保たれた野生
50年間にわたり、寝ても覚めても、私の頭のなかには絶えずハヤブサやワシやタカがいた。私は彼らのそばで暮らす幸運に恵まれた。私はそのツメの力強さと拳のうえに停まる彼らの意外な重さを知っている。私はその羽の完全な複雑さを学び、甘く汚れのない息を嗅いできた。
アウトドアで多くの時間を過ごした人なら誰でも彼らには馴染みがあるだろう。小道を横切る黒いひとすじ、無限の空で舞う一点、脅かしてしまったカモの背後に広がる翼……。もしかしたら、車窓越しにフェンスの支柱のうえで凍りついた冷たい瞳と目を合わせた一瞬を経験したことがあるかもしれない。あとになってからではその色のパターンや体形を思い出せず、その目がアカケアシノスリか、オオタカか、コチョウゲンポウのものだったかを知るのもむずかしい。ガイド本は頼りにならない。だが猛禽類であったことだけは分かる。それは感じることができるからだ。
もちろん私たちはすべてのものと繋がっているが、猛禽類との繋がりは際立っている。人間の味方の三体制である犬、馬、猛禽類との関係は、本来人間の生存を支えた狩猟に起因する。古代のパートナーシップの名残は忠誠的な犬と力強い馬に見られるが、猛禽類だけはその野生を保ってきた。犬や馬は繁殖させる際に野生が取り除かれ、人間もそれを見捨ててしまったのだ。
文明のシンボルの多くがハヤブサやワシやタカであるのは偶然ではない。彼らのイメージはコイン、盾、彫刻、宝飾品などに刻まれている。ロジャー・トロイ・ピーターソンは彼の著書『Birds over America(アメリカの鳥)』のなかで、「人間は古代の影からハヤブサを手首に乗せて出現した。何千年も昔のアジアの草原での惨めなテントから、17世紀のヨーロッパの王国の大理石の大広間まで、その冷静な茶色の瞳はどの鳥よりも文明へ向かう闘争を目撃してきた」と書いている。
同じ瞳はいまも文明への闘争を目撃しつづけている。彼らは征服、発明、そして真実と美への人間の奮闘を観察する一方で、もうひとつの役割を担っている。今日の膨大な環境危機のなかで、猛禽類は私たちの良心でありガイドだ。彼らは混雑し、汚染した場所で暮らさないことを選択した。彼らは汚されていない景観で繁栄し、私たちが破壊を脅かしている世界でバランスを示してくれる。つまり彼らが危機に瀕するとき、私たちは危機に瀕しているのだ。
子供のころから私は崖の上で何日も過ごしながら、一目イヌワシやソウゲンハヤブサを見ようと待っていた。シロハヤブサやケアシノスリを探すため、白砂のビーチやニューイングランドの森を歩き、冬にはグレートプレーンズをさまよった。長年にわたり、多くの友人たちもこれらの探求へと連れていった。以来、彼らは科学者、哲学者、ビジョナリー、環境保護リーダーへと開花した。私たちの会話は多岐にわたったが、探していた猛禽類を見つけたときは皆静かだった。彼らの曲芸飛行と人間の力を超えた威厳あるしぐさに、何度言葉を失ったことだろう。
地球のいまだに野生の場所では、猛禽類は自信に満ち、くつろいでいる。彼らを追って、そこへ行ってみてほしい。そして観察してほしい。彼らは地球の静かな片隅へ、もしかしたら心のなかにある片隅へと私たちを連れ戻してくれるだろう。彼らは思い出させてくれるだろう。なぜそのような場所が大切なのかを。
ダン・オブライエンは猛禽類の生物学者として14年間働いてきた。鷹匠であり、〈ワイルド・アイデア・バッファロー・カンパニー〉の創始者であり、かつグレートプレーンズについての複数の本の著者でもある。