ロイヤル・ロビンス(1935~2017)を悼んで

ロイヤル・ロビンス(1935~2017)を悼んで

By イヴォン・シュイナード   |   2017/03/30 2017年3月30日

イヴォン・シュイナード

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ロイヤル・ロビンスが2017年3月4日に逝去したというニュースに、パタゴニア・ファミリーの誰もが悲しみを抱いています。個人的に彼を知っていたのは社内の一部だったかもしれませんが、そうでなかった多くの社員たちも、今日に至るまでの彼の開拓精神とクリーンクライミングへの忠誠には、大いに触発されてきました。彼に敬意を表し、彼の友人であるパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードが以下の想い出を綴りました。

【 「ノース・アメリカン・ウォール」初登中にブラック・ケーブでビバークするロイヤル・ロビンスと、(下から覗いている)イヴォン・シュイナード。カリフォルニア州ヨセミテ、エル・キャピタン。1964年。写真:Chuck Pratt 】

ロイヤルはアメリカのロッククライミングの黄金時代の先駆者だった。私は彼のことを、クライミング・パートナーとして、親しい友として、記憶にとどめる。彼を知っていた誰もが、彼の頑固さと生涯の高潔さを思い起こすことだろう。

そしてクライミング界は、何世代ものクライマーに影響を及ぼしたクリーンクライミング倫理の提唱者として、ずっと彼を覚えておくだろう。だが彼の最も偉大な功績は、その独創的な知性だった。彼はしばしばヨセミテの広大な壁にルートを、また後にはカヤックによる多くのファーストディセントを着想し、それを実行するために仲間を集った。

私は幸運にも、ロイヤルからエル・キャピタンの「ノース・アメリカ・ウォール」の初登チームに招かれ、それは最も困難なビッグウォール登攀となった。そのルートは彼のアイデアで、私たちは皆、彼のことを「冷血な司令官」とみなした。それと同じ意気込みで、私たちを川の探索のために集め、カヤックを教えた。アドベンチャー・カヤックの先駆者であり、南米とアメリカにおける偉大な川のファーストディセントに参加するよう私たちを鼓舞したのも、またロイヤルだった。

1「ティサック」初登後のロイヤル・ロビンス。カリフォルニア州ヨセミテ。1969年。写真:Glen Denny

2エル・キャピタン初の単独登攀に着手するロイヤル・ロビンス。カリフォルニア州ヨセミテ。1968年。写真:Glen Denny

3ワシントン・コラムの「プラウ」を初登するロイヤル・ロビンス。カリフォルニア州ヨセミテ。1969年。写真:Glen Denny

4ダグ・トンプキンス(左)とロイヤル・ロビンス(中央)。数多のカヤックの旅のうちのひとつ。写真:Patagonia Archives

5後列:ロイヤル・ロビンス、ケン・ケロウィッツ、ダグ・トンプキンス、ピート・バックリー。前列:イヴォン・シュイナード、トム・マンチョ。カリフォルニア州トウラミ・リバー。1981年。写真:Rob Lesser

61979年のロイヤル・ロビンス(左)とダグ・トンプキンス。写真:Karen Chamberlin

 

イヴォン・シュイナードはサーファー、カヤッカー、クライマー、フライフィッシャー、鷹匠、そして鍛冶屋。パタゴニア社のオーナーであり、『Let My People Go Surfing: The Education of a Reluctant Businessman』(日本語版2017年春夏発刊予定)、『シンプル・フライフィッシング:テンカラが教えるテクニック』、『レスポンシブル・カンパニー:パタゴニアが40年かけて学んだ企業の責任とは』の著者。妻のマリンダと、カリフォルニア州ベンチュラ在住。