2018年、6度目のパタゴニア
2018年1月。積年の課題であるフィッツトラバースを目的に、ぼくは家族と一緒に麓のエル・チャルテンを訪れた。今年は運がついているのか、着いた早々に晴天がやってきた。とりあえずはウォームアップということで、増本亮・さやか夫妻にくっついて山に向かうことにした。目指すはアグハ・ギヨメ北壁の「ギロティーナ(ギロチンの意)」というルート。上部核心のピッチがいまだにフリー化されていないらしく、それならフリー化してやろうと取り付いたはいいが、ルート選択に手こずり、思いのほか時間を食う。そうこうするうちに、西側から怪しげな雲がどんどん押し寄せてきた。一気に強風が吹き荒れはじめ、登っている最中も体を安定させるのにひと苦労。ビレイしていても、強風にさらされた体は寒さでこわばっていく。それでも、オールフリーで登ってやろうという思いを抱いて核心ピッチを増本亮がリードするが、ルーフ部分で手の感覚がまったくなくなり、フォールを喫する。
「さっさと抜けようぜ!」こんな状況になってしまっては、フリーだとかなんとか言っていられない。クラックに突っ込んだギアを掴んで上を目指す。どんな手段を使おうが、上を目指すという行為そのものが冒険的要素をはらんでいる。
稜線に出ると、風はますます狂暴になってきた。ここから先は技術的な難易度は低くなる。その分だけ岩稜や雪稜を同時に登攀して時間を短縮しなければならないのだが。冷静に考えれば、このまま登攀を続行することそのものに疑問符がつくほどの強風だったし、時間もすでに夕方6時。さっさと降りて安全圏に逃げ込むのが賢明な判断だったかもしれない。だけど山頂はもう目と鼻の先。帰るという選択肢は心の奥底にひっこめてダッシュで山頂を目指し、タッチするや否や下降を開始した。懸垂下降のためにセットしたロープが風にあおられてリッジの向こう側に消えるたびに肝を冷やす。トリッキーな懸垂下降を数回やり過ごし、風の少ない東側のガリーに入ってようやくひと安心。そこから先の懸垂下降を首尾よくこなし、登頂から1時間半後には安全圏に降り立っていた。
「いやぁ、ギリギリセーフ!」
「グッジョブ!」
暗闇はもうすぐそばまで迫ってきている。ベースキャンプへと向かう岩屑の転がる斜面を、強風に足元をすくわれ、時折本気で吹き飛ばされながら下ってゆく。ウォームアップのための短いルートだったし、クライミングスタイルも理想とはほど遠かったが、それでも強風のなか山頂に立った事実に満足感を覚えながらベースキャンプに戻ると、同時期に入山していた2人の友人が心配そうにぼくたちが下りてくるのを待っていた。悪天候のなか下山が遅れて心配をかけたことを詫び、それでも山頂に立ったことの素晴らしさを語るが早いか、彼らが一言。「テント、ズタズタに潰されているよ」
風はさらに勢いを増し、立っているのがやっとの状況。這いつくばいながら周囲に散乱した荷物をまとめ、ふたたび強風によろめきながらさらに標高を下げて樹林帯に逃げ込み、テントを張ったときには起床してから21時間が経過していた。
ぼくは以前、パタゴニアでのクライミングがよりスポーツ的(冒険的要素を極力排除して、フリークライミングやスピードといった付加価値を求めるといった動き)になってきているという旨の発言をしたことがある。それはある意味正解なのだが、あくまでも天気やコンディションなどの条件が整っているときにのみ当てはまる言葉だ。天候がひとたび荒れれば、いやでも生命維持の機構をフル回転させられる、それがここでのクライミングだ。
また、パタゴニアでのクライミングを「waiting game」だと言う人がいる。つまり、連日荒れ狂う嵐をどうにかしてやり過ごし、つかの間の晴れを突いて山に向かう。フィッツトラバースのように、成功のために数日を必要とするプロジェクトを持ってしまった日には、いつ訪れるともわからないビッグウィンドウを、数シーズンにわたって待つことになるかもしれない。その我慢を嫌って、ここでのクライミングに見切りをつけるクライマーも少なくない。ただアラスカの氷河のように、嵐になったら食べるか飲むかしかやることのない生活と比べれば、ここにはボルダリングもスポーツクライミングもあるという意味で心身ともにストレスは少ない。それもまた、ぼくが毎年のようにここに通う理由のひとつなのだが。
