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ラ・カルデラ:大きくて風が強く、どこか空虚。Photo: Miguel Arribazalaga, 2013
ラ・カルデラ:大きくて風が強く、どこか空虚。Photo: Miguel Arribazalaga, 2013

シュレーディンガーのピークでのジレンマ

By トニー・バット   |   2018/04/24 2018年4月24日

日没まであと1時間ぐらいだっただろうか。その場所は、思っていたよりもずっと簡単に見つかった。幹線道路から5分、岸壁からもすぐに見える距離だ。数週間前に友人がこの海岸一帯で見たという「ブレイクポイント」。きっとここに違いないと思ったが、平凡な波に見えた。おそらく3~4フィート(0.9~1.2m)ぐらいで、リーフに打ち付けては沖へと引いていく。この波でサーフィンをする奴なんているのだろうか。そもそもサーフィンができる波なのだろうか。

僕は試しにやってみることにした。岸壁の曲がりくねった道の先にある小さなビーチまで下り、そこからパドリングでブレイクポイントまで10分ぐらいと見積もった。ボードは2つ持ってきていたが、1本乗ったら早々にパドルバックしてボードを交換しようと思っていたので、1つはビーチに残した。

結局、10分かけてショアブレイクにたどり着き、20分かけてラインナップに向かってパドルアウトする。ようやくポイントに着いて振り返ると、自分が今パドリングしてきたビーチは遠くにあり、海の白い泡と灰色の岩に囲まれた黄色く細い筋のように見えた。そして、「リーフに打ちつける」レベルの3~4フィートの波は6~8フィート(1.8~2.4m)となり泡立つ厚い海面にクラッシュしている。ナーバスになりすぎて、山の背後に沈んでいく美しい夕焼けを楽しむ余裕もなかった自分を情けなく思う。

1本乗ってすぐに退散した。ビーチへ着き、車まで戻り真っ暗な中で着替える。ビーチにもう1つのボードを置いたままにしていたことを思い出し、再び岸壁を手探りで下りていく。戻る途中に出会った漁師に微笑みかけてみたが、睨まれただけに終わった。僕が商売敵で彼らの海に入ったと勘違いしたのか、単に外国人が苦手だっただけかもしれない。

そんなことはどうでもいい。僕は急いで町へと戻り、サーフショップを見つけて店員に例の波の名前と、あの波に乗ったことがある人がいるか尋ねてみた。ところが、彼らは僕が何の話をしているのか分からないようだった。実に妙だと思いつつも、ワックスを1つ買って店を出た。先ほど海で体験したことはそんなに些細な出来事だったのだろうかと首をかしげながら、ひとりで町をぶらついた。

パドルアウトに最適なチャネルを探す。Photo: Juan Fernandez, 2004
パドルアウトに最適なチャネルを探す。Photo: Juan Fernandez, 2004

あのファーストセッションから、来る日も来る日もあの波のことが頭から離れなかった。あそこが本当に絶好のサーフスポットというならーそうだと確信していたのだが、町の人たちはなぜあの波に乗らないのか。どう考えても岩壁からは丸見えだし、海岸一帯のサーフィンが盛んで大きな町にも近いポイントなのに。新しい遊び場を見つけたのになぜ他の子はここで遊ばないの、と不思議がる子どものような気分だった。

その後、偶然にもその実態を知ることになった。その波は地元のサーファーたちの間ではすでに有名で、少なくとも僕がやってくる15年前からその波の存在は知られていたことが分かった。でも誰もあそこまでパドルアウトして波に乗ろうとは思わなかったらしい。多くの人にとってシュレーディンガーのピークは、予測不能で危険な近寄ることのできない場所であり、苦労やリスクを背負ってまで行くような場所ではなかったのだ。しかしそれは、波のうねりや風、潮の流れのさまざまな条件下で、あの場所をきちんと確認しようとした人がいなかったということでもある。それゆえ、シュレーディンガーのピークは日の目を見ることのないまま、白波と岩、そして無関心というベールに包まれてしまったのだ。

