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変われば、変わるほど

ジェリー・ロペス  /  2017年4月28日  /  読み終えるまで11分  /  サーフィン

ウルワツの崖を背景にボトムターン。この頃はまだ丘の上にホテルを建てようと考える者すらいなかったはずだ。Photo: Dana Edmunds

ジェリー・ロペスがはじめてウルワツでサーフィンをしたのは1974年のことでした。バリの伝説的な波は美しく魅惑的で、辺りは閑散としていました(詳細は後述)。そして40年後、ジェリーはそこでヨガの合宿を主催し、教室の合間に波に乗り、ウルワツを次世代に残す保護活動を支援するため、戻ってきました。この短編ドキュメンタリーでは、ジェリーがウルワツとサーフィンを変化の隠喩として使いながら、ブキット半島、バリ、そしてサーフィンを越えた多様なメッセージを伝えています。ネイサン・マイヤーズ監督の『The More Things Change (変われば、変わるほど)』は、ジェリー・ロペス、デーブ・ラストヴィッチ、ロブ・マチャド、リザール・タンジュンのサーフィンにスポットを当てています。

プロジェクト・クリーン・ウルワツ

近年の人気上昇により、ウルワツ地域には多大な環境的負担がかかっています。「プロジェクト・クリーン・ウルワツ」はその負担を軽減し、この地域の素晴らしい自然を元の姿に戻す取り組みをつづけています。地元住民と訪問者にとって象徴的なこの場所を、神聖かつ無傷に保つための寄付をお願いします

変われば、変わるほど

アサナにもってこいのヨガ合宿のロケーション。バリ、ブキット半島 Photo: Tommy Schultz

変われば、変わるほど

マット上での蓮華座もサーフボード上でのトリミングも、よどみなく決めるジェリー。Photo: Tommy Schultz

変われば、変わるほど

変われば、変わるほど、同じ状態が保たれる。2015年にウルワツでサーフィンをするジェリー。Photo: Tommy Schultz

ウルワツの幕開け(1974)

初めてウルワツへ向かうにあたり、特殊部隊さながらの綿密な計画を立てたはずが、それはお粗末極まりないミッションへと早変わりした。バリ島に着いてまだ2日目だったが、わたしたちが滞在していたクタビーチに旅行客はほとんど見当たらない。ヒッピー風のバックパッカー数人と、オーストラリアからやってきた年配の夫婦が何組かいたものの、サーファーは皆無だ。1年前もここを訪れていたジャックは、ベモコーナーで交通手段を確保できることを知っていた。

そこへ向かう道中ジャックが説明してくれたところによると、ベモとは現地の乗り合いバスで、ダットサンかトヨタの小さなトラックの荷台にベンチが据え付けられ、キャノピーで覆われている。当時自家用車を持っている人は稀だった。たまに見かけるタクシーは年式が1950年代後期から1960年代前半のシボレー車がほとんどで、丹念にメンテナンスが施されていたものの、きっと工場出荷時のオリジナルパーツをそのまま使っているのだろう。エンジンは悲鳴をあげてガタピシと音を立て、マフラーも朽ち果てているうえ、ショックアブソーバーはすっかりへたって機能していない。愛情を込めていつもピカピカに磨き上げられたアメリカ製のタクシーだが、バリ島の穴だらけの細い未舗装路にはあまりにも大きく、重すぎた。

デンパサールやサヌールなど旅行者が密集するエリアとは異なり、クタビーチはときの流れが静止しているかのようにのんびりしていた。個人が所有する乗り物といえば排気量の小さなエンジンを積んだオートバイがほとんどで、何年にもわたって相当な距離を走り込んでいるにもかかわらず、隅々まで手入れが行き届いている。家族全員の貴重な移動手段であるモーターバイクのハンドルを握るのが古びたヘルメットをかぶる父親だ。そして現地の民族衣装であるサロンに身を包んだ母親は、プロテクション効果をほとんど持たない作業用ヘルメットを頭に乗せて後ろに横座り。父と母のあいだには子供がひとり、ときにはふたり挟まれるように乗っている。見ていてハラハラするが、交通量も少なくすべてにおいてスローペースのバリ島ではじゅうぶん安全なのだろう。

