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二本剣
二本剣

「山」というフィールドでの新しいチャレンジ

By 花谷 泰広   |   2018/03/13 2018年3月13日

去年の今頃から、僕はいったい同じ道を何往復したことだろう。昨年の4月から甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根にある七丈小屋の経営をはじめることになった。山梨県北杜市の尾白川渓谷にある標高770mの登山口から小屋までの距離は9km、標高差1600mの登山道となる。ここを来る日も来る日も歩荷した。一年で靴を何足か履きつぶし、カーボンでできた特注のインソールが驚くほどすり減っていたが、そのおかげでずいぶんと足腰が強くなった。ハードワークではあるが、この一年の出来事すべてに感謝している。今回はそんな山小屋の経営や僕の新しいチャレンジについて書いてみたい。

秋の七丈小屋
秋の七丈小屋
夏のボッカ。だいたい30キロオーバー。
夏のボッカ。だいたい30キロオーバー。

思えば物心ついた頃から山は身近な存在だった。山に登ること、山に関わることは僕にとっては生活の一部であり、特別な行為ではない。10代はあえて言うなら下積み期間。とにかくたくさん歩いた。20代は荒削りで危うい時期ではあったが、多くの経験を積むことができた。30代で山岳ガイドとなり、それを職業としながら自らの登山を追求した。両者はまさに人生の両輪であり、それぞれが刺激し合いながら高めることができた時間だと思う。そして40代に差しかかるときにも転換期があった。ヒマラヤキャンプというプロジェクトの立ち上げと、山小屋の経営をはじめたことだ。こいつはまた何を言い出したのかという反応が多かったが、多くを語らずはじめることにした。

山登りををはじめたおそらく3歳ごろの写真。神戸で生まれ育ったので、もっぱら神戸の裏山、摩耶山や六甲山に登った。
山登りををはじめたおそらく3歳ごろの写真。神戸で生まれ育ったので、もっぱら神戸の裏山、摩耶山や六甲山に登った。
ラトナチュリ(7035m)山頂にて。大学2年生の秋、20歳。これが初めてのヒマラヤの経験で、これがいまに続いている。
ラトナチュリ(7035m)山頂にて。大学2年生の秋、20歳。これが初めてのヒマラヤの経験で、これがいまに続いている。

自分で言うのも何だが、ガイド業を含め仕事は順調で、時間もほぼ自由にコントロールでき、好きなときに好きなことを好きなだけできる環境だった。そんな恵まれた環境を捨てて、なぜあえて新しいことをはじめたのか。もうすぐ40歳を迎えようとしていたちょうどその頃、僕は今後の自分の生き方や山との関わり方を考えるようになっていた。そして自らの登山をより深めていきたいという欲求だけでなく、これまで受け継いできたものを次の世代に継承したいという思いが強くなったと感じたので、思い切ってそちらに舵を切ってみることにした。大学時代に野外教育を学んでいた影響も大きかったと思う。

登山界の問題のひとつに、先輩から後輩、つまり上から下への継承が途絶えはじめているということがある。その原因のひとつとして、山岳会や大学山岳部などのグループや組織がどんどん衰弱していることが挙げられる。消滅したものも少なくない。これまで僕は多くの先輩方からたくさんのことを教わり、自分なりに咀嚼して自らの登山を深めていった。そして僕もまた後輩たちにいろいろなことを残していったつもりだ。それが当たり前の時代に育ったが、新たに登山をはじめた人たちの多くが、そういうグループや組織に属することはなく、個人やゆるやかなコミュニティーで自らの登山を深めている。これからのスタイルなのかもしれないし、それを否定するつもりはない。しかしそれによって、先人からの継承が途絶えてしまうのは寂しい話だ。現実的にどこでどうやって登山を学べばいいのか、という悩みを抱えている登山者も多い。

ヒマラヤなどの海外登山も同じで、初めてのヒマラヤ登山が経験できる受け皿がほぼない。僕は20歳で初めてヒマラヤ登山を経験した。ちょうどそのとき、先輩たちがヒマラヤに行く計画を立てていて、そこに連れて行ってもらったからこそ得がたい経験できた。このときの経験がなければ今はない。難しいことは抜きにして、僕はやっぱり多感な若い頃に海外の山や文化に触れることは大切だと思っている。これからの時代は、これまでのようなグループや組織に代わる受け皿が必要なのだ。

大学時代(30泊31日で南アルプスを縦走中)
大学時代(30泊31日で南アルプスを縦走中)

ヒマラヤキャンプは今回で三回目。多くの企業や個人の応援を得て活動を続けることができた。しかし今のままでは花谷という存在がなくなると継続できなくなるので、今後はより一歩踏み込んだシステムを構築したいと考えている。ヒマラヤキャンプが解決できる継承問題はほんの一部でしかないけど、「継承」がキーワードのアイデアがまだいくつかあるので、それを実現させていきたい。

第三回ヒマラヤキャンプ合宿風景
第三回ヒマラヤキャンプ合宿風景

そしてヒマラヤキャンプをはじめたことで、自分の中にも変化が起こった。国土の7割近くが山地である恵まれた環境である日本で、もっと多くの人々が登山に親しむ世の中にしたいと思うようになった。それは観光による地方創生や、高齢化社会における健康増進などと言った点で、地域や社会にも貢献できるのではないだろうか。当時は具体的なアイデアはまったくなかったが、つねにアンテナの感度を高めて自分にできることは何か探っていた。

