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キャシャール南ピラー5日目

花谷 泰広  /  2013年2月22日  /  読み終えるまで6分  /  クライミング

2012年キャシャール5日目4ピッチ目。この日一番の核心部を登る花谷。撮影:馬目弘仁

キャシャール南ピラー5日目

2012年キャシャール5日目4ピッチ目。この日一番の核心部を登る花谷。撮影:馬目弘仁

キャシャールに取り付いて5日目の朝を迎えた。今日も暖かい朝日が僕たちの凍えた体を弛緩させてくれる時間がやってきた。しかし気持ちまで緩むことはなかった。明るくなってあらためて、僕らが置かれている危うい状況がハッキリした。現実を目の当たりにして、言葉少なげに出発準備を整えていった。

出発前から悪い雪の部分はまかせてくれと豪語していた割には、厳しい現実を前に少し気後れしている自分がいた。ここで落ちることは絶対に許されない。腹をくくって1ピッチ目のトラバースに入る。動き出してすぐの氷にスクリューを1本決める。これが最初で最後のプロテクションとなった。あとは自分を信じるのみ。危ういヒマラヤ襞のリッジをひとつひとつ、ていねいに越えていく。たっぷり時間をかけて最初の50メートルをこなし、さらにうんざりするほど雪を掘って、少しでも安定した氷に何とかスクリューを決めてアンカーとした。

「そこから先に行けそう?」

ビレイを解いた馬目が聞いてきた。馬目とは3度目の海外遠征。国内でもよくロープを組んだ仲だ。その声の調子で、つまり何が言いたいのかは聞きかえすまでもない。言うまでもなく、ここが分岐点だ。つまりは引きかえすならここ。突っ込むなら、ここから先は頂上経由でなければ下降は不可能になるだろう。興奮した脳みそを冷やして、先の様子をあらためて観察した。これまで以上の傾斜の雪がつづいている。だがここから見たところで行けるかどうかなんて分からない。一方ではかならずここを突破できるという強い自信がみなぎっていた。根拠はなかったが、体のなかから沸き上がってくるこの気持ちに素直にしたがおうと決めた。

「大丈夫!」

そう覚悟を決めたあと、心のなかである誓いを立てた。

「いまこそ、あなたに鍛えてもらったすべてを出します」

12年前、当時大学生だった僕は、信州大学山岳会の登山隊でネパール・ヒマラヤのガネッシュヒマールⅡ峰(7111メートル)に挑んでいた。僕たちの先輩方が過去2度にわたってトライしたものの、頂上には達していなかった。それを阻んでいたいちばんの理由は、困難なミックス壁のクライミングではなく、延々とつづく雪の稜線のトラバースだった。3度目の挑戦となったこのときも決して順調とは言えなかったが、1か月ほど時間をかけていよいよ未知の領域へ足を踏み入れることになった。チームを引っ張っていたのが僕のヒマラヤの師匠と言うべき田辺治だった。彼はその計り知れない経験値を武器に、恐ろしげなヒマラヤ襞を何食わぬ顔で次々と越えていった。足元には3000メートル近い南壁の空間が広がっていた。そんな場所のトラバースをフォローするのは気持ちいいものではない。コールが聞こえたところでなかなか進む決心がつかず、体も硬直して思うように動かない。あまりの恐ろしさに完全にビビっていた。若くて経験の少ない僕は体力的には余裕があっても、心が追いつかなかった。結局最後は心が折れてしまい、頂上まで残り数百メートルを残して敗退した。苦い思い出となった。

思えばこのときがヒマラヤ襞を経験した最初の登山でもあった。その後の登山においても、このときの悪さが基準となった。田辺とは翌年のローツェ南壁の遠征を最後にしばらく行動をともにすることはなくなったが、あの悪い稜線を進む先輩の姿は目標となった。それからの8年間は良いことも悪いこともたくさんあったが、ガネッシュのときに打ちのめされた思い出は、やはりつねに自分を奮い立たせてくれる力になった。

2009年秋。田辺とは8年ぶりにチームを組むことになった。アルパインスタイルでのヒマラヤは彼にとってはじめてのことだった。当時48歳だったが、ヒマラヤへの情熱は変わることはなかった。このときはヒムルンヒマール(7126メートル)でプレ登山を行ったあと、ネムジュン(7139m)西壁に取り付いた。ベースを出て4日目、頂上へはヒマラヤ襞の稜線を残すのみとなった。田辺とロープを組んでいた僕は、「あのときを思い出しますね」と、思わず昔のことを口にしていた。だがあのときと違うのは、先頭に立つのは僕自身だとということだった。今回もガネッシュのような稜線ではあったが、今度は確実に自分の力でルートを伸ばせるようになっていた。西壁を初登攀して同ピークの第2登に成功した事実よりも、「花谷も成長したなあ・・・」という師匠の言葉を聞いた瞬間のほうがよほど誇らしく、そしてうれしかった。

キャシャール南ピラー5日目

2009年ネムジュン(7139m)頂上に向けてヒマラヤ襞の稜線を進む。クライミングする花谷とビレイする田辺(右下)撮影:大木信介

キャシャール南ピラー5日目

ネムジュン頂上付近の花谷。撮影:大木信介

強い気持ちで登ったキャシャール5日目、たった5ピッチのクライミングだった。だがこのときのクライミングは、12年前に目の当たりにした田辺の登り方そのものだったように思う。襞に切れ目を入れてロープを引っ掛けるのも、シャフトを深々と打ち込んで我慢強く登るのも、襞を乗り越えるタイミングもその方法も、田辺の登り方だった。12年前の苦い記憶も、いまとなってはこのときのためにあったのかとさえ思う。

いま、田辺はヒマラヤで眠っている。ネムジュンの翌年、ヒマラヤから突然の連絡が入った。ダウラギリで雪崩に飲まれたと。信じられぬ気持ちで3日後にはネパールにいた。だが懸命の捜索にもかかわらず、探し出してあげることができなかった。最初で最後の恩返しは、果たすことができなかった。もう少しがんばったら……その後悔の念はいまでも抱きつづけている。

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パタゴニアの新たなアルパインクライミング・アンバサダーとなった花谷泰広のスピーカーシリーズ「The Nima Line~ネパール・ヒマラヤ キャシャール (6770m) 南ピラー初登攀の記録~」を下記直営店でおこないます。ぜひお越しください。

3月24日(日) 19:30~ 名古屋ストア (要予約:定員40名)
3月28日(木) 19:30~ ゲートシティ大崎ストア (要予約:定員80名)
4月21日(日) 20:00~ 大阪ストア (要予約:定員40名)

お問い合わせ/ご予約は各ストアへ。 詳細はこちらへ。

キャシャール南ピラー5日目

2012年キャシャール4日目夕方。ヒマラヤ襞のリッジに入った直後。お手上げ!撮影:馬目弘仁

キャシャール南ピラー5日目

2012年キャシャール5日目の朝ビバーグポイントから先の現実を見る。撮影:花谷泰広

キャシャール南ピラー5日目

2012年キャシャール5日目 2ピッチ目をフォロー中の青木(左)と馬目。撮影:花谷泰広

キャシャール南ピラー5日目

2012年キャシャール6日目頂上直下の岩壁のフォロー準備をする花谷。背後のリッジが5日目に越えてきた部分。撮影:馬目弘仁

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