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私たちがNo Nukes Go Renewableと言う理由:いまを見つめ、未来を選ぶ

私たちがNo Nukes Go Renewableと言う理由:いまを見つめ、未来を選ぶ

By 武藤 類子   |   2014/03/17 2014年3月17日

「・・・私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。・・・」

―「さようなら原発5万人集会」での武藤類子氏スピーチより

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いまを見つめる

東京電力福島第一原子力発電所事故から三年。しかし事故の収束は遠く、放射性物質は海へ空へ、大量に漏れ続けています。そんな中で、国や自治体は除染と帰還を進めており、避難区域の再編が行われました。

帰還困難区域、5年以上は帰れませんというところに指定された飯館村のある地区では、2013年夏、立ち入り禁止のゲート付近の地面が毎時103マイクロシーベルトと線量の高い状態でした。その隣り浪江町の、5年以内には除染をして帰りましょうという居住制限のある家は、地震後、家を片づけられないうちに避難を強いられました。そのままずっと帰れずに片づけがされることのなく、ベッドにはねずみのおしっこのしみがあり、においが充満しています。他の家でも豚がソファーで子どもを産んでいたり、牛が入った跡があったり、果たして5年経って帰れるのか。原発より20から30キロメートルの間のところにある川内村は、2012年いち早く「帰村宣言」をして、国の直轄の除染が入り、全員帰りましょうと宣言をしました。けれども地域を除染した後の放射性廃棄物がつめこまれた袋が何段にも積まれている景色が広がります。

直径1メートル高さ1.3メートルの大きな袋は1.5トンの土が入ります。放射能に汚染された木の枝、葉、削った土がつめこまれ、積み上げられ、まるで川が流れているように広がる青色のフレコンバッグ。そこは事故の前は、友だちの家へ行くのによく通った道で、川沿いの綺麗な田んぼが広がり、稲が青々と育ち、秋には黄金色にかわるとても美しい場所でした。耐用年数は青いもので5年、黒いもので3年です。田村市都路(みやこじ)地区は、20キロメートル圏内で最初に避難指示解除が決定となりましたが、除染で出たごみの仮置き場がいまだ毎時0.4マイクロシーベルトもあるこの地域に、2014年4月1日には人、そして学校も帰ろうということで、小学校、中学校が再開される予定です。家は避難地にあるにもかかわらず、元の学校にバスで通う子どもたちもいます。

国や自治体は積極的に帰還しましょうと推進していますが、実際に帰れるかどうかと安全であるかは別問題です。これまで田畑を耕し、食べ物を自給していた人たちが、食べ物を作ることができないかもしれない、インフラも整っていない、若い人たちは避難地で新たな生活をはじめている、家族がバラバラになっていく、高齢者だけでは暮らせない、そういう問題が山積みなのです。放射能に汚染されたゴミは、仮置き場がない場合は家に穴を掘って埋めるか、あるいは家の敷地に置いておくだけ。そのゴミを燃やして量を減らすための焼却場があちこちにできています。

環境省は、1キロあたり8000ベクレルを超える放射性廃棄物を燃やして減量化しようとして、県内に焼却施設をたくさんつくろうとしています。最初につくられた鮫川村では、村民が何もしらないうちに焼却施設の話がすすんでいました。住民がきづいたときには基礎もできており、一旦は止めたものの、環境省による反対住民の切り崩しで稼働がすすめられました。福島市や郡山市では放射性廃棄物の焼却施設がいままでの普通のごみ用の焼却場のなかにできています。限られた地域の人にしか説明会をもたないで、気がついたらできていたという状況があちこちで起きています。焼却という方法は、果たしてこれが妥当なのかも検証されないままに、8000ベクレル以下は全部通常のごみ用の焼却炉で燃やされている現状。鮫川村の焼却炉では、8000ベクレル超のものを扱うのですが、燃やした場合はフィルターを通しても外にでるものがあります。高濃度に放射性物質が濃縮された灰は、コンクリート固化して一時保管するというのですが、それがどれ程もつのでしょうか。何より鮫川村は水源地です。とても水の豊かなところにそれらが保管されていきます。環境影響評価を十分にしないままにいま大きな問題が積まれたままです。

健康被害についても懸念しています。県民健康管理調査の甲状腺検査では、18歳以下の子どものうち約26万人中74人に甲状腺ガンとガンの疑いが見つかっています。県の検討委員会では「被曝の影響とは考えにくい」としていますが、本当にそうなのか、疑念を抱いています。事故の真実を明らかにし、東電や国の責任をきちんと問い、被曝低減の具体的な政策など、被害者の救済は急務です。

ここでお話ししたのは福島の「いま」ですが、私たちが原発を選ぶならば、それは日本中の未来の「いま」となるでしょう。だから私たちは、原発をやめ、再生可能エネルギーを取り入れて、暮らしを見つめ直さなければならないのです。

未来を選ぶ

それぞれが「自分の頭で自分の未来を考える」ことが大切ですね。自分だったらどんな未来をつくりたいか、自分が世界を変えるとしたらどんな世界がつくりたいか、近くのだれかと話してみてください。

そして、私たちの生き方も変わらなければなりません。私たちはたくさんの恵みの中で暮らしてきました。いまこそ、環境に負荷をかけない暮らしを日本中みんなで考え、自分の生活の、いわばリーダーシップをしっかりと自分で取ることが必要なのだと思います。自分の家の電力消費量を知り、何に電気が多く使われているかを考えることからはじめ、それが本当に必要なものかを自分自身に問いかけてみます。自分の存在が自然の中の一部であることを自覚し、エネルギーを大切に使う工夫をしているうちに、工夫する生活が喜びとなってきます。自然エネルギーの開発も原発に依存しない社会を目指す鍵でしょうが、それだけで今の消費量を賄えるエネルギーを得るのは無理ではないでしょうか。今日までのようなエネルギーに対する考え方を改め、今までの生活を変えることがとても重要だと考えます。福島県は「脱原発宣言」をしました。2040年までに自然エネルギー100%を目指そうとしています。私にとっての脱原発は、暮らしを見直すということにほかなりません。原発を許す社会を形成した世代としての重い責任を担いながらも、新しい生活を構築し直さなければならないと思っています。

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Go Renewable -「再生可能エネルギーを活かして」2014
Patagonia says No Nukes Go Renewable

2011年の震災から3年が経った2014年、パタゴニアは「Patagonia Says No Nukes Go Renewable」のメッセージを掲げ、原発から再生可能エネルギーへの転換が必要であることを訴えます。そしてこれまでの3年を振り返り、原子力発電へのエネルギー依存や、再生可能エネルギーやコミュニティ電力の増加、また世界全体での原発依存度などを、数字で明確に認識し、これからの3年の私たちの行動に活かします。さらに今後どのようなエネルギーを私たちの基盤としていくのか、その選択権をもつ私たち自身を含めた皆様にチェックリスト(クリックしてPDFをダウンロードできます)を配布し、個人でしてきたこと/これからできることを確認していただきます。私たちの日々の選択でエネルギー消費を減らすことで、原発の再稼働および新建設の必要性をなくし、一方で再生可能エネルギー使用を推進することにより、環境や社会へのフットプリントが大きい原子力や化石燃料による発電を代替させることにつながるのです。

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