ベモコーナーはごった返していた。ベモが合計3台に、それぞれの運転手と補佐役。そのほかには見物人が5、6人。それだけでこの町では大きな人だかりに見えてしまう。身長がひときわ高く、トークショーの司会者のような大声で話すジャックに威圧されて人垣が割れる。

「ベモを丸一日調達したいんだ」ジャックがよく通る低い声で切りだした。

ハワイで人気ラジオ番組のパーソナリティとして活躍した父親のビッグ・ジャック・マッコイの声を、息子も受け継いでいた。ふたりの運転手は即座に忙しそうなふりをして背を向けたものの、もっとも古そうなくたびれたベモを所有する3人目が興味を示してきた。ジャックはその運転手と向き合い、身振り手振りを交えながら早口でまくし立てた。会話の内容にはついていけなかったが、価格交渉をしていることはすぐに理解した。じきに交渉を成立させたジャックは、満足気にシャカサインを出しながら戻ってきた。

「やったぞ。4,000ルピアでウルワツ往復。おれたちがサーフィンしてるあいだもずっと待っててくれるそうだ。これからガソリンを入れにいって、30分後に宿まで迎えにきてくれる」

当時の為替レートだと、1ドル400ルピア。オーストラリアドルだと600ルピア。運転手付きの車が丸一日10ドルとは、ずいぶんお得だ。宿に戻ったわたしたちは朝が苦手なジェフを起こし、吉報を伝えてから出発の準備に取りかかった。

ベモの荷台にサーフボードと食料と水を積み込んでからわたしたちもそこに乗り込み、朝早くに出発した。まだ店はほとんど営業しておらず、道もガラガラだった。座席にまともに漂ってくる排気ガスも、興奮しきっていたわたしたちには気にならなかった。空港への分岐路を過ぎると、その先は未知の領域だ。急坂に差しかかるたびに小さなトラックはギアをローに入れてトロトロと登っていく。後方を振り返ると、見渡す限りヤシの木に埋め尽くされていた。道中、ヒスイ色の水をたたえた美しい湾も垣間見えた。右端に突き出た空港滑走路の脇では良さそうな波も割れている。ジャックはそこがジンバラン湾だと教えてくれた。そしてわたしたちが走っているバリ島南端のこの一帯は、ブキットと呼ばれている。いちばん奥にはサルがたくさん生息する古い寺院があり、ウルワツの波もそのふもとにある。サーフボードと水と食料は揃い、準備は万端だ。まだ見ぬウルワツの波が待ちきれず、わたしたちは先を急いだ。

通過した幾つかの小さな村落ではだれもが笑顔で手を振ってくれたため、わたしたちもそのつど手を振って笑顔を返した。反対方向を向かう数台のベモには人があふれかえるほどたくさん乗っていた。長い杖を持った男が牛の群れを誘導して道を横断しているあいだ、車を停めて待つ場面にも何度か出くわした。美しい黄金色に白が混ざった牛たちは、どちらかというと大型の鹿に見える。だれひとり急いでいる様子は見られない。わたしたちを除いて…

当時バリ島にはサーファーがほとんどいなかったため、ウルワツへの行き方を示す看板や手がかりもいっさいなかった。道の突き当りに車を乗り入れ、崖の上に佇むひと気のない寺院まで歩く。切れ落ちた崖から眼下に広がる海までは300メートル近くある。寺院が建てられてから数百年は経っているにちがいない。たまに藪の中から姿を現すサルを除けば人影はない。崖の先端まで行くと、すばらしい波の景色も視界から隠れてしまう。ジャックは最初にバリ島最南端のこの地をわたしたちに見せたかったらしい。しかしサーフポイントまで下りるには来た道を引き返す必要があり、林の中へと通じる脇道が幾つもあるものの、どれが正しいのかまったく見分けがつかない。ジャックも1年ぶりだったため記憶は曖昧で、わたしたちの目的すらよくわかっていない運転手はまったく当てにできず、道を尋ねるにもほかにだれひとり見当たらない。

