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〈レインフォレスト・リリーフ〉:パタゴニアのソーホー店社員がアマゾンの熱帯雨林を救うためにコニー・アイランドを登った理由

ヤシャ・ウォーリン  /  2016年1月14日  /  読み終えるまで5分  /  アクティビズム, コミュニティ, デザイン

1988年はヤンキースが24度目のワールドシリーズで全勝し、副大統領アル・ゴアが京都議定書に象徴的に調印し、スタンフォード大学の博士過程の学生2人がグーグルという小さな会社を設立した年。それはまたパタゴニアのソーホー店の前社員アーロン・ペッツとティール・アケレットが他の3人のアクティビストとともに、コニー・アイランドの75メートルのパラシュート・ジャンプタワーを登った年でもある。その目的は「ニューヨーク市の公園部署へ:ボードウォークとベンチのために熱帯雨林を殺すのを止めろ」と書いたバナーを掲げるためだった。それはブラジルの熱帯雨林を代弁するとても効果的な草の根キャンペーンとなった。

rainforest-relief-why-patagonia-soho-employees-scaled-coney-island-to-save-the-amazon_2編集者記:今日は20年におよぶパタゴニアとビッグアップルの関係を記念する本『Living & Breathing: 20 Years of Patagonia in New York City(暮らし、息づく:ニューヨーク市のパタゴニアの20年)』からの抜粋をお届けします。パタゴニアのニューヨークの4店舗で印刷本を入手するか、またはデジタル版をダウンロードしてください。

地元の新聞が「命知らずのスタント」と呼ぶ彼らの行動は、市内のベンチやボードウォークなどにアマゾンからの床材を採用する公園部門の提案に対する反応だった。ティム・キーティングが指揮する組織〈レインフォレスト・リリーフ〉は、貴重な生態系を搾取するのではなく、他の資材を採用すべきだと議論した。彼らはニューヨークと世界に何が起きているのか知らしめることを望んでいた。

蒸し暑い8月のある日の早朝、グループはカラビナ、ナイロンのスリング、38メートルの印象的なバナーを掲げるためのアセンダー2つとプーリーという小さなラックだけを装備に、歴史的な登攀をはじめた。通りすがりの人びととソーホー店の同僚エリザベス・ルイズ(105ページ参照)が見守り、ゆくゆくは警察が監視するなかを……。

〈レインフォレスト・リリーフ〉:パタゴニアのソーホー店社員がアマゾンの熱帯雨林を救うためにコニー・アイランドを登った理由
〈レインフォレスト・リリーフ〉:パタゴニアのソーホー店社員がアマゾンの熱帯雨林を救うためにコニー・アイランドを登った理由

アーロン・ペッツ提供の新聞記事。38メートルのバナーは、レインコートの端切れが余っていたパタゴニアのリノで縫われた。それはニューヨークへ送られ、一団はアッパー・ウエストサイドの屋上でこっそりとスローガンを書いた。

「僕はその瞬間のその仕事に集中していた。ヨセミテの花崗岩をリードするときのようにね」と現在カリフォルニア州カリストガの近くに住むペッツは電話で回想する。「朝日が昇り、遠くにマンハッタンのスカイラインをピンク色に映し出す空を、タワーの上の小さなプラットフォームから見渡したのを覚えている。その瞬間、後戻りできないことがわかった」

ブラジルで時間を過ごし、熱心なクライマーだったペッツにとって、この問題のために行動することは当然のことだった。

「20世紀後半の当時、これは重要な環境問題のひとつだった」と彼は回想する。「僕は一世代前に巨大な森林が伐採されたのを目撃した。ブラジルの親戚が暮らし、農業を営むパラニャ州の農場のためだった。生物多様性が失われてしまうのが心配だった。アマゾンの熱帯雨林は大量の温室効果ガス、二酸化炭素を吸収する惑星の肺なのだから」

数時間の混乱ののち、ついに辟易した警察が抗議者たちを追いかけた。小さな集団はやむなく、バナーを持っての下降を余儀なくされたが、彼らの達成したことは長期間影響をおよぼすことになった。公園部門は結局、代替え素材を探すことになったからだ。

〈レインフォレスト・リリーフ〉:パタゴニアのソーホー店社員がアマゾンの熱帯雨林を救うためにコニー・アイランドを登った理由

ニューヨーク市に送るために明るい黄色のバナーを裁断、縫製、巻き上げるパタゴニアのリノの配送センターの社員。Photo: Ron Hunter

「この行動が究極的に、市に方向転換させることを納得させたのだったら意義あることだった」とペッツは論じる。「それは成功だった。なぜなら僕らの目的すべてを達成したのだから。誰も怪我することなく、ニューヨークの人びとに伝えたかったメッセージは広く報道された」

その後、〈レインフォレスト・リリーフ〉のメンバーが裁判に持ち込まれたとき、処罰は軽いもので済んだ。それは判事が地域密接型農業の箱を取りに毎月パタゴニア店舗を訪れたとき、2人を見かけたことがあるという幸運な事実があったのかもしれない。あるいは行動せざるを得ない大義に突き動かされるということに、彼女が共感したのかもしれない。

さらなるストーリー、写真、アートワークなどは『Living & Breathing: 20 Years of Patagonia in New York City』をご覧ください。

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