七丈小屋を引き継ぐ直前。屋根の雪下ろし。
七丈小屋を引き継ぐ直前。屋根の雪下ろし。

山小屋の話は、まさにその最中に舞い込んできた。七丈小屋は先代の管理人が20年間ひとりで守り抜いてきた。僕は10年ほど前から仕事でもトレーニングでもよく通っていたので、堅物で通っていたクライミングにも精通している管理人とは仲が良かった。今から4年前に、その方から後継ぎに手を挙げてくれそうな人を探しているという相談を受けた。「誰かいい人いないかねー、花ちゃん」という問いに、言葉を濁した。そんな人、いるわけがない。ご存知の方も多いだろうが、ここは標高差2200mある甲斐駒ヶ岳黒戸尾根を、標高差1600m登ったところにある超僻地。しかも通年営業小屋だ。従業員を雇えるほどの売り上げはないかもしれない。とすれば、必然的にたったひとりでやるしかない。こんな条件を引き継ぐ人はなかなかいないだろう。それにこのときは、僕自身も山小屋をただ運営するという視点しかなかった。

しかし次の年にもまたそういう話になったとき、そのときは何か閃くものがあった。一年前より自分自身の考えが深まり、少し具体的になっていたのだと思う。小屋を経営する大変さよりも、その先に広がる未来に希望を感じた。何よりもこれなら地域や社会に貢献できそうだ。山に囲まれたこの地だからこそできる可能性は無限大。それらが一気に線になってつながるのを感じた。

なぜそれがつながるのか。それは七丈小屋が山梨県北杜市の公共施設だからである。管理人は指定管理者であり、公共施設を民間が経営するというスタイルなのだ。当然市との関係が深くなり、行政と一体になってさまざまなことを進められる可能性がある。その結果として地域や社会に貢献できるのではないかと考えた。しかしまずは山小屋の安定的な運営を達成しなければ、本来の目的を叶えることはできない。あらゆる経営努力をしなければならないが、甲斐駒ヶ岳という唯一無二の名峰の山小屋である。非常に楽観的だが、直感としてこれはどうにかなると思った。もうこうなったら僕の頭はいっぱいだ。動き出すしかない。

甲斐駒ヶ岳黒戸尾根を象徴する景色。岩の上に突き刺さった2本の剣と背後の鳳凰山、富士山。
甲斐駒ヶ岳黒戸尾根を象徴する景色。岩の上に突き刺さった2本の剣と背後の鳳凰山、富士山。

指定管理者の選定は、事業計画のプレゼンで決まる。自分がやりたいこと、思い描く未来をそのままぶつけた。それがどう響いたのか僕には分からないが、ヒマラヤキャンプでネパールから帰ってきた何と翌日に市から決定の通知が届き、準備と運営の怒涛の日々がはじまったのであった。

それから一年余りの間、とにかく走りつづけた。いままでずっとこの業界でお仕事をいただいてきたが、山小屋でちゃんと働いたことはなかった。10月のある日は50人分の夕食の準備をしながら、一年前の今頃はヒマラヤの氷河の上にいた自分を思い出した。信じられないかもしれないが、僕自身が厨房で夕食を作ったりもしている。本当にゼロからの挑戦だった。しかしスタッフみんなで試行錯誤をしながら、何とか乗り切ることができた。こんなに濃密でエキサイティングな一年は今までになかった。山小屋の管理人になることで、登山者との接点が増えて世界が広がった。登山者との距離感をどう測るべきかまだ試行錯誤をしている最中だが、管理人の仕事は本当に面白いしやり甲斐がある。小屋の評価は口コミや売り上げとなって明らかになるので、今年度はご祝儀、来年度こそ真価が問われると思っている。まさに今後もすべてが挑戦である。

ある日の夏の夜。山岳医の先生による医療レクチャーも開催された。
ある日の夏の夜。山岳医の先生による医療レクチャーも開催された。

しかし本来の目的を忘れることなく、できる範囲で取り組むこともできた。時間はかかったが、多くの方々のご協力を得て、北杜市内の登山マップを作成できたこと。登山ルートの難易度を、スキー場のコースのように難易度別に色分けして表記した。これまで実線と点線でしか表示がなかった登山ルートの難易度が、ひと目で分かるようになっている。求められるスキルも明示されているので、事前に危険箇所を把握できるだけでなく、段階的なステップアップのアドバイザーとしても機能するだろう。北杜市を訪れてくれる登山者に少しでも役に立てればいいと思うし、何よりもその地図を利用した登山者に北杜市のリピーターにもプロモーターにもなってもらいたい。今年度末か来年度初めにはリリースできる予定だ。今後は登山地図アプリとの連携だけでなく、難易度別に求められるスキルをしっかり学べる受け皿を作りたいと思っている。まだまだ道半ばではあるが、着実に進行中である。

医療団体と北杜市との連携もはじまりそうだ。昨年夏は自主事業として七丈小屋を拠点にして医療パトロールという活動を行っていただいたが、その取り組みを市がバックアップしてくれることになりそうだ。これが実現すると、今後は山に登れるドクターが甲斐駒ヶ岳だけでなく八ヶ岳や瑞牆山といった北杜市内の山で、登山者に対する医療的なアドバイスができるようになる。来年度はより具体的な登山者への啓発活動として、登山者に役立つ医療講習会などを主催したい。

そして第三回目のヒマラヤキャンプの出発まであとひと月となった。今回もネパール・ヒマラヤの6000m級の未踏峰の初登頂を目指して、ヒマラヤ初めての若者たちと過ごしている。今回は行き先をあえて公表せず、現地からの情報発信を通して応援して下さる皆様とともに歩みたいと思うので、ぜひ期待していただきたい。

登山文化の継承と発展に貢献し、多くの人々が登山に親しむ世の中を作る。40代になってようやく少し自分の目指す方向が見えてきた。どうも僕は、人生をかけて山と関わっていくようだ。

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