コンセルバシオン・パタゴニカによる37,500エーカーのエル・リンコンの寄付により、アルゼンチンのペリト・モレノ国立公園が拡張
5月の終わり、パタゴニアの友人であり同僚のダグとクリス・トンプキンスは、私たちの会社名の由来である37,500エーカーの野生の土地、エスタンシア・リンコンを〈コンセルバシオン・パタゴニカ〉からアルゼンチンの国立公園システムへ寄付すると発表しました。以前は羊牧場だったこの土地は、パタゴニアにおける最もヒマラヤ風の山、セロ・サン・ロレンゾの麓にあり、既存のペリト・モレノ国立公園は壮大に拡張されることとなります。
この新たな環境保護の勝利の物語は、イヴォン・シュイナードの長年のクライミング・パートナーだったダグがザ・ノース・フェイスを創業した1960年代にさかのぼります。ダグはノース・フェイスを1960年代後半に売却し、女性用衣類のブランドであるエスプリを創業、1980年代後半にはチリとアルゼンチンに個人基金による公園および保護地区を設立する資金を作るため、それを売却しました。映画『180° South』のファンの方は物語のこの部分をご存知でしょう。
けれどもこの映画に収録されていないことがあります。それはダグが過放牧された羊牧場を購入して修復しようと、小型セスナ機でチリとアルゼンチンを探しながら飛び回っていたのとちょうど同時期に、イヴォンがパタゴニア社のシニア・マネージャーを呼び、パタゴニアでミーティングを開いていたことです。それは私がパタゴニアの社員として働きはじめる前のことでしたが、イヴォンとダグと私はクライミング・パートナーで、私たちはイヴォンが当時CEOを努めていたクリスティン・マクディビットを含む社員とのミーティングを終えたとき合流しました。
私たちはセスナ機に乗り込んで北へと飛び、エスタンシア・リンコンの入り口の草原に着陸しました。ダグは牧場が売りに出ているかもしれないということを知っており、私たちも皆パタゴニアで最も主要な未登のアルパインの壁、サン・ロレンゾ山の東壁へのアプローチを取り囲むこの場所が特別なものであることを知りました。私たちは飛行機を固定し、3日間にわたってこの渓谷を探索して、ブナの木の下に座ってまる一日東壁を見つめて過ごしました。登攀できそうなラインはありましたが、それは威圧感にあふれていました。そして私たちは次の20年間、「もしかしたら今年こそ挑戦するときかもしれない」と互いに言いながらも、つねに翌年に回すべき何らかの理由を見つけて過ごすことになったのです。
でもダグはエスタンシア・リンコンを購入するチャンスを先延ばしにせず、帰宅後まもなく購入契約を結びました。けれども彼の頭にあった計画はそれだけではありませんでした。帰宅してからおよそ1週間後、彼は電話してきてこう言いました。「やあ、リック、僕がパタゴニアで会ったイヴォンの会社を経営するクリスという女の子を知ってる? 彼女とは友達だろ? 彼女はどんな人なんだい?」 その日、しばらくしてからクリスが電話してきました。「リック、あなたとダグはクライミング仲間で彼についてはよく知っているでしょう? 彼についてもっと教えてくれない?」
彼らはそのあと間もなく結婚し、パタゴニアはCEOを失いましたが、ダグは最愛の妻、そして環境保護のパートナーを得ました。クリスはダグと暮らすために南米に引っ越し、多くの人がカタログに掲載されたエッセイでご存知のパタゴニア国立公園を含む250万エーカー以上のチリとアルゼンチンにある土地を長年にわたって永久的に保護しました。そしていま、1991年にすべての始まりとなった最初の土地、エスタンシア・リンコンもまた永久的に保護されることになりました。前の世代のクライマーより度胸のある若い世代が東壁のラインに挑戦するのが待ち望まれます。
リック・リッジウェイはパタゴニアの環境イニシアティブ担当副社長で、6冊の本の著者。登山と探検への情熱は世界各地に彼を導き、1978年にはアメリカチームがはじめてK2を登頂した際のメンバーとして頂上に立つ。
エル・リンコンの歴史的な寄付と、そしてそれがペリト・モレノ国立公園をどう拡張するかについての詳細は〈コンセルバシオン・パタゴニカ〉をご覧ください。〈コンセルバシオン・パタゴニカ〉にはパタゴニア国立公園の実現を援助するボランティア・プログラムもあります。