チリの偉大な日:トンプキンス・コンサベーションが歴史的な国立公園誓約に署名
3月、私たちはクリスとダグ・トンプキンスの信じがたい偉業を祝いました。それは100万エーカーの公園土地をチリ政府に寄付する誓約で、これは私有団体が国にした史上最大の土地の寄付です。チリの大統領ミシェル・バチェレはプマリン公園とパタゴニア公園を含む5つの新たな国立公園を設立し、さらに3つの公園を拡張するために、追加として政府所有の900万エーカーを誓約しました。
プマリン公園におけるこの小さな協定への署名儀式には、イヴォンとマリンダ・シュイナード、リックとジェニファ・リッジウェイ、ジミー・チンも参加しました。一行は故夫であり自然保護のパートナーであったダグが妻にちなんで名付けたセロ・クリスティンを登るためにパタゴニア公園を訪れていましたが、この署名儀式のために寸前でルート変更をしました。
1960年代のイヴォンとダグによるパタゴニアへの最初の旅にはじまり、古い羊牧場のフェンスを撤去するためにボランティア活動を行った社員、チリで起きている良好な仕事についての刺激的なストーリーをシェアした映画製作者、ランナー、探索者まで、パタゴニア公園はパタゴニア社と何十年もにわたって関わり合ってきました。
この極めて重要な瞬間、近いそして遠い過去を振り返り、このプロジェクト、そして私たちの生涯における最大の公園設立努力を支援した人びととこのキャンペーンについて懐古しましょう。
「チームの面々、政府高官、ベンチュラからの一行、そして地元の消防団といった150人の顔ぶれがプマリン公園本部で半円を成した。クリスとバチェレ大統領が署名のために手に手をとって道を歩いていったとき、全員が涙せずにはいられなかった。私も含めて。私は決して泣かない人間なのに」
—イヴォン・シュイナード(パタゴニア創業者)、2017年3月
「これは故夫ダグ・トンプキンスとともに20年以上、世界中で生態学的に最も多岐にわたって美しい景観を、このチリとアルゼンチンのパタゴニア地域の手つかずの自然を将来の世代もつづけて楽しめるよう、開発から守ってきたクリスにとっての巨大な試金石を意味します。トンプキンス夫妻の辛抱強さと情熱は世界中の隅々における自然保護の努力と同様、ここアメリカでベアーズ・イヤーズやその他の公共の土地を守るために闘う私たちへの非常に大きな鼓舞となります」
—ローズ・マーカリオ(パタゴニアCEO)、2017年3月
「ヴァレ・チャカブコを国立公園にしようと考えはじめたとき、そこは何年もにおよぶ羊の過放牧で荒れていました。それ以来、世界中からのボランティアが64oキロ以上のフェンスを撤去し、自生のグアナコが自由に徘徊できるようにしました。コンドルとピューマの個体数は増え、絶滅の危機にあったゲルマジカも復活しはじめました。そしてさらに想像し得なかった成功のストーリーもあり、それはまさにクリスとダグ、そしてこれらの公園の設立のおかげです」
—マリンダ・シュイナード(『Family Business: Innovative On-Site Child Care Since 1983』英語版)共同著作者)、2017年3月
「モンドロス・ビーチで隣に住んでいた10代のサーファー少女だったころからクリスを知っていた私は、彼女をとても誇りに思った。彼女はパタゴニアが急成長していた初期の混乱の時代にCEOを勤めていた。ダグのことは15歳で高校を中退し、ガンクスで私たち悪ガキ仲間と登攀を学んでいたころから知っていた。この2人の不良/起業家の友人がチリに新たな1,100万エーカーの国立公園を作ったことは、前例のない歴史的な出来事だ。比較すると、イエローストーン国立公園は230万エーカーしかない」
