山と旅とスノーボーディング
ぼくは山が大好きだ。また旅も大好きだ。そう、山旅こそ自分の人生観のなかでも非常に価値あるものとして認識してきたものだ。そして同時に、旅のお供にはスノーボードとこだわりつづけ、病めるときも健やかなるときも、割って歩き、曳き、背負い、登り、滑りつづけてきた。スノーボード・アンバサダーという立場ながら誤解を恐れずに言うと、ぼくにとってのスノーボーディングとは山旅を構成するかけがえのないひとつの手段であって、目的ではない。
今年の4月後半、ぼくはカナディアン・ロッキー第4の高峰、かつてピラミッドと言われたマウント・クレメンソー北壁の登攀/スノーボード滑降を大義名分にあげ、片道50キロメートル超のアップダウンの激しいアプローチを、半ば自虐的に楽しんでいた。3週間分の食料と燃料、そしてギアの入った40キロを超える110リットルのバックパックは肩に食い込み、ときには履いているスプリットボードをも担いてさらなる負荷をかけながら、歯を食いしばっていた。
樹海ともいうべき藪漕ぎ、数知れない渡渉、氷河湖縦断、アバランチパス、急な雪壁とトラバース、そしてグリズリーに怯える日々の幕営……。さまざまな逆境を極めたが、それでも情報が限りなく少ないなか、滑降はもとよりたどり着けるかどうかすらわからない壁を目指して歩を進めるという山行形態は冒険性が高く、旅としてボリュームのあるチャレンジだった。
北壁自体は1989年の冬に16日間のエアサポートなしの正攻法で登られており、高い評価を受けていたが、滑降に関しては2012年春にカナダのパーティがヘリで北壁基部のプラトーに下り立ち、速攻で北壁を登攀して、スキー滑降した。無論それを否定するつもりもないし、現代では称賛に値するタクティクスなのかもしれない。しかしぼくは考えた。そこには55度はあろうかという北壁をスキーで初滑降するという未知の冒険要素はあっても、旅の要素はほとんど無く、20年以上前の初登時よりもやすきに流れたやり方でアプローチすることに、何とも言えぬ違和感を覚えた。山行全体がスマート過ぎて、アンバランスに思えた。
山はアートだ。クライマーや滑り手が壁に課題を見出し、理想のラインを描くのは、芸術以外の何物でもないと信じている。そう、山においてみずからルールを設定しなければ、何でもありのカオスなのだと。
結局ぼくは問答無用で撤退という形になり、重荷に喘ぎ苦しんだ挙句ただ生還した印象というのが本音だ。滑ったのは北壁最下部のタイトすぎるツリーのなかの数百メートルだけ。しかし振りかえれば、何もさせてもらえなかったという圧倒的な結果ではなく、山への向き合い方をはじめとするプロセスにはある程度納得している。そのプロセスとは画一的に供与されるようなものでは決してない。たとえ北壁登攀に成功し、山頂から滑降することが出来たとしても、それはその濃厚なプロセスが終わったということにすぎない。
見た目の派手な成果より、山行全体のプロセスを意味のある行程で積み重ねていけば、豊かな体験として脳裏に刻み込まれるに違いない。山と旅とスノーボーディングはいつもぼくにそう教えてくれる。
加藤直之は現在アメリカでクライミング中。