パタゴニアのクライミング・アンバサダーのケイト・ラザフォードとマイキー・シェーファーがフィッツロイに「ワシントン・ルート」を開拓
埃の雲のなかにいた。パンツは汚れ、手はパタゴニアに生える何かの植物のトゲにさされている。疲れた筋肉のせいで、険しい砂利によってわずかに滑った足を正すことができず、そこに座り込んでしまったのだ。5日目、フィッツロイから下山している最中のことだった。立ち上がり、ズキズキする指から点のようにあふれる血を拭った。こいつらのトゲは毒があるにちがいない。私はある歌を聞いていた。「すり切れた糸のようなジプシーの魂……彼の心には野性の陰が……カウボーイハットをかぶっていた……」 それらは私のなかにも存在していた。帽子の種類はちがっていても。
そのあとバスに乗ってからも糸のことを考えつづけ、私のジプシーの魂の糸はすり切れているのだろうかと考えていた。私はいたたまれないほど疲れていた。興奮して、骨の髄まで疲れていた。けれどもその感覚を楽しんでもいた。疲労はそれが本当に起こったことだと教えてくれる、私たちの新しいルートがくれた唯一のお土産だ。そうした糸がどれほどすり切れているかを感じると、思わず微笑んでしまう。バスに乗り込みながらピンク色に輝く夜明けのセロ・フィッツロイを眺めた。私たちの新ルートは左のスカイラインだ。それははるか彼方に見えた。
編集者記:パタゴニアのクライミング・アンバサダー、ケイト・ラザフォードとマイキー・シェーファーからのレポートをお届けします。彼らはフィッツロイに新ルートを開拓し、それを「ワシントン・ルート」と名付けました。パタゴニアから戻ったばかりで、写真のキャプションもないほどです。詳細はケイトの個人ウェブサイトとマイキーのブログをお読みください。レポートのつづきと登攀からの写真は下記からご覧ください。
2日前の夜、マイキー・シェーファーと私はフィッツロイの頂上で凍えながらビバークしていた。私たちが「ワシントン・ルート」と名付けたルートを登り終えたとき、頂上は暗くなっていた。夜通しの懸垂下降はできなくはなかったけれど、あまりにも最悪なことのように思えた。私のレイン・ジャケットよりも薄いビビーサックで夜通し凍えるほうがマシだと思えるほどに・・・。ハイテクなウェアも寝袋もテントも持っていたには違いなかったけれど、より軽く早く登るために下に置いてきてしまっていた。私たちは自分自身を温める人体の信じられないような能力に頼ることにしたのだ。その効果はたしかに大だった。けれども、愉快な方法だったとはいえない。
ピッチ数をはじめとしたこのルートの詳細を思い出そうとしたけれど、必死のクライミングで忘れてしまったみたいだ。覚えているのは簡単な場所にたどり着くまでに私が登った400メートルの垂直のクラック・システムだけ。2日目、優れたアルパイン技術をもつマイキーは、フィッツロイの山頂まで4分の1のところにあるそのルートの取り付きまでをリードした。雪のなかに足を深く埋めながら氷河を渡り、滝のように流れるラ・ブレチャのミックス・クライミング、ラ・シジャのブルーアイスをトラバースし(鈍いクランポンと小さな予備ツールだけで、登攀全体で最も恐ろしい場面だった)、険しい山の平らだけれども小さく傾いたスロットで眠り、ついに取り付きに到達した。そしてこのとき私たちは新しい「ライト&スロー」登攀のトレンドについて話しはじめた。お勧めできる方法ではあるけれど、寝袋だけは持っていく価値がある。
私の思考はまたバスに戻る。今日は野性的な面がバスと一緒に走っているようだ。窓の外のフェンスには銀色に輝く6本の光の柱が見える。光の糸はバスに遅れまいと一緒に走っているかのようだ。ここに私の人生の裸の糸がある。フェンスのワイヤーに日光が反射し、南アルゼンチンの平原を背景にした、捩じれた棒のフェンスが、フィッツロイの新ルートという巨大な達成感にコントラストを与えている。こんな小さな瞬間が好きだ。バスが角を曲るとまた山の頂が見える。これまでよりもずっと大きく。この稀な好天で、頂は太陽に照らされている。
「ワシントン・ルート」をライト&ファストで登攀したかった。けれども登るのが遅いのか、またはコンディションが遅くさせたのか、あるいはより早く登るには怖く、疲れすぎていただけなのか・・・。いずれにせよフィッツロイの岩のセクションの登攀をはじめたのは2日目の朝で、岩峰のシンハンドにつづくドッグレッグ・クラックの氷を砕いたあと、少なくとも12ピッチの完璧なクラックを登った。多くがスプリッターのワイドなクラックとランアウトで、氷が張ったチムニーもあった。そのあとの50ものハンドジャムにつづき、微妙なフェイス・クライミング、そこからさらにチョックストーンを超えるハンドジャム、そして壮大なるボムベイ・チムニーの思いがけないフェイス・ホールドを掴んだ。最後は頭がおかしくなりそうな状態で、午後の黄金色の光のなか、ようやく簡単なセクションが現れた。私はリードをアルピニストに任せた。
マイキーは山の弱点をついて登っていった。黄金色の光は美しかったけれど、同時に暗闇が迫っているという不吉な通告だった。風は肌を突き刺し、私たちがまたクランポンをはくころには、山頂近くの雪原には夕闇が迫ってきていた。東側の眼下はるか彼方にはオレンジの宝石のように輝くエル・チャルテンが映った。西の空には氷冠のエッジがピンクに映し出され、霧氷に覆われたボルダーのあいだを登るころには星が現れはじめた。
山頂はもう暗かったので、私たちは休息を取った。たくさんの人が懸垂下降をする緊迫した音が聞こえた。1時間かけて山頂ボルダーのすぐ下で風から避難できそうな小さな場所を探した。ホット・ウォーターボトルとブーツに入れた携帯カイロのおかげで眠ることができた。ビビーサックの下に隠れてチーズとサラミを食べた。
翌朝、その夜の凍えたビバークに対するご褒美はピンクの朝焼けだった。セロ・トーレや氷冠や砂漠を見下ろしながらそこにいること、そして一夜を、このジプシーのための家にいられることがしあわせだった。いまついに貴重な眺めを楽しむことができたのだ。
ルートの詳細:
ワシントン・ルート(VI, 5.10, A1):「カリフォルニア・ルート」から数百メートル東に位置するフィッツロイ主峰の南壁。ラ・ブレチャのあとラ・シジャをトラバースし、「カリフォルニア・ルート」の基部にてビバークしたあと、雪面の上から60メートル下の、ドッグレッグ・スプリッターの基部まで懸垂下降した。ここが取り付き。明らかな左向きのコーナー・システムを10ピッチ登り、いちばん最初の右に分岐するシステムを登攀。傾斜のきつい登攀を2ピッチ、そしてガレた5.8を90メートル登ったあと、山頂まで同時登攀した。
ギアラック:
ストッパー:1セット
カム:4番までを2セット