クリーネストライン


1968年12月20日午後8時、フィッツロイの山頂に立つ「FUN HOGS(飽くなき冒険者たち)」ことディック、ダグ、イヴォン(左から右へ)。この幕は、地元の人たちには「体育会系の豚肉」といいかげんに訳された。全写真:クリス・ジョーンズ
1968年12月20日午後8時、フィッツロイの山頂に立つ「FUN HOGS(飽くなき冒険者たち)」ことディック、ダグ、イヴォン(左から右へ)。この幕は、地元の人たちには「体育会系の豚肉」といいかげんに訳された。全写真:クリス・ジョーンズ

フィッツロイ、1968

By ダグ・トンプキンス   |   2018/04/18 2018年4月18日

5 人の有能で知的なカリフォルニアの「飽くなき冒険者たち」は、なぜこの「遠征ゲーム」に巻き込まれることになったのだろうか。事は予測可能ではなかったのか。もちろんだ。それは実際ぐうぜん起きたことで、計画していたことではなかった。すべてがはじまったのはカリフォルニア州ベンチュラの、ある晴天の朝だった。僕がちょっくらサーフィンでもしようと、ビーチのそばに住んでいたイヴォン・シュイナードを訪ねたときに、だ。その日は朝からすでに暑く、僕らの会話はすぐに寒い地方のことになった。以前にアルゼンチン人のクライマー、ホセ・ルイス・フォンルージュがカリフォルニアに来て、そのときパタゴニアのスライドを見せてくれたことがあった。フィッロイ山群に行きたいと思わせるには、それなりの写真が1枚あればいい。イヴォンは 1952 年にフランス人がフィッツロイを初登したときの話を本で読んだことがあると言い、その自伝でリオネル・テレイは「最もハードで美しい登攀」だと語っていたと言い足した。そして、計画はその朝、練られた。他には誰を誘おうか。いつ、どうやって。まあ、どうにかなるだろう……。

いよいよ 7 月中旬に出発することが決まった。パタゴニアが春になるころに到着するよう、ゆっくりと旅をし、悪名高き夏の風が訪れる前に、天候に恵まれることを期待して。しかも僕らは「遠征ゲーム」の戦術を変えたかったから、それに必要な肉体と精神を鍛える計画を練らねばならなかった。ベルを鳴らして「オーム」と唱えるだけでは十分ではない。そんな受け身の訓練はサーフィンやスキー、それに多国籍料理を試食しつづければ置き換えることができる。だから僕らはカリフォルニアから車で出発し、山には陸路でアクセスすることにした。道中の中南米の西海岸でサーフィンをし、チリで 1 か月スキーをして、パタゴニアにはそれから向かう。とにかく僕らは 6 か月間、「飽くなき楽しみ」を追求するつもりだった。計画は計画の上に、空想は空想の上に重ねられ、その日の夕暮れまでには旅行中の大旅行を作り上げた。僕らは夜中にアイスクリーム屋に忍び込んで、巨大なサンデーやバナナスプリットを作る子供のようだった。何もかも自由で、いつもはシロップをケチる店員もいない。そんな自分たち自身を耽溺という罪の意識から守るため、僕らは旅行の全過程から映画を作り、それをビジネス・ベンチャー、冒険的事業だとしてごまかすことにした。

ディック・ドーワースがこの旅に加わることになった。彼はベテランのスキーレーサーで、一時は世界記録保持者だった。そしてそのころ別の遠征でペルーにいたクリス・ジョーンズが、リマで「飽くなき冒険者たち」に合流できると手紙をよこした。リト・テハダ・フロレスはヨセミテのエル・キャピタンでの映画撮影の仕事を終えたばかりで、写真家として同行することをよろこんで引き受けてくれた。こうして「飽くなき冒険者たち」は準備万端となった。リトと僕はバンに、クライミング、サーフィン、スキー、そして映画撮影のための道具をいっぱい詰め込んで、7 月12日にサンフランシスコを出発した。それからベンチュラでイヴォンとディックをピックアップし、うだるような暑さのなかをメキシコ国境へと向かった。「カリフォルニアの飽くなき冒険者たちの最初の遠征」は、こうしてはじまった。