—イヴォン・シュイナード(パタゴニア創業者)、2017年3月
「クリスと夫のダグはこの公園を個人からの寄付金と社会奉仕で作った。だからさらに土地を買収し、1つか2つの橋を作るというのはどうだろう……だが僕はダグが以前に女性衣料品会社エスプリのオーナーだったとき、机の上に掲げていたサインを思い出した。「まずコミットし、それから道を探る」」
—リック・リッジウェイ(パタゴニア・パブリック・エンゲージメント副社長)、2015年6月
「複数のフェリーを乗り継ぎ、未舗装の道を2日ドライブしたのち、僕らはパタゴニアの遠隔地にあるエスタンシア・ヴァレ・チャカブコに到着した。パタゴニア・ランド・トラストの一部としてクリス・トンプキンスは昔の羊/家畜牧場を2004年に購入した。過放牧によって土地は荒れたため、家畜はすべて移動させられていた。目標は健全な土壌を復活させ、17万エーカーの山と渓谷を縫い走る720キロのフェンスを撤去し、野生動物のために回廊を解放することだ。パタゴニア社はここで3週間のフェンス撤去のボランティア活動を社員に奨励するプログラムを設けている。その経費は全額を会社が支払う。マコヘ、キース、イヴォン、そして僕も、僕らの時間をその仕事にあてるためにここにやって来た」
—ジェフ・ジョンソン、2011年5月(著作『180° South』より抜粋)
「滞在の前半の使命は公園の一区画から外来植物を除去することで、アザミ、ラムズイヤー、ドグゼリがおもなターゲットでした。これらの植物の種は家畜や車両によって運ばれ、道路脇に散らばる傾向にあります。紫のアザミの花とラムズイヤーの黄色の花は見つけやすいのですが、私たちを参らせたのは、つきることのない背丈の高い繊維性のドグゼリでした。ドグゼミの林を駆逐するために1時間費やしたあと、角を曲がるとすぐ先にまた6メートル幅の林があったりしました」
—コリン・パイル&アリソン・ケルマン(パタゴニア社員)、2014年5月
「僕らが次の3週間のほとんどを過ごしたのはアンデス氷河と氷原を望むことができる場所だった。フェンスの撤去に時間の一部を費やすことは予期していたが、一度に何日も長い区画を完全に任されるとは思っていなかった。僕らは杭と鉄線を抜いては巻き、すべてを山積みにする作業に何時間も費やした。爪の下、耳の中、髪の毛と背中は泥まみれになった。日焼けし、虫に刺され、いがまみれになった。ネスカフェとマトンとチーズのサンドイッチで腹ごしらえをし、マテ茶とワインとピスコとビールを飲んだ。夜は笑いと筋肉痛によるうめき声に満ちていた」
—アンディ・ミッチェル(パタゴニア社員)、2007年3月
「突風が吹き、ヘネラル・カレーラ湖畔に打ち寄せる水がしぶきを上げる。目を閉じて立っている僕の日焼けした頬に噴霧がひんやりとする。目を開けるとパタゴニアはまだちゃんとそこにある。まるで夢のようだ。長年この場所を目にすることを夢見てきた。そしていま、僕はここですっかり圧倒されている。どんなところなのか、どんな匂いがするのか、どんなふうに感じるのかを何度も繰りかえし想像してきたパタゴニアは、まったく想像以上の場所だ。運転、空港、飛行、空港、ギアの積み込み、そしてまた運転に費やした39時間は霞のように過ぎ去り、いま静けさのなかに聞こえるのは湖に吹く風の音だけ」
—ルーク・ネルソン(パタゴニア・アンバサダー)、2014年12月
「このセクションの景観は壮大で、互いに「あそこを見て!」、「クレージーだ!」、「信じられない場所だ!」などと叫びあうしかなかった。山でランニングをすると、多くの特別な野生の場所に行くことができるが、ここは言葉では表現できない。いつの日か子供をここに連れてくることを願っている」
—ジェフ・ブラウニング(パタゴニア・アンバサダー)、2015年3月