クリーネストライン


『ダートバッグ:フレッド・ベッキーの伝説』からのスクリーンショット Photo: Fred Beckey Collection

フレッドにつづいて

By コリン・ヘイリー   |   2018/03/19 2018年3月19日

はじめてフレッド・ベッキーに出会ったのは、シアトルに拠点を置くアルピニスト、アレックス・バーテュリスの家でのディナーパーティだった。とはいっても当時の僕は2 歳で、のちに母からこのときのことを聞いたのだけれど。「愛想がいいとはいえなかったわね。さっさと部屋を出て、地図や写真なんかを見にいっちゃったわ」という母の言葉はいかにもクライマーではない人間、あるいは趣味程度のクライマーが言うことで、フレッドの功績の偉大さをわかっていない。身なりはだらしなく徹底した倹約家で、決して1 か所に定住しないといったところがフレッドの第一印象だが、そうした彼の印象は80 代後半であるいまも終わりなきクライミングの旅をつづけているという放浪人生の現れである。これらは欠点などではまったくなく、山に登るという情熱に人生のすべてを捧げた者の意識的な選択だ。フレッドの特徴を欠点とみなすのは、アインシュタインが相対性理論を書くのに時間をかけ過ぎたと非難したり、ベートーベンがピアノの前に座って人生を無駄にしたと嘲笑したりするようなものだ。フレッドの一見雑然としたライフスタイルは、じつは一意専心クライミングに励むための綿密な計画なのだ。

『ダートバッグ:フレッド・ベッキーの伝説』のディレクターであるデーブ・オレスキーとした2度の中国遠征のひとつでのフレッド・ベッキー。この投稿のトップにある動画も同映画からのもの。
 Photo: Dave O’Leske
『ダートバッグ:フレッド・ベッキーの伝説』のディレクターであるデーブ・オレスキーとした2度の中国遠征のひとつでのフレッド・ベッキー。この投稿のトップにある動画も同映画からのもの。 Photo: Dave O’Leske

フレッド・ベッキーは史上最高の功績をもつクライマーだといっていい。クライミング界の最先端で達成した登攀数は、他のクライマーのおよぶ範疇ではない。彼が若いころにカスケード山脈で乗り込んだ果敢で困難で冒険的で美しい「初登」という名の特急列車は、北米大陸を走りつづけ、それは70 年以上経ったいまも止まることをしらない。誰もが登りたがるカスケードの一流のルートを次々と初登したあとは、バガブー、ブリティッシュ・コロンビアのコースト山脈、アラスカ、カナディアン・ロッキー、ウインド・リバーなどの山々へと足を伸ばした。北米大陸のほぼすべての山脈の、とりわけ目を見張るルートの大半を初登したのは、フレッドだ。また岩峰だけでなくマウント・ハンター、マウント・デボラ、デビルズ・サムなど、相当な覚悟を要する大規模なルートの初登にも成功している。彼はアイガー北壁の初登が達成されたわずか4 年後の1942 年、弟のヘルミーとともに当時北米大陸の最難関で、世界でも最も困難なルートのひとつとみなされていたマウント・ワディントンの第2 登を達成した。このときフレッドは19 歳で、ヘルミーは登頂翌日に17 歳の誕生日を迎えた。現在のクライミング事情でいえば、2 人のティーンエイジャーがパキスタンのガッシャーブルムIVの頂上につづくクルティカ/シャウアー・ルートの第2 登に成功するというくらいの偉業だ。この登攀はクライミング界に衝撃を与え、畏敬の念を抱かせた。

1954年べグーヤ(マウント・ハンター)の頂上でのフレッド。デナリ国立公園、アラスカ。 Photo: Fred Beckey Collection
1954年べグーヤ(マウント・ハンター)の頂上でのフレッド。デナリ国立公園、アラスカ。 Photo: Fred Beckey Collection

来る年も来る年も、そして何十年が過ぎても、初登に対するフレッドの意欲は決して衰えなかった。連続するロードトリップの合間に一時しのぎの仕事をしながらジャムやマヨネーズといった調味料の小袋で空腹を食いつなぐ…。フレッドはまさにクライミング・ダートバッグの元祖だ。昨今スコーミッシュやキャンプ4、インディアン・クリークなどで見かける、1 日でも多くクライミングをするために生活の快適さや安楽さを犠牲にしているクライマーたちは、皆彼のあとにつづいているというわけだ。けれどもシンプルなライフスタイルとは裏腹に、フレッドの思考は極めて複雑である。すこぶる知的なうえに細心な研究者であり、博識な地質学者でもある。そして世界有数の山岳歴史家として多数の著書をもち、とくにアラスカ、ブリティッシュ・コロンビア、ワシントンの沿岸山脈に関しては権威である。『Range of Glaciers』に目を通すと、カスケード山脈を開拓しはじめたころの研究の驚異的な深さがわかる。またフレッドの最も有名な著書『Cascade Alpine Guide』(別名『ベッキー・バイブル』)は、あらゆる山岳ガイドブックのなかでも最も包括的な作品といえる。高校生のときに家族で行ったハワイのビーチでの退屈さから僕を救ってくれたのは、フレッドの自伝的研究書『Challenge of the North Cascades』に書かれたマウント・スレッセやホゾミーンなどの暗く険しい岩壁での苦難の物語だった。

シアトルで肩を並べる。コリンは本イベントでフレッドにThe Mountaineers Lifetime Achievement Awardを授与した。 Photo: Steve Spickard

2003 年7 月のある日、すでに80 代前半になっていたフレッドが、高校を卒業して間もない僕が働いていたクライミングショップに立ち寄った。その当時とにかくクライミングに夢中だった僕は、理解ある上司のおかげもあって、ブリティッシュ・コロンビア州のセルカーク山脈のマウント・アダマントへ「小旅行」に出るというフレッドのパートナーに、いとも簡単に応募できたのだった。フレッドは年齢のせいで山頂の雪面ではややペースが落ちたものの、その下にある花崗岩のバットレスの急斜面では変わらず優美だった。僕は魔法のように巧みに動くフレッドのこわばった手を見て、この手がこれまで触れてきたのはいったい何千メートルくらいの高峰の岩壁なのだろうかと思いをめぐらせた。僕はフレッドの人生と僕の人生にある類似点を見ずにはいられない。フレッドも僕も若いころからカスケード山脈でクライミングを学び、アルパインクライミングに対する飽くことのない欲望を抱きつづけている。アルパインクライミングの世界でフレッドが成し遂げた偉業は他の誰にもできないだろう。けれども見習うべきヒーローがいるのは良いものだ。そして僕はそのヒーローと山頂を共有できるという幸運に恵まれている。

このストーリーの初出はパタゴニアの2011年秋カタログで、2016年9月にパタゴニアの「クリーネストライン」に投稿されたものです。

2003年7月マウント・アダマントの頂上でのふたり。セルキーク・マウンテンズ、ブリテッシュ・コロンビア。 Photo: Colin Haley
2003年7月マウント・アダマントの頂上でのふたり。セルキーク・マウンテンズ、ブリテッシュ・コロンビア。 Photo: Colin Haley

フレッド・ベッキーはアメリカの元祖ダートバッグの登山家。歴史的な初登と雄弁な本によって何世代ものクライマーを刺激してきたこの反逆的なアスリートの画期的な人生の物語を綴った、『ダートバッグ:フレッド・ベッキーの伝説』の上映ツアーをパタゴニア直営店を含む全国10か所にて2018年3月20日より開催します。お問い合わせ/ご予約は各ストアまで。詳細はこちらをご覧ください。

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