クリーネストライン


ラッセル山頂でホイットニー山を眺めながらシューズに入った石を取り除く。
Photo: Erik Schulte
ラッセル山頂でホイットニー山を眺めながらシューズに入った石を取り除く。 Photo: Erik Schulte

カリフォルニア14er(フォーティーナー)への挑戦

By エリック・シュルテ   |   2018/07/25 2018年7月25日

もうろうとしながら、汗臭い寝袋の中で身じろぎした。その夜をインディペンデンス・キャンプグランドにあるピットトイレのすぐ外の硬いコンクリート床の上で過ごしたのだ。僕の途切れがちな浅い眠りをトイレの悪臭が包んでいた。目を閉じ、今いる場所を忘れようとする。腰が硬くなり、腎臓も痛み、レディオヘッドの「4 Minute Warning」の歌詞、その最初の数行が頭の中で不気味に響いていた。

これはただの悪夢

すぐに目が覚めるさ

誰かが起こしてくれるはず

3日前、ジェスの車がカリフォルニア州ローンパインのタトルクリーク・キャンプグランドから走り去るのを見送った。僕は砂埃の舞う砂漠に1人残され、今後のチャレンジが不安になった。9日間、15座の14,000フィート(4,267m)を超える山々、そして延々と続くランニングとサイクリング。高く掲げた僕のゴールは、カリフォルニア州にある14,000フィート以上のすべての山を制覇することだ。ランニングとサイクリング、サポートを受けず、完全に自分の力だけの単独行で。

午前2時35分、砂漠での暖かい夜が過ぎ、乳白色で天幕のような星の下で目が覚めた。セットした目覚ましが鳴る10分前だったが、僕はしびれを切らしていた。3時にはラングレー山に向かうタトルクリーク川をさかのぼり、歩き始めていた。穏やかな早朝で、ようやく出発できていい気分だった。踏みならされた道を進んで行くと、程なく濡れた花崗岩のスラブを横切らなければならなくなった。「これがルートなのか?」僕はためらった。しかし、とどまらずに前進することに決め、泥と苔のついた小さな岩を使って反対側へと渡った。

最初の夜、タトルクリークで野営。Photo: Erik Schulte
最初の夜、タトルクリークで野営。Photo: Erik Schulte

渡ってみると、滝が行く手をさえぎっている。数秒の間、水がヘッドランプの光を通り過ぎて闇に流れ落ちていくのを見つめた。足を滑らせ、未知へと落ちていく自分の姿が目に浮かぶ。僕は苔むした岩を渡って戻ることにした。反対側に戻ると、100フィート(約30m)のレイバックセクションを見つけた。滝の上にある平らな台地らしき場所へまっすぐに伸びている。さっき目に浮かんだ死へ転落せずにすんだことに安堵した僕は、この予期せぬクライミングを楽しんだ。そしてすぐに、ラングレーへ向かうルートに戻っていた。

午前7時30分に登頂。僕が立てた非現実的な(とすぐに思い知ることになる)予定よりもほんの1時間半遅れただけだった。しかし、これがその日ずっと続くテーマとなった。トレイルのない草地で時間をかけてルート探をし、車より大きな花崗岩のボルダー越え、残雪を登り、かつてない孤独を感じていた僕は、ようやくホイットニー山へのトレイルを見つけ、天にも昇る気持ちになった。もうルート探しは不要。下を向いたまま突撃するだけだ。

僕は歓喜してガレ場の斜面を駆け下りた。ミュアー山からホイットニー山へは楽なトレイルだ。多くのハイカーたちを追い越した。僕のペースが速い、と誰もが言ったが、そうは感じなかった。

ホイットニー山の頂上から、切り立つ東壁をのぞき込んだ。エッジはすぐそこだったが、一日中感じていた自分自身の限界よりも遠い存在だった。単独で山に出かけると、自分の限界はそれまで思っていたよりもはるかに近いことに気付く。頼れる人はいない。決断を助けてくれる人や、正しいルートを進んでいるかを確認してくれる人もいない。この挑戦を続ける間、その教訓を繰り返し思い知ることになるが、ホイットニー山からラッセル山に向かう下山ルートではそれが特に明らかだった。

最初はマウンテニアーズ・ルートを下っていたが、やがて多くの人が通る比較的快適なこのルートを離れなければならず、ラッセル山とホイットニー山の間に広がる窪地へと降り始めた。崖に出てしまい、クラス5弱のクラックをクライムダウンしたこともあった。あるポイントでは、クラックに挟まっていた丸石に体重をかけた途端、2、3インチずれ動いて止まった。この愚かなムーブに一瞬身動きができず、数百フィート下の花崗岩を見下ろした。「快適」とは真逆の状況だった。脱出するために前進しか選択肢がない状況で、現状把握のために頭をフル回転させる。この先数マイルは救護所がなく、文句を聞いてくれる仲間もいない。動きを止めていたその一瞬、心配しながら手足をクラックにジャミングして、これは僕には難しすぎる、と感じた。窪地ははるか下にあり、ラッセル山はその向こうに不気味にそびえたっている。僕にある選択肢は、横になりそこで死を待つか、前進するかで選択の余地はなかった。