Climbing Fitz Roy, 1968 日本語版より抜粋

パタゴニアのどこかを走るフォード・エコノラインのなかのイヴォン・シュイナード、ディック・ドーワース、リト・テハダ、フロレス(左から右へ)。後部に積まれた光沢のあるアルミケースはナグラ製の録音機材。この時点で、旅のはじめに積んでいたサーフボードとスキーは車から下されていた。
パタゴニアのどこかを走るフォード・エコノラインのなかのイヴォン・シュイナード、ディック・ドーワース、リト・テハダ、フロレス(左から右へ)。後部に積まれた光沢のあるアルミケースはナグラ製の録音機材。この時点で、旅のはじめに積んでいたサーフボードとスキーは車から下されていた。
ベースキャンプまで運ぶための荷物を担ぎすぎて、立ち上がるのに苦労するイヴォン。彼がはいているフランスのル・フォック製ブーツは、靴ひもの部分をゴムのフラップで覆うという独創的なデザインで、当時は優れたブーツだった。
ベースキャンプまで運ぶための荷物を担ぎすぎて、立ち上がるのに苦労するイヴォン。彼がはいているフランスのル・フォック製ブーツは、靴ひもの部分をゴムのフラップで覆うという独創的なデザインで、当時は優れたブーツだった。
映像制作者リト、イタリアン・コルの近くにて。彼はヴュアルネのサングラス、スキー帽、フランスのスキースクールのジャケットという出で立ちで、それは当時流行のスキーファッションだった。
映像制作者リト、イタリアン・コルの近くにて。彼はヴュアルネのサングラス、スキー帽、フランスのスキースクールのジャケットという出で立ちで、それは当時流行のスキーファッションだった。
第2氷洞の内部:缶詰、調理用具、氷洞を掘るのに頼りになった鉄製シャベル(ドライブの道中の金物屋で買った)。この鉄のシャベルなしにはおそらく登攀は不可能だっただろう。ここの氷は当時のアメリカ製のスノーシャベルなど歯が立たないほど固かった。
第2氷洞の内部:缶詰、調理用具、氷洞を掘るのに頼りになった鉄製シャベル(ドライブの道中の金物屋で買った)。この鉄のシャベルなしにはおそらく登攀は不可能だっただろう。ここの氷は当時のアメリカ製のスノーシャベルなど歯が立たないほど固かった。
ダグ、ディック、クリス、イヴォン(左から右へ)。髪はぼさぼさ、でもそこそこの衣服に着替えて有頂天。アイスアックスがそこに威厳を加えている。
ダグ、ディック、クリス、イヴォン(左から右へ)。髪はぼさぼさ、でもそこそこの衣服に着替えて有頂天。アイスアックスがそこに威厳を加えている。
フィッツロイ、1968

Climbing Fitz Roy, 1968 日本語版イヴォン・シュイナード他著 パタゴニア刊、『Mountain of Storm』のDVD付き(無くなり次第終了)

時代の転換期にあったこの年、歴史的な大ロードトリップに出た 3 人のロッククライマーと 1 人のスキーヤー、そして 1 人の映像製作者。カリフォルニア州ベンチュラのビーチ沿いの掘っ建て小屋から出発し、南米パタゴニアのセロ・トーレの麓を目指して、道がなくなるまで約 13,000キロの距離を旅したこの 6 か月の冒険は、カルト的クラシックとなる 2 つの映画(『Mountain of Storms』と『180°South』)を生み出すとともに、同地の名を冠する企業と、いまに残る登攀を築くこととなった。本書に掲載されている脳裏に焼きついて離れない力強い写真の数々は、火災で焼失されたと思われ、長いあいだ忘れられていたコレクションである。5人のクライマーからの回想によって綴られたストーリーとともに、いまよみがえる。

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