外で会おう
シカゴに住んでいたころ、僕はまるで明日はないかのように走っていた。日曜日は長距離、月曜日はその2倍を走る火曜日の準備、水曜日はその週のエンドルフィンのハイライトでイリノイ大学のサークルキャンパスのトラックを脚が悲鳴を上げるまで繰り返し走った。一緒にトレーニングしていた友達がウルトラマラソンについて教えてくれ、挑戦してみたいと思った。僕にとってはじめての50キロのトレイルランニングはケトル・モレイン記念日に行われた。車を避けたり、歩行者の間を縫って走る必要もなく、ゼッケンを付けた選手だけが互いを励まし合いながら松の香りのするシングルトラックを走った。
このスポーツにより一層関わるようになると、100マイルレースでは家族や友達がクルーやペーサーとして参加していることを知った。クルーはエイドステーションで新しいシューズやギアを持って待ち、ペーサーは大きな登りや夜間に一緒に走行し、日の出まで走りつづけるようサポートする。しかしほとんどのレースではランナーは孤独で、誤って角を曲がり、どんなサポートもない場所へ行くこともある。シエラネバダ山脈での50キロで迷ってしまったとき、僕を見つけてくれたユニークなランナーについて話そう。
春のコーンスノーに足を取られながら、僕は顔を汗だくにしてコースを示すリボンを探していた。ついさっき見たばかりなのに、どこにも見当たらない。どうやらコースを外れてしまったようだ。晩冬の積雪によりコース上に雪があると告げていたレースディレクターが正しかった。僕は巨大な雪の吹きたまりの横に立ち、そのまま前進すべきか戻るべきかを思案していた。
「やあ!」
振り返ると10歳は超えていないであろう痩せた子供がランニングシャツとショーツの姿で立っていた。「走っていたら木立の間から見えたから、大丈夫かどうか確認しようと思って。迷ったの?」と彼が尋ねた。
「ああ。君の名前は?」
「ジェームス。あなたは?」
「クレイグだ。ジェームス、残りを一緒に走らないかい?」
「うん、いいよ」
ジェームスは風に固まった雪の上をペンギンのように跳ねながら僕らをトレイルに導いた。まもなく僕らはピンクのリボンと僕らを貧弱に見せる巨大なセコイアの横にあるマイル指標を越えて進んだ。
「トレイルには思ったより近かったのに見つけられなかったんだ。見つけてもらってよかった」
「うん、そうだね」
彼は小さなときから父親と一緒に走りはじめ、大きくなるにつれて距離が増えていったそうだ。ジェームスは初めてマラソンを走ったとき、長距離ランニングは自分に向いていると思ったそうだ。走りながら自然の中でキャンプしたことやゲティースバーグへの家族旅行について語り、目についた鳥を名指した。彼は南西部にある故郷について、何度見ても飽きることのない夕日についてとうとうと語った。あの子の骨にはすでに多くの人生体験が積もり、心は外へ出て世界を見る方法を知っていた。
シエラのあの長いランニングでジェームスと僕は最後まで並んで走った。