カイウィを渡る
8時間前、僕らはパドルのないカヌーチームだった。交通手段をぎりぎりで乗り換えて「モロカイ・ホエ」のスタート地点にたどり着いたとき、我がチーム〈Bad News Bears〉はまさにアウトリガーレース界の『がんばれ!ベアーズ』のごとく、最も重要なギアを別のトラックに忘れてきたのだった。
ようやくパドルが到着するというまでの小一時間は緊迫感に満ちていた。しかしいま、カイウィ海峡を半分横断したところでは、レース前の緊張はすでに失せ、モロカイからオアフへと総勢千人近いパドラーを乗せた94艇のカヌーとの戦いに没頭している。この沖合では、足元に広がる海には電気が通っているかのようだ。そのネオンのように鮮やかなブルーは、世界中のどんな場所でも他に見たことがない。
そこにあるのは水の色だけではなく、他の何かがある。「骨の溝」を意味するカイウィは「マナ」、つまり超自然的な力を秘めている。パドラーを10分おきに交代しながら、41マイルの「モロカイ・ホエ」の勝負は海峡の中間で決まることを、我がチームは知っている。20マイル地点であるここが、本番のレースがはじまる場所なのだ。僕らは互いに深く漕ぎ入れ、カヌーを前へと進ませる。
オーストラリアで育った僕にとって、試合といえばラグビーのことだった。サーフィンもいつもしていたが、ラグビーというチームスポーツが教えてくれた仲間意識は他では得られないものだった。しかし海の引力は、ラグビー場で感じる引力よりも強かった。だから僕は試合をあとにして、世界中のビッグウェーブを追いかけることにした。それに導かれてオアフ島のノースショアに定住することになったのだが、ここハワイで、僕はラグビーと同じ仲間意識の精神をアウトリガーパドリングに見出すことになる。それは親友のスミス・ルメールが、ハレイワの真ん中でアナフル・リバーが海に注ぎ込む場所にある〈マヌ・オ・ケ・カイ・カヌークラブ〉に誘ってくれたときのことだった。
スミスの誘いにのった僕は、ある午後カヌークラブへと向かった。初心者をコーチするロバートに問い合わせるように、と言われていた。パドルを手にした身長190.5センチ、体重113キロの僕が着いたとき、そこでは地元の男たちがたむろって立ち話をしていた。僕が歩み寄ると、驚くまでもなく、彼らの警戒心は強まった。眉をしかめるやつもいれば、そっぽを向くやつもいたが、やがて誰かが水際を指差した。そして彼らの1人が口笛を吹き、ロバートを呼んだ。大きな笑みを浮かべて歩いてきたロバートは、「ようこそ」と言った。彼の眼差しはすべてを物語っていて、僕の心はたちまち打ち解けた。
アウトリガーレースには覚悟が求められすぎる、と考える人もいる。たしかに覚悟は必要だが、その報酬は代価をはるかに上回る。トレーニングが意味するのは美しいノースショア沿いのパドリングにたっぷり時間を費やすことであり、それは僕と海との関係を深めてくれる。しかし僕にとってさらに貴重となったのは、仲間との友情だ。
クルーは家族だ。彼らは僕にとって兄弟であり、僕は彼らの一員だ。パドリングを通して得たつながりと友情により、僕はハワイに歓迎されたという以上の気持ちを感じることができ、美しい文化への扉を開くことができた。
ポリネシアの人びとは何千年ものあいだ、旅や食料集めや戦いの手段としてカヌーを漕いできた。そして今日、スポーツとしての戦いにおいて、僕らはその古代の血統の一部となっている。
その日の午後、カイウィの横断に5時間以上かけてワイキキのゴールに近づき、僕は最後のウォーターチェンジ(パドラー交代)でカヌーを降りる。伴走船によじ登ると、最初の冷たいビールは痛いほど美味い。いまこそ素晴らしいシーズンを祝うときだ。〈Bad News Bears〉が16位を占めるという素晴らしいレースとなった。この1年ずっと懸命にトレーニングに励み、互いを支え合った僕らは、この結果を誇らしく思う。「モロカイ・ホエ」のような体験に参加できるということは、人生の何たるかを教えてくれる。それは互いと海への情熱、愛情、尊敬を共有するということだ。
しかしいまや疲れ果てた僕らをゴールで待ち受けるのは、僕ら皆の家族。食べ物の山と、さらなるビールと、たぶんアイリッシュウイスキーも。さあ、宴会だ。そしてまもなく、ときは矢のように過ぎ、いつものごとく〈マヌ・オ・ケ・カイ〉のテントがビーチに残る最後となるだろう。
このストーリーの初出はパタゴニアの2017年Springカタログ(英語版)です。