石木川のほとりにて 13家族の物語
川原地区に暮らす人たちは笑顔を忘れず、日々暮らしている。
桜の咲く頃には地区住民が一同に集って花見を催し、敬老の日を祝い、全世帯が家族同様の付き合いのなかで生きている。
孫や子どもたちが遊ぶ姿に目を細め、冗談を言っては笑い合う姿は、どこにでもいる「普通の人たち」と変わらない。
「ダムがなければどんなにもっと暮らしば楽しめたか。それば思うと悔しか…」
常にダムのことを考えなければいけない住民の言葉はとても重い。
川原地区に暮らす人たちの思いは、とてもシンプルだ。
故郷に住み続け、いまある自然をこれから生まれてくる世代に残したい。
ただ、それだけのために石木ダムに反対にしている。
長崎県川棚町を流れる石木川は、マッターホルンのような姿の虚空蔵山から始まる。源流付近から川棚川に合流するまでの長さは約5~6キロメートルだが、森のなかの一滴から始まった複数の流れは、何代にも渡って築かれた石積みの棚田を潤し、多くの生きものを育みながら海へと注いでいる。梅雨時には無数のゲンジホタルが乱舞し、夏になると子どもたちが大きな水しぶきと歓声を上げながら川遊びを楽しんでいる。石木川流域には懐かしさを感じる日本の原風景があり、訪ねるたびに新鮮な驚きと感動を覚えている。
長崎県と佐世保市が起業者となっている石木ダム事業は、石木川をせき止め、13世帯が暮らす川原(こうばる)地区を水の底に沈める計画だ。この事業が立案されたのは半世紀前のこと。50年という月日が経過し、社会を取り巻く情勢が変化しているにも関わらず、長崎県は計画を未だ見直すことなく、事業推進の立場を変えていない。当初の目的は佐世保市内に計画されていた企業団地で使用する工業用水確保だったが、その後、企業団地誘致は中止となり、現在その場所は九州を代表するテーマパーク「ハウステンボス」となっている。それでも佐世保市や長崎県は現在も「水不足解消」を石木ダムの必要性に掲げている。しかし全国的な人口減少は長崎県も例外ではなく、節水施策などによって佐世保市の水需要は下降し、石木ダムがなくても深刻な問題は起きていない。長崎県はダム事業の目的に「治水」も加えているが、石木川流域の面積は川棚川全体の9分の1程度に過ぎず、さらに洪水対策のための河道整備も進んでいることから、わざわざ建設するだけの治水効果もない。
堰堤高55メートル超の石木ダムは小さな川にあまりにも不釣り合いなだけでなく、完成すると13世帯が暮らしている家屋や農地などをすべて水の底に沈めてしまう。そのため川原地区に暮らす住民は一丸となって行政のやり方に異議を唱え、ダム計画に反対している。住民たちはダム関連工事を阻止するため、行政職員と対峙することも少なくはない。長崎県は家屋や土地を強制的に収用する手続きを進めているため、住民は自分たちで費用を出し合い、手続きを撤回されるための裁判も始めている。巨大な権力に対して反対の声を上げ、抗議の意志を示し続けることは、相当なエネルギーを消耗する。にも関わらず、川原地区の方々は石木川のほとりで暮らし続けるために、生活を充実させるために使う時間をダム反対に投じざる得ない状況に置かれている。孫と遊んだり、旅行や趣味に充てる時間を犠牲にしているのだ。
拙著『石木川のほとりにて 13家族の物語』は川原地区に暮らす全世帯を取材し、彼らの日常を一年に渡って記録したものです。「なぜダムに反対しているのか」その思いを丹念に聞き取 りました。石木川のほとりで起きていることをひとりでも多くの方が「我が事」のように捉えてくださることを願っています。
『石木川のほとりにて 13家族の物語』(写真・文 村山嘉昭)はパタゴニアのオンラインショップでお取り扱いしています。