#VidaPatagonia:モホン・ロホ西壁の新ルート「ブロックバスター」
大きな目標を持ってパタゴニアを訪れることは予測しなかったことを引き起こしかねない。
タデ・クリシェリと僕はセロ・トーレ東壁の三角雪田という、あまりよろしくない場所にいた。雪と雪煙、そして雪崩の最初の兆候に囲まれている。敗退は失敗よりも得るものが多く、数時間後、僕らは水滴がしたたるボルダーの下のビバーク地でぴったり寄り添い、予報では比較的よかった天気が雪に変わったことに驚いていた。パタゴニアの天気はその評判通りとなった。翌朝、僕らを温かく迎えてくれた朝日は濡れた装備を乾かし、失われたモチベーションを取り戻すのに完璧だった。好天は消えたのではなく、僕らの予想よりもゆっくりと訪れていることが明らかだった。そんな天気のなか、チャルテンに下山することは犯罪に等しく、僕らはニポニノで一日休憩し、バックアッププランに切り替えることにした。
モホン・ロホのピラミッド型の西壁は一見急峻に見えるが 、その岩は赤く、あまり魅力的ではない。しかし、どうしても壁の真ん中を貫く凹角に気づかざるを得ない。僕はなぜこのような顕著なラインが未登なのか、ずっと不思議に思ってきた。いまこそその理由を明らかにする完璧なタイミングで、これをさらに面白いものとする未知の要因は十分にあった。
僕らはニポニノを早朝に出発した。大気は冷たかったがモレーンを登っていくと身体が温まった。数時間のアプローチのあと、予測以上に壁の傾斜が強いなと思いながら無言のまま基部に立っていた。僕らの基準では岩のクオリティは悪くないが、それがあまりにも「ブロック」気味なのに驚いていた。僕はこれほどまでにブロックを積み重ねたようなルートを登ったことはなかった。そして興味深いことに、それらの積み重なったブロックは実際にはグラグラしておらずに安定していた。理解不能な、何らかの物理的な公式によって、それらのブロックはきちんと壁と繋がっていたのだった。
登攀自体はかなり真剣なもので、僕らの動きは遅々としていた。上にいけばいくほど、凹角を最後まで登り詰めることは賢明ではないことが明らかになっていった。僕らの技術と手持ちのギアでは、傾斜が強く、岩質がよくないワイドクラックを素早く突破するのは不可能に思えたのだった。
本能に従ってラインを繋いでいくと、素晴らしいスプリッタークラックの走るヘッドウォールへと続く、容易なセクションへと抜け出すことができた。ヘッドウォールは2年前にコリン・ヘイリーとサラ・ハートが登った「エル・ゾロ」というルートにつながっていた。頂上までの4ピッチはこのルートを辿る。僕らは彼らのルートの人工のセクションをフリーで登り、最後の陽光とともにトップアウトした。
下山は簡単だろうと思い込む典型的な過ちを犯した。簡単なセクションをクライムダウンした後、懸垂下降の際にロープをスタックさせてしまったのだ。「もう少し力を入れて引っ張ってみよう」戦術を用いた僕らは岩のブロックを落としてしまい、ロープを真ん中で切断してしまった。長い一日に疲れ果て、脱水状態だった僕らにはあまり気にならなかった。その先の下山にはロープが必要ないことを知っていたのだ。
ラグナ・スシアまで下山するガリーを暗闇のなかで見つけるのは決して簡単ではなく、僕らの精神状態ではとくにそうで、予定外のビバークを決めた。凍えながら5分ごとに時計をチェックして何時間も過ごした。朝になると、ガリーは容易に見つかり、チャルテンまで歩き、ドゥルセ・デ・レチェがたっぷり乗った焼きたてのパンを過量に摂取したのだった。
このルートを「ブロックバスター」と名付けることに決めた。全長700メートルのうち、550メートルが新ルート。難易度は6cを上回らなかったが、ほとんどトラッドギアのみでルート全部をオンサイトし、ギアを残置せずにクリーンで登った。おそらくこれがクラシックとなることはないだろうが、ちょっと違った何かを、少し「スパイシー」なルートを探しているクライマーにはちょうど良い選択肢かもしれない。
#VidaPatagoniaのトリップページでパタゴニアの2014年〜2015年シーズンの素晴らしい写真をご覧いただけます。