最後の登り坂
俺たちはたまに自転車を走らせる程度のサイクリストで、時速にはうるさかったが、1 日の走行距離には疎かった。
スキーをするために7日連続で自転車を走らせた俺たちには、休息日が必要だった。それには温泉療養しかない。グリーン・チャーチの温泉までは、ハイウェイを行くよりも14 キロ短い近道があるのを覚えていた。しかしたとえ距離が短くても、スキーとキャンプ用具と食料を積んだ自転車をこいで深いわだちの刻まれた未舗装道を走ることは、いつも近道とはいえない。
結局、休息日は7 時間の自転車走行となった。
なんとか日没までには温泉にたどり着いたものの、俺たちの鋼製の馬を車ですいすいと追い越して来たヤツらで風呂はあふれていて、せっかくの湯治の期待はじゃまされてしまった。駐車してあった誰かのスバル(なぜか「ビル・マーレイ」と名づけられていた)の横にテントを張るスペースを見つけ、すでに過ぎ去った日々とこれから訪れる日々に思いを馳せながら夕飯を食べはじめた。
俺たちは自転車のサドルからの眺めという、あまり多くの人間が見ることのないシンプルな景観を体験したかった。そして俺自身は、新たな方法で自分のスキーに挑みたいとも思った。車に荷物を積んで運転してトレイルヘッドまで行くのではなく、ギアの山と食料と水とともにペダルをこぎつづける意思で進むのだ。俺たちは自転車でネバダ州リノを出発し、スキーとスノーボードのギアの重さに耐えながらシエラの山麓までこいで来た。登頂から滑降まですべて自力で実現する覚悟は決まっていた。強風に吹きさらされ、終わりのない坂を延々と登り、デコボコ道で揺られながら自転車をこぎつづけ、その合間に氷からざらめ雪まであらゆる状態の雪面を滑った。そしてついに、アメリカ本土48 州における最高峰のマウント・ホイットニーにたどり着いた。
あまりにも疲れ切っていた俺たちは、山頂までの登りで他のスキーヤーたちに追い抜かれ、滑降を狙っていたラインでも先を越されてしまった。けれどもバツの悪い思いをしたのは最初だけで、これはすぐに誇りとなった。重い脚と極度の疲労は、何百キロも自転車をこいできた事実の裏づけだと悟ったからだ。俺たちは刻むラインをすべて初滑降とみなしはじめた。なぜならアプローチのはじまりが自宅だった(のと、はるばるイースタン・シエラまで自転車をこいでスキーをしに来たヤツは他にはいないだろうと確信した)からだ。自転車遠征は俺たちのペースを落とし、競争心も鈍らせた。そして登高と滑降という、俺たちの多くにとっては日課にすぎないことをこなすために、幻覚や疲労と闘うみずからの姿を笑うことさえ許した。
自転車に乗って、通常とは異なるゆっくりとした視点からその土地を体験するというのは目新しいことではない。だが、シエラをサドルの上で過ごした旅の終わりまでに、俺たちはかつて同じ体験をしたサイクリストたちが気づいたに違いないことを理解した。自転車は乗った直後は疲れるものだが、ときとともに活力をみなぎらせてくれるのだということを。
パタゴニアのNovember 2017カタログに初出のストーリーからの抜粋です。