四国遍路の旅:歩いて、歩いて、歩いて

四国遍路の旅:歩いて、歩いて、歩いて

2011/08/15 2011年8月15日

足摺岬

今日はたしか7月24日。曜日の感覚はもはや無く、「なでしこジャパン」がワールドカップ優勝を飾ったことだけがなんとか情報として耳に入ってくる程度だ。台風の過ぎ去った四国の道には木々がなぎ倒されていて歩きにくいが、風が涼しさを運んでくれるため、体は疲れているものの問題ない。ちょっとだけ生乾きの服が匂うくらい。あと3キロで旅が終わると、いままで導いてくれた遍路用の案内看板に告げられながら、山に囲まれた田んぼのなかにある民家の脇を歩く。一歩一歩がいとおしい。終わらせたい。でも終わらせたくない。

[ 足摺岬辺の道は遠い。けれども空も海も青い ]

———————–
編集注記:私たちの社員の多くが語るべき興味深いストーリーをもっています。けれども四国一周、およそ1,200キロメートルにわたる四国遍路を歩きとおした社員はそういません。足掛け4年、5回に分けて四国八十八箇所を巡拝し、この夏ゴールしたパタゴニア 横浜スタッフの近藤達也が、その経験を語ってくれました。
———————–

浜辺
[ 高知の静かな浜辺を歩かせてもらいました ]

四国遍路
四国遍路とは「四国一周にわたり88箇所の寺院を巡る修行」といったら分かりやすいだろうか。このことはほとんどの人が知っているだろう。ただ実際に歩いた人は、周囲の友人のなかにはいない。しかし春や秋ともなると、じつは多くのお遍路さんが四国を歩きまわり、それを人びとはひとつの風景として見届けている。バスツアー、車、自転車、歩き。野宿か、はたまた宿をとるか。形は問わず、思いもそれぞれ。遍路の歴史は1,000年以上だが、その間、道順はほぼそのままであり、さまざまな身分や年齢の人たちが数知れず、ときには死を覚悟しながら踏みしめた時代もあった。そして、ただの宗教や文化や歴史というものだけでは片付けられない深みをもったものに形を変えて、現代にいたっている。

四国一周、およそ1,200キロメートルにわたる88箇所の寺を巡る四国遍路を足掛け4年間、5回に分けて歩いた。1,200キロという途方もない距離を歩けるのだろうかという不安を抱えながらも、これから何が起ってしまうのだろうというワクワクした気持ちに後押しされ、はじめての四国遍路は正月に訪れた。たくさんのことがあった。突然の雪山越えの野宿では寒くて眠れず、室戸岬では暴風雨で前が見えなかった。海岸でフナムシやゴキブリに囲まれた野宿もあれば、目が覚めると暴走族の集会の真っただ中にいたこともあった。さすがに世の無常を感じさせられる。梅雨時期の四万十川ではトラックにオーバーヘッドの泥水を何度となく浴びせられ、四国の梅雨の激しさに慄き、その夜の数え切れないホタルに感動した。話し出せば止まらない。いろいろな季節を歩いたのでさまざまな自然現象にも遭遇した。熱中症にもなった。記録的な台風にも直撃された。髭も凍りつき、野犬やヘビとも戦った。この歳にして何度も泣いた。そして、穏やかな、いかにも夏休みらしい入道雲を見つめながら、晴れ晴れとゴールさせていただきました。

四国遍路の旅のなか、たくさんのことがあった。そのなかで自分に最も大きな糧となったのは、「歩くことから得たこと」である。もちろん歩くこと自体、健康にいいかもしれない。ただそんな単純なことではないと思う。人間は生き物として、元来歩くことを移動の手段としてきた。そんな当たり前のことは現代ではどこかで消滅してしまい、冷静に考えてみると自分の足で歩いて目的地まで行くことはほとんどない。誰に聞いてもきっとほとんどないだろう。通勤は電車や車、もしくは自転車。アクティビティはもちろん、ちょっとそこまでコンビニに行くのも車。新たな移動手段は未知なる物に近づく方法としてさまざまなチャンスを与えてくれるが、もしかしたら別の何かを失ってしまっていたのではないか。そんなことを考えさせられたのが四国遍路だった。

テント
[ ああやっと晴れた。高知 ]

歩くこと:物がいらない、欲ばれない
重い荷物によって、歩き方はもちろん、精神的にもうつむきがちになる。この先何が起るか不安だが、もちろん荷物は増やせない。けれども旅をくり返すにつれて、本当に必要なものはごくわずかであり、それまで多くの必要ないものまで背負って歩いていたことが分かってくる。よく考えてみると実生活でも。もしかしたら使うかも、ないとなんだか不安だからといって、部屋は多くの物であふれ、物にスペースだけでなく時間や自分の方向性までも縛られていることに気づいた。アレモホシイコレモホシイという欲が少し小さくなり、なぜか心がとても軽くなりました。最後にゴールするときは、ついには25リットルくらいのリュックひとつとなったがこれだけで十分。心も体もちょうどいい。

歩くこと:1日30キロメートルしか歩けない
人間の足だけでは意外と遠くまで行けないんです。毎日となるとがんばっても30キロメートル。人によってかもしれないが、これが生物の限界かもしれない。でも、30キロ圏内で十分生きていけるのではないだろうか。土地にもよるが、広大な場所でなければ生活は事足りるようにできているはずなのに、僕たちは遠くの物をたくさん使っている。遠くの物が本当にそんなにたくさん必要だろうか…。考えてしまう。

歩くこと:頭のなかで判断可能なスピード、そしてポジティブ・シンキング
歩きでの旅のいちばんの醍醐味は「ゆっくりとしたスピード」。通り過ぎるものを見たり、考えたり、立ち止まったり。きっと人にとっては考えたり理解したりするのにちょうど良いスピードなのだと思う。自動車、バイク、自転車での旅と異なり、遠くの観光地まで行けなくても、足元の菜の花やカニやおばちゃんの笑顔で十分感動できます。そして、毎日12時間以上歩きつづけるということは、12時間以上「考えごと」をしつづけることができるということ。不思議と思い出せなかったことや、いままで考えつかなかったことがひらめき、ポジティブな濃い時間を過ごすことができました。

歩くこと:人に優しく
野菜 体力的/精神的に厳しいときもたくさんありました。けれどもそんなときは必ず誰かが助けてくれました。四国にはもともと「お接待」というお遍路さんに優しくしてくれる文化が根強くよく残っていて、さらに歩くということが多くの人との出会いの機会を多くしてくれました。辛いとき無条件に助けられたことから得られたことほど大きな経験はありません。1つの飴玉、1杯のお茶からもらえる元気はすさまじい。優しさはまわりまわって自分に帰ってくるという考えを教えられ、「情けは人のためならず」を痛感したのもこの瞬間。自分の旅はまったく別のものになり、自分の幸せだけを願っても叶わないと信じるようになった。

[ 甘い野菜。農家の方からは決まって旬のものをいただきました。愛媛 ]

たくさん歩くことで内外ともにシンプルにしてもらえました。そして、ちょっとだけ大人になりました…そう次からは胸を張って言えるように、これからは普段の生活での修行のはじまりです。

寺
[ 88箇所目のお寺。終わりではなく、これからの始まりを感じました。香川 写真:近藤 達也 ]