8~9時間の計画が実際は15時間かかってようやく自転車まで戻れた。それでも、多くの障害や後退を乗り越えたことに興奮しながら、僕は浮かれて自転車に飛び乗り、ローンパインで夕食を取ろうと走り出した。午後8時30分にはハイウェイに戻り、シェファード・パスに向かっていた。思うように進まず、道中でもっと水を飲むべきだった。11時30分には、舗装されていない道の脇に自転車を止め、寝床を作ってと砂だらけの砂漠の上に倒れ込んだ。

カリフォルニア14er(フォーティーナー)への挑戦

2日目はもっと気楽なスタートにした。少し自転車で進んだ後、午前7時頃にはトレイルを走っていた。1/4マイルほど走って頭を掻こうとしたときに、まだヘルメットをかぶっていることに気付いた。「ちぇっ!」自分の不注意に悪態をついた。手早くヘルメットを「ジョン・ミューア・ウィルダネス」の標識に掛け、誰も持ち去らないことを願った。「これは悪い兆しかな」と思ったが、すぐに考え直した。「兆しなんて迷信だ。ばからしい。先に進もう」僕は独り言をつぶやいていた。

しかしすぐに、兆しに関する考えを変えることになった。次の兆候はトレイルから外れ、その日最初の用足しをしたときだ。下を向くと、通常の薄黄色ではなく血のように赤い流れが目に入った。ぞっとした。この新しい兆しの深刻さが分からないまま、様子を見ることにした。僕は前進を続け、持っていた水をすべて飲んだ。2度目に小便をしたときには、シェファード・パス・トレイルのアンビル・キャンプまで到達していた。兆しは悪化し、赤黒かった。「くそ!」

おそらくこれは、引き返して立て直し、1日休息をとってこの目標に再挑戦すべきだ、というサインだったのだろう。僕は、小川の隣の草地で横になり、大量の水を飲んだ。近くでは雌鹿が草を食み、警戒の目でこちらを見つめていた。2、3時間後には、尿が通常の色に戻り始め、僕は先へ進むことにした。

その日は一日中、動きが遅く、ぎくしゃくとしていた。シェファード・パスの終点まで登ると、ウィリアムソン山へのルートを塞いでいたSUV車サイズのボルダーを、よろめきつつ乗り越えた。ルート探しであまりに多くのミスを犯し、スピードは遅く、体へのストレスもかかりすぎていた。午後3時にはウィリアムソン山の麓に着いた。頂上に立つために制覇しなければならない標高差2,000フィート(609m)を見上げる。山の上には積乱雲が湧きおこり、はるか西の方角では雲が集まり始めていた。僕の頭はのろのろと状況を分析した。進行が遅すぎることは分かっていた。巨大な花崗岩の塊の上で嵐に巻き込まれることを恐れ、引き返すという難しい決断をした。

「これがウルトラマラソンだったら良かったのに」と僕は思った。それなら諦めて最寄りの車に乗り込み、悲嘆に暮れていればいい。しかし、8,000フィートも下で砂漠の太陽に焼かれている自転車から15マイルも離れていた。涙が頬をゆっくりとこぼれ落ちた。雨が降り始め、僕は不機嫌によろよろとトレイルを引き返した。精神的に疲れ果てて自転車まで戻り、他のハイカーの車の陰にうずくまった。ひりひりと日焼けした脚からアリをはじきながら、次の行動を考えようとした。何かいい考えはないかと、ジェスに電話をかけた。小川で汚れを落とし、ラーメンを2杯作った。そして自転車に荷物を積み、インディペンデンスに向かって、砂まみれの長い道を走り出した。

その夜、町で唯一のレストランで高級なバーガーを食べた。店を出てその晩眠る場所を探していると、嵐が吹き始めた。暗い通りはどこかよそよそしく、風が砂や埃を巻き上げ、僕の顔に叩き付けた。何もかもうまくいかない。キャンプグランドで荒れ狂う嵐から逃れられる場所は、ピットトイレのすぐ前に敷かれたセメントの床だけだった。僕は横になった。その夜、雨が降り注ぎ、木々は風に煽られてぶつかり合い、ひと夏分のトイレの悪臭が僕を包んだ。散々な1日にふさわしい結末だ。

ピットトイレ・キャンプ場、インディペンデンス、カリフォルニア州。Photo: Erik Schulte
ピットトイレ・キャンプ場、インディペンデンス、カリフォルニア州。Photo: Erik Schulte

翌朝、靄の中で目を覚ますと前日の難行からくる痛みを脚ではなく肝臓に感じた。「アーッ」少しの食事とコーヒーを取り、ショートメッセージで友人たちと検討した僕は、このチャレンジの断念を決めた。しかし、まだ家に帰らなければいけないという厄介な問題が残っていた。今いる場所から僕の快適なベッドまでは300マイルほどの距離があった。僕が自ら招いた苦境を気遣ってくれる人はいない。

選択肢は1つしかなかった。僕は自転車に荷物を積み、ハイウェイ395でタイヤを北に向け、家に向かってペダルを踏み始めた。

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