しばらく探しまわったあげく、ジャックも見覚えがあるという脇道をとうとう探し当て、下りていくことにした。運転手には4、5時間ほどで戻ると伝える。鳥のさえずりと虫の鳴き声以外、なんの気配もない。わたしたちは一斉にジャックのほうを振り向き、肩をすくめてから荷物を抱え、脇道を下降しはじめた。石灰岩の地盤は起伏が激しく複雑に入り組み、傾斜の強い荒れ果てた道は人とすれちがうことができないほど狭く、棘だらけのサボテンに似た植物に囲まれていた。直線がほぼ存在しない曲がりくねった道を、長い時間をかけて登り下りを繰り返す。棘のある植物に視界を阻まれて方向感覚もマヒしていたが、道はどこかに通じているようだ。やがて分岐に差しかかったわたしたちは、どの方向に進むべきか話し合った。

幹線道路がおおよそ海外線と平行に走っていたので、右に折れればいずれ海に出るはずだったが、分岐路に至るまでにカーブが多すぎてその方角もわからなくなったため、当てずっぽうで先に進むほかない。しばらく歩くと新たな分岐に差しかかったが、これも海に通じているようには見えない。またもや勘に頼って進路を決めたものの、しばらく進んでから幹線道路の方角へ引き返していることに気づいたわたしたちは分岐路までいったん戻り、もう片方の道に入り直した。しかしこの道もどうやら違うようだ。

ジェフは海の方角を把握するために近くの手頃な木に登った。わたしも後につづく。すると一気に視界が開け、遠くに海が見渡せた。大喜びで木から下りると、ジェフがシャツをめくり上げて悲鳴をあげ、身体から小さな黒いアリを払いのけた。わたしも噛まれて鋭い痛みが走り、たまらずシャツを脱ぎ捨てると、ジャックがアリの駆除を手伝ってくれた。ジェフは指でその小さな生き物を1匹つまみ上げてこう言った。「こんなちっぽけなアリに噛まれて、どうしてこれほど大きな痛みが走るんだ?」

これを機に、わたしたちは25年近くインドネシアに棲息する虫類の知識を深めていくことになり、新たな発見をするたびにその不思議な生態に魅了されていった。

海の方角がわかってもトレイルがその方向に伸びていないため、けっきょくたいして役に立たなかった。この際トレイルを外れ、藪を突っ切ったらどうかと提案すると、ジャックとジェフからも賛同が得られた。どのみち、このままでは進展がない。しばらく歩いて藪がそれほど密集していない箇所を探し当て、身体をそこへねじ込んだ。

藪の向こう側は大きく開け、芝の生えていない放牧地のようだ。草木がないためわたしたちはめざす方向へ楽に進めたものの、それは長続きしなかった。やがて広場もなくなり、別の藪に突き当たった。苦労して通り抜ける地点を探し、その向こう側に別のトレイルを発見できたものの、それも方角的に海へは通じていない。

蒸し暑いなかを歩きまわってすでに1時間半以上が経ち、汗まみれのわたしたちは我慢の限界に達しつつあった。かといっておめおめと引き返すわけにもいかない。敗北を認めることになるからだ。堪忍袋の尾が切れかかったちょうどその頃、物音が聞こえてきた。目の前に現れたのは足取りのしっかりした3人のサーファーだった。さっそく挨拶を交わし、彼らがマウイ島からやってきたマイクとビルのボイヤム兄弟、それにフレッド・ヘイウッドということがわかった。彼らとはその後もずっと親交を保ち、多くのトリップをともにすることになる。

新たな先導役を得たわたしたちは、ようやく波を見下ろす崖に到達することができた。眼下には圧巻の景色が広がっている。オフショアの風に馴らされた完璧な波が次々とピークから規則正しくブレークし、途中から掘れ上がってチューブを形成しつつ、延々と先まで割れつづけた。わたしたちは一斉に目をしばたき、これが幻でないことを確認し合う。マイク、ビル、フレッド、それにわたしたちを除き、だれひとりいない。理想郷に足を踏み入れたという実感がふつふつと湧いてきた。

ジェリー・ロペス著『Surf Is Where You Find It(改訂/増頁版)』  パタゴニア・ブックス刊行より抜粋

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