そして冒頭のエピソードのように、短い晴天周期をいかにして過ごすかという選択もまた、ここでの滞在を有意義にできるか否かのカギを握っている。ビッグプロジェクトだけにしか目がいかないと、どうしても簡単なクラシックルートには食指が動かないものだが、山に入って簡単でもなんでもクライミングをして山頂を目指してみれば、案外と新しい発見があったりするものだ。そして今回のように、やっぱりここも山だったんだと目を覚まさせられるような、想定外の冒険を味わうこともある。
結局、今回のパタゴニアではその後もまともな晴天周期が訪れることはなかった。山は見たこともないような白さで雪をまとい、雲の後ろに見え隠れしている。街でも強風が吹き荒れ、そんなときはとてもじゃないが今から山に向かって歩き出そうなんて気持ちはこれっぽっちも起こらなかった。フィッツトラバースには一切手を触れないままあっという間に1か月半が過ぎ去った。それでも短い晴天をついて山に入り、合わせて4本のラインを試みた。だけど成功は簡単な既成ルートからの2度の登頂のみで、それ以外のトライは失敗に終わった。クライマー的観点だけから見てしまえば、これまでで一番成果のないシーズンだった。
今回は妻と、五歳と三歳になる2人の息子たちも一緒にパタゴニアを訪れた。4か月間にわたる家族クライミングトリップの最初の訪問地として、フィッツロイの麓エル・チャルテンを選んだのだ。ここなら街での滞在中は妻も一緒にクライミングが楽しめるし、息子たちも一緒に森の中で遊んでいられる。トレッキングに出れば、ぼくが世界で一番美しい山だと信じてやまないフィッツロイ山群を見せてあげることもできる。来年には長男も小学校に上がるので、家族全員でこうやって長期ツアーに出かける機会も減るだろう。
息子たちと一緒に過ごすとなれば、どうしても子ども中心の時間の流れとなって、朝早くから夕方遅くまでクライミングに出かけることも難しい。じつは2014年にも家族と一緒にエル・チャルテンに滞在している(当時はまだ息子は一人だけだったが)。そのときもまた、連日の嵐に翻弄されてまともに山に入れる状況ではなかった。だがその分、家族と過ごす時間は増える。おかげで今回、ぼくが家族と一緒にパタゴニアでやりたかったことはすべてできた。ぼくのクライマー的満足度と相反して、我が家の満足度は非常に高い。
誤解のないように言っておくが、家族と一緒に過ごすことがぼく自身のクライミングに対して足かせになるようなことは一切なかった。ぼくの登山に最大限の理解を示してくれる妻のおかげもあって、少しでも天気が好転すれば山に向かわせてくれたし、結局なにひとつ成果を手にできなかったのは、単にそのチャンスが訪れなかったのと、ぼくがルート選択をミスしただけの話だ。むしろぼくにとっては家族と一緒に過ごすことで、安定した精神状態を保てたのは大きなメリットだったと思っている。
山は難しい。しっかりトレーニングをしなければ登れないのはもちろんだが、逆にどんなにトレーニングを積んでいても天気やコンディションなど、さまざまな条件が整わなければ登れない。パタゴニア6度目にして初めて知ったことも多い。晴れるかどうか微妙な天気のときに何ができるのか、目指す山では実際にどれだけの風と雨に晒されているのかといったことは、恥ずかしい話だけどこれまであまり深くは考えてこなかった。だがそういう条件下でぼくたち自身の行動について考えを巡らせ、実際に行動に移すという経験もまた、この地でクライミングしつづけるためには必要不可欠なプロセスだ。そして今後はより強くなるための努力を継続するだけでなく、この場所に通いつづけるというモチベーションを保つこともまた、ぼく自身のプロジェクト成功のための根本的な要素となるだろう。幸いにも現時点では、そのモチベーションだけはまったく衰えることはなさそうだ。
パタゴニアを発った後、ぼくたち家族はヨーロッパに移動した。これを書いている今はフランスに滞在中だ。帰国は5月中旬。帰国したら、また来シーズンのパタゴニアに向けていちから自分自身を鍛え直すつもりだ。