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何て散らかり方なんだ:プラスチックによる公害の前に存在していた世界を思い出そう

何て散らかり方なんだ:プラスチックによる公害の前に存在していた世界を思い出そう

By ジェリー・ロペス    |   2012/01/30 2012年1月30日

ジェリー・ロペス

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僕はG-LANDというインドネシアのサーフスポットで多くの時間を過ごした。そこはジャワの南東、アラスプルオ国立公園の端に位置し、かなり人里離れた場所にある。実際はインドネシアのカモメが飛ぶなかを、いちばん近くの村からわずか15キロの場所だが、その地形と生息する動植物を考えると100万キロくらいはなれているような感覚を受けた。この地域の住民はといえばジャワトラ、イノシシの群れ、インドネシアの野生の水牛、コモドドラゴン、わんさといる毒蛇…。サーフボード数枚だけのプロテクションを頼りに、僕はいったい何をやっているのだろうとよく思ったものだ。

パタゴニアのサーフィン・アンバサダー、ジェリー・ロペスが使い捨てプラスチックのなかった時代の暮らしについてのストーリーを投稿してくれました。滅多におめにかかれないG-LANDの初期の写真をお楽しみいただき、そして〈Plastic Pollution Coalition〉に参加するとともに、使い捨てのプラスチックを毎日拒否してください。

[写真上:こんな波があったら一日中サーフィンするしかない。1970年代後半か80年代初期のG-LANDのジェリー・ロペス。写真:Don King]

1970年代中頃から後半のころ、僕たちは竹で作られたいくつかの家と料理用小屋から成る仮キャンプの設営を許された。人の気配のまったくないビーチ―——それは僕たちがよく通った唯一のエリアだったが——―は絶対的に原始のままだった。当時唯一の容器だったグラスのボトルに入った飲料水を持ち込み、ジャングルにトイレ用の穴を掘り、ゴミは燃やした。モンスーンがサーフィンのシーズンに終わりをもたらすとそこをはなれた。

翌年そこに戻ると、まるでそこに訪れるのは僕たちがはじめてかのようだった。一度、海岸線の岩だらけの場所の片隅でゴムスリッパの山を見つけたことがあるが、ボートの一部と思われる流木や先端を切り落とした巨大なチーク材の丸太以外、人間の手にかかったと思われる物はなかった。廃材は集めてキャンプで活用した。スリッパは満潮になるのを待ちきれないとき、露出した岩礁を歩くのに便利だった。バリではパッケージを梱包するのに、テープの代わりにココナツの葉やツタなどで代用していたのを思い出す。G-LANDのキャンプでの自然の機能性とシンプルさは、僕をなるべく足跡を残さない生活へと方向づけた。

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[G-LANDのサーフキャンプの初期。鉄棒で逆さになっているマイク・ボヤム、女の子の横にしゃがむスパーク・ロングリー、クーラーの上に横たわってリック・ソードにロルフィングを受ける僕。背景にいるのは日本人サーファーのヤスノリ・カカイ。写真:Dick Hoole]

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[ジャングルでは存在の基盤はサーフボード。僕たちは愛と献身をもってそれを取りあつかった。弟のビクターとボードを比較する僕。写真:Don King]

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[夕食は深刻な問題だった。食べ物があるときは食べ、ないときはお腹をすかしていた。でも波がつねにご馳走だった。写真:Don King]

僕たちはこの後も3シーズン、シンプルなサーフキャンプの生活を楽しんだ。けれどもある年、水がグラスではなく、プラスチックのボトルに入ってきた。バリ側のバニュワンギとギリマヌクの町では、フェリーを待つ乗客に売るスナックがバナナリーフではなく、プラスチックバッグに包まれているのに気づいた。漁業の町であるグラジャガンでは、海岸線にプラスチックのゴミが散らばっているのを見た。漁業船は僕たちを湾のいちばん遠くに下ろしてくれた。最初、僕たちのサーフキャンプはそれまで通りまったく人の気配はなかったが、あとになってブレイクまでパドルアウトするためにビーチのさらに先を歩いたとき、満潮の海は「flotsam」と「jetsam」で渦巻いていた。僕たちは恥ずかしくて顔を伏せた。海用語で「flotsam」は難破船の漂流物のことをいい、「jetsam」は荷を軽くするために放棄された物をいう。このロビンソン・クルーソーのようなビーチにはそういったものが漂流してくるのがあたりまえのようにも思えるが、僕たちが発見したのはそのどちらでもない。それらはたんなるゴミ。そのほとんどすべてが、何らかのパッケージに使われたプラスチックだった。透明だろうが色付だろうが、それらは過去のあるシーズンに見つけたゴムスリッパよりもはるかに汚く、歓迎しがたいものに見えた。キャンプのヘルパーにこれらのゴミの収集と焼却を手伝ってもらえないかと頼んだとき、僕たちの気が完全に狂っているかのように、彼らは僕たちを見つめた。

