ゾーイはフィアンセのマキシム・タージョンとシャモニ在住。ガイドとしてアルプス中で働いている(だから私よりたくさんの荷物を運べること間違いなし)。数年前にオマーンのジェベル・ミシュットで登って以来、一緒にクライミングの冒険をしていなかったのだけれど、ちょうどお互いのスケジュールが噛み合ったので、どこかへロードトリップしようとメールでアイデアを出しあった。クロアチア?スロベニア?最終的には、私が大西洋を渡って東ヨーロッパの小雨に濡れた石灰岩を登るより、ゾーイがアメリカへ飛んできて、ジプシー・バンで昔ながらのアメリカ式ロードトリップをしようということになったのだ。
私たちの最初の目的地はザイオン国立公園。そして370メートルの「ムーンライト・バットレス」の念願のフリー登攀。ゾーイは世界的なアルピニストだけれど、この数か月間、山のなかでガイドとして暮らしていたので、5.12のフィンガークラックを登るのに十分なトレーニングをしていない。それでも彼女にはやる気と熱意があった。異常な寒さで、フリー登攀する時間は1日に数時間しか取れなかったものの、私たちは3日間絶えず登り、ユマールし、懸垂下降して、5.12dの核心ピッチ以外はすべてノーフォールで登った。
「レッドポイントしたかったら2日間は休んだ方がいいと思う。よろこんでビレイするから」とゾーイは言った。日が短いので1日で2人が全部のルートをフリー登攀する時間がないことは承知のうえでの、無私無欲の彼女の申し出だった。私は考えた。こんなオファーは2度とないだろうし、リードで全ピッチを1日で登る自信もあった。ゾーイの申し出はまたとないチャンスだったけれど、これは「私たち」のロードトリップで、「私たち」が一緒に登るための時間だ。彼女のためだけのものでもなく、他の人を犠牲にして私が何かをするためのものでもない。ゾーイは私が大好きなパートナーの1人であり、彼女がここにいるのはクライミングのため。ビレイするためではない。
「気にしないで」 私はジプシーをザイオンの出口に導きながら、バックミラーに小さくなるムーンライトを見て言った。「さあ、インディアン・クリークに行くわよ!」