1週間後、友人を説得して一緒にパドルアウトすることになった。前に行った日よりもかなりラインナップが多く、僕の自信はさらに増した。例のビーチから、ブレイクの反対側にある岩の辺りへと必死で進み、スタートポイントを見つけて、それぞれわずかな波に乗った。お互い無知な者同士が教え合うように、未知なる領域を手探りで進む。友人もここがサーフスポットとして高いポテンシャルを持っていることに頷いていたが、僕が経験した最初の2回よりも遥かに大きな波に乗れるかについては疑問を感じていたようだ。どこにパドルアウトすればいいのか、どうやって戻るのか、ボードをなくしたらどうすればいいのか、と。シュレーディンガーのピークは、僕の「トライして忘れ去ったサーフスポット」リストに名を留めるに終わり、初めてあの波に乗った日の興奮は、遠い日の思い出となるのだろうか。

これは2004年の出来事だが2018年の今、シュレーディンガーのピークは決して忘却の彼方になることはないし、あの日の興奮も遠い過去の記憶になどなっていない。実際、シュレーディンガーのピークを経験した後の10年を振り返ってみても、僕のサーファー人生の中で、大きな意味のある出来事の1つだったと言える。

インサイドリーフ、ラ・メシタで早朝のセッション。Photo: Juan Fernandez, 2004
インサイドリーフ、ラ・メシタで早朝のセッション。Photo: Juan Fernandez, 2004

それから2、3年の間、僕はひとりであの場所へ行き何度もセッションをしたが、ほとんどが比較的小さなうねりだった。ビッグデーには、波がピークにした時の複雑な動きや、険しい岩の上に容赦なく襲いかかってくる波、捕まったら出口が見つからないような波を把握しようと、何時間も座って波を眺めた。そして、そこに2つ目のリーフが存在することにようやく気がついた。僕がサーフィンをしていたリーフのそばにさらに別のリーフがあったのだ。アウトサイドのピークはインサイドに比べて予測しやすいし、たとえ大きなブレイクがあったとしてもさほど怖くはない。良いうねりでアウトサイドのピークがインサイドのピークとつながると、より長く波に乗ることができ、素早くインサイド側を通り抜けるチャンスがやってくる。

ビッグデーは大きめのボードで挑むことにした。徐々に、ここにチャネルがある、あそこに裂け目があるといった具合に把握していくと、ビッグデーがかなり乗りごたえのあるものに見えてきた。うねりと潮流のちょうどよいコンビネーション、各セットの合間にたっぷりと流れる長い穏やかな時間。それにより当初思っていたよりもかなり大きな波に乗ることができた。ビッグデーに岩から飛び降りるという危険を冒すつもりもなく、初めて訪れた日と同じようにいつものビーチから25分かけてパドリングする。ひとたびビーチを離れたらかなり慎重になり、自分が乗れると思った波でテイクオフする。ビッグデーの干潮時には波の底に渦巻く巨大なボイルが見え、この場所に対する恐怖心をさらに煽る。そんなボイルにちなんで、アウトサイドの波を「ラ・カルデラ」、インサイドの波はその厚みから「ラ・メシタ(テーブルの意)」と名付けた。

ラ・カルデラでビッグデー。Photo: Fran Sanchez, 2008
ラ・カルデラでビッグデー。Photo: Fran Sanchez, 2008

僕なりの「地図」が明らかになるにつれて、はじめは想像もしていなかったことが見えるようになった。流れが速い場所、遅い場所、ボイル、バブル、リップ(裂け目)、チャネル、絶対に避けたい場所を含め、当初は判読不能に思えた無秩序な白波、岩、うねりの法則が明確に分かってきたのだ。まるで複雑な楽譜や新しい言語と同じで、初めは聴くものすべてが早口で意味不明だったのが、段々と1つ1つの音を把握するようになって意味が分かるといった感じになってきた。僕はシュレーディンガーのピークのことがとても好きになっていた。この波のことをほとんど分かっていなかったのに、風、潮流、うねりのコンディションのあらゆる組み合わせによる性質、日々の変動と、その構造の随所に詳しくなっていった。

初めてのセッションから約8年。僕が抱えている最大の悩みはラインナップに加わってくれる仲間を探すことだった。僕はこの海岸でサーフィンをする友人たちに必死で電話をかけメールを送った。ダメと言われれば、他に興味のある人がいないか念のため聞いて回ってほしいと頼んだ。誰も来なければ、ひとりでパドルアウトしたり、ときには岩に座ってその波でサーフィンをするイメージトレーニングをしたりした。どんなときでも常に新しい何かを習得していたのだ。