G-LANDの素晴らしい波は変わらず、僕たちはその後も20年間、そこでのサーフィンを楽しんだ。他とは比較しようのないサーフィンのパラダイスだった。そして絶対なる原始の、完璧に自然な場所が、いかに早く汚染されていくのか、僕を開眼させてくれた。プラスチックは僕たちすべての人間にとっての問題だ。プラスチックは製造、使用、破棄のすべての過程で毒性汚染物を生む。リサイクルは解決策ではない。なぜなら人類がこれまで製造したすべてのプラスチックは――それらがたとえ小さな破片になったとしても――いまも存在するからだ。〈Plastic Pollution Coalition〉に参加して、この疫病について学んでほしい。まだ遅過ぎることはないかもしれない。

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[一日中サーフィンしたあと、空腹で喉が渇いて疲れていた僕たちにとって、キャンプはすべてを忘れてリラックスできるオアシスだった。写真:Don King]

 

ジェリー・ロペスは、高く評価されているサーフィン著作家ドリュー・カンピオンとともに、肥大する使い捨てプラスチックの問題に焦点を与えるための〈Plastic Pollution Coalition〉のミッションに一役買っています。以下はドリューの回顧録とこの運動に参加する呼びかけです。

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親愛なる友人たちへ

プラスチックがなかったころの生活を覚えているかい? プラスチックの袋やボトルやその以外の何千もの物が、いまでは僕らのまわりで見慣れたさまざまな形や色に変わっていき、僕らの現代社会を定義し、散らかすようになる前のことを。

1960年代、オアフのビーチを風向きに、プカシェルやおもしろそうな流木、色のついたグラスや白い珊瑚の破片なんかを探して満潮ラインを歩いたときのことを覚えている。いまその同じ場所にあるのは、プラスチックのゴミに縁取られたビーチだ。

ジェリー・ロペスが語ってくれた過去と現在の様子を読んで、やり方が変わってしまったその転換期について、皆の独自のストーリーを語ってほしい。昔がどうだったかを想像することによって、外にでてしまった魔物をビンのなかに戻すための認識とエネルギーを高めてほしい。

僕たちは皆の独自の過去と現在の物語を集めている。プラスチックのなかったころの世界と、何か大きな変化が起こったということに気づいたときのことを語ってほしい。長くても、もちろん短くてもいい。それが真実であれば。
1. 投稿先:story@plasticpollutioncoalition.org
2. 使い捨てプラスチックを拒否する誓約をしよう
3. Plastic Pollution Coalitionに参加しよう

ありがとう!
〈Plastic Pollution Coalition〉の支援者、ドリュー・カンピオン

 

この〈Plastic Pollution Coalition〉のビデオでは、パタゴニアのサーフィン・アンバサダー、クリスキースのマロイ兄弟が、良い波を求めて世界中を旅する過程で目撃したことについて語っています。
 [ビデオ:Plastic Gets There First (先に到着するのはプラスチック)]

またパタゴニアのサーフィン・アンバサダー、メアリー・オズボーンも、以前〈5 Gyres Institute〉で南大西洋旋回のプラスチック公害を勉強したことについて語ってくれました。

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[「悲しいことに、これまで私が幸運にも訪れることのできた場所、インドネシア、セーシェル、メキシコ、フランス、コスタリカ、グアテマラ、ヨーロッパ、パナマ、モルディブ、そして故郷のベンチュラ郡など、すべてのビーチで、プラスチック公害を目にしてきました」 南大西洋のどこか深くにいるメアリー・オズボーン。〈5 Gyres Institutes〉をご支援ください。写真:Jody Lemmon]

 

これは私たち全人類が毎日取り組まねばならない課題です。〈Plastic Pollution Coalition〉のクリエイティブ・ディレクター、ダイアナ・コーエンがその努力に着手するためのアイデアを提案しています。「私たちはこの問題を解決できるのです。使い捨てのプラスチックを毎日拒否してください。ご自身の布製の買い物袋と再利用できる水ボトルだけでも、とにかく毎日携帯してください」
〈Plastic Pollution Coalition〉のメンバーになり、その努力を支援しましょう。メンバーにはオーガニックコットン製のトートバッグが贈られます。FacebookTwitterはこちらから。

[写真を提供しれくれたDon KingとDick Hooleに感謝します]

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