仲間になってくれたサーファーは、まだビッグウェーブを体験したことがない人たちが比較的多い。でもみんな上手なサーファーや強靭なスイマーで、僕の半分の年齢の人もいた。彼らにボードとリーシュを貸し、パドルアウトやテイクオフ、波に乗るポイントを教えた。多くの人が出入りし、そのうち少数のメンバーは定期的にやって来るようになった。

「ラ・カルデラ」が崩れるタイミングで「ラ・メシタ」のレフトに乗る。
「ラ・カルデラ」が崩れるタイミングで「ラ・メシタ」のレフトに乗る。

シュレーディンガーのピークを秘密にしておくのは無意味なことだ。そんなことをしてもここでさらに孤独になるだけで、そもそも他のサーファーにここへ来るなという権利は僕にはない。僕は競争心が強いタイプではなく、自分が見つけたものを独り占めにするよりも常に共有したいと思っている。とは言いつつも、この場所が知られすぎてしまうというのもどうかと思う。人がたくさん集まるようになると、無頓着でチャレンジ精神旺盛なサーファーもやって来る。そうなると、かつてこのラインナップの環境を守ろうと尽力してくれた多くの人たちを裏切ることになるのではないだろうか。

それだけではなくジレンマは他にもある。そのことについては、Save The Wavesの仲間と幾度となく話し合った。もしも、ある日突然、海岸工事などが行われてシュレーディンガーのピークが存続の危機にさらされたらどうなるだろう。もしくはこのポイントの人気がますます高まって人が増えた時に、荒らされてしまう危険性もある。サーフィンコミュニティはこのサーフスポットを守ることに十分な興味を示しているだろうか。

この問題は、かの有名なマデイラ諸島のジャルディン・ド・マールのケースで取り上げられたことがある。1994年に『Surfer Magazine』誌が記事で紹介するまで、ジャルディン・ド・マールにワールドクラスの波があることは、世間でほとんど知られていなかった。ジャルディン・ド・マールは北大西洋に浮かぶ小島にある大きな崖の下のさびれた小さな村に過ぎず、1994年以前にマデイラ諸島に向かう欧米人サーファーなんてほんの一握りだった。彼らの間では秘密とされていた場所だったのだ。そして自治体が天然の海岸をひどく干渉する巨大な防波堤を造ることを決定して波を台無しにしようとした時、サーフィンコミュニティのロビー活動にそれを食い止める力はなかった。Save The Waves製作の映画『Lost Jewel of the Atlantic』(大西洋の失われた宝石)の中で、当時『Surfer Magazine』誌の編集担当だったサム・ジョージはこう語っている。

「サーファーのみんなは、新しいスポットの記事や写真を見ることに貪欲な一方で、そのスポットを濫用したいと思っているわけではない。そして、自分たちと同じように他のサーファーがそこへ行くことを嫌う。おいおい、どこにあるのかを教えるのはやめろよ、という気持ちがどこかにある。それは、そういう場所を守るために一緒に立ち上がろうとみんなに呼び掛けた人たちが抱いた、歯がゆい想いの大きな原因なんじゃないかな」

またこう言う人もいる。大好きなサーフスポットや海岸が、将来誰かの手によって破壊されることを心配するなら、世界中にその場所を知らしめればいい。そうすればもし恐れていた日がやって来た時、それを食い止めるロビー活動ができるからと。一方で、人が集まりすぎることも結局、サーフスポットがある意味で壊されてしまうことに変わりはないから、その場所をたくさんの人に公表して知らせるのはよろしくないという意見もある。

絶好のサーフスポットの近くに生まれ育つという感覚、もしくは自分が愛する場所で一生を終える感覚がどんなものなのか、僕には知るよしもない。でも、サーフスポットをゼロから育て、10年以上かけてその場所に徐々に命を吹き込み成長していく姿を見ることができるという特権にあやかれることで、それに似た感覚を味わえるのだろう。初めてシュレーディンガーのピークに出逢った時、サーフィンなんてできる場所じゃないと思った。でも今は、この場所がワールドクラスのビッグウェーブスポットになれる日が来ると信じている。とはいえ、他の人が介入するようになると、初めて出逢った純真無垢な日から長年の間、シュレーディンガーのピークが僕にかけていた魔法は解けてしまうだろう。それもまたとても悲しく思う。

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