クリーネストライン


ダムが撤去されたあと、淵や瀬が戻って、「川」の表情を取り戻した球磨川。そこにダムがあったことなど想像がつかない。全写真:つる詳子
ダムが撤去されたあと、淵や瀬が戻って、「川」の表情を取り戻した球磨川。そこにダムがあったことなど想像がつかない。全写真:つる詳子

荒瀬ダム撤去が、教えてくれたこと

By つる詳子   |   2018/07/07 2018年7月7日

2018年3月27日。この日に開催された荒瀬ダム撤去完了式典の日、私は式典には参加せず、対岸から流れる球磨川を眺めながら、2010年3月31日に荒瀬ダムの水利権が失効し、ゲートが全開された翌日から、その日までのことを思い出していた。

ゲートが開いて、それまでの減水区間を流れる、生きている水の音。工事がはじまる前日、最後に管理橋を皆で歩いたときの笑顔。工事がはじまり、分厚い鉄板を切るカッターの火花。発破で、スローモーションのように倒れる巨大な門柱。右岸部分がなくなり、昔の流れが戻って3日目に聞いたカジカガエルの声。蘇った支流に潜り、「魚を2000匹は見たよ」と上がってきたマット・シュテッカーさんの笑顔。カヌーではじめて下ったときの心地よさ。そして、川辺川ダム反対運動からはじまり、撤去開始までの長い活動期間をともに過ごしてきた、いまは亡き友人たちの顔。何よりも彼らにこの流れを見てほしかった。私はこの短いようで長い期間にダム撤去が私たちに見せてくれたものの意義、そしてダム建設によって失うものの大きさをあらためて実感として感じていた。

球磨川沿いを走るJR九州旅客鉄道の蒸気機関車、SL人吉。いまでは車窓からの景色に荒瀬ダムはない
球磨川沿いを走るJR九州旅客鉄道の蒸気機関車、SL人吉。いまでは車窓からの景色に荒瀬ダムはない

人間が不要な手を加えなければ、自然の回復力は私たちが思う以上に早いのかもしれないと思ったのは、荒瀬ダムと上流の瀬戸石ダム、2つのダムのゲートが全開された最初の冬、2010年のことだった。下流の八代まで球磨川の水が澄むにつれて、それまで30センチぐらいまでにしか伸びなかったアオノリがぐんぐん成長するようになり、その冬は1.5メートルほどにも伸びた。いまは毎冬3~4メートルほどにまで成長している。

荒瀬ダム建設後、下流への土砂供給がストップし、泥干潟に姿を変えた球磨川河口の干潟は、ゲート開放後、さまざまな生き物が、あれよあれよという間に回復した。残念なことに干潟に入る人も増え、採り過ぎと人による攪乱で生息する生き物の種数は減ったものの、巣穴を深く掘るアナジャコはたくさん生息し、多くの人が干潟を楽しんでいる。ダム湖に流れが戻り、瀬や淵が形成され、水がきれいになるのも想像以上に早かった。

かつての流れが戻ってきた球磨川中流域では、ボートで川を下るラフティング・ツアーがはじまった
かつての流れが戻ってきた球磨川中流域では、ボートで川を下るラフティング・ツアーがはじまった

流れる川は、水や堆積物だけを動かすのではなく、人の心をも動かす。ダム反対/賛成を巡って対立する者同士のあいだにあった見えない垣根を取り除く力さえもあるようだ。流れる川を見ると、釣り糸を垂れたくなる。カヌーで下りたくもなる。ダムがあったときは目立たなかった若者たちも、水を得た魚のように動き出す。熊本から移住して、休館になっていた古い木造三階建て旅館の営業再開にこぎつけた若者。日本初のダム撤去の現場を確認したいと住みついた若者は、ラフテイング業をはじめ、いまは2人の子供の父親となって、地元に根を下ろした。坂本に住む親と暮らすために戻ってきた人もいる。私たちがなぜダムを撤去しようとしているかがやっと分かったという地元の若者たちが主催するイベントもめっぽう増えた。動き出したのは若者たちだけではない。地元の自治協議会が主体となって昨年からはじめた「鮎やな」の1年目は大盛況だった。

貴重な木造三階建ての旅館、鶴の湯。目の前の球磨川で取れる天然鮎は旅館の自慢の一品にもなっている
貴重な木造三階建ての旅館、鶴の湯。目の前の球磨川で取れる天然鮎は旅館の自慢の一品にもなっている

坂本から、世界へ向けた情報発信も行われている。日本で初めてのダム撤去の現場にもぜひ参加してほしいと要請があり、私たちは2014年からWild Fish Migration Dayという、世界の500団体以上が参加している魚と流れる川を守るための世界一斉行動デーに参加し、今年は流れが戻った支流と本流で川遊びのイベントを実施した。また昨年からはじまった八代市さかもと国際児童画展は、「笑顔」をテーマに世界中の子供たちの絵が坂本に集まり、数か所の展示会場を訪れた人びとに笑顔をもたらした。いま、ここ坂本町は、どこよりも元気な現場なのかもしれない。

だが、まだ戻ってこないものもある。いや、まだというより、もう戻ってこないと言った方が正確だろう。荒瀬ダム撤去で流れが戻った球磨川には、カジカやドンコなど、きれいな水を好む生き物は戻ってきた。ダムができる前の調査では、球磨川には60種を超える魚の確認が報告されているが、荒瀬ダム撤去前後の生息数はどちらも20種に満たない。荒瀬ダム撤去できれいな水を好む魚の数は増えたが、移動性の魚や汽水性の魚は、上流の瀬戸石ダムと下流の遥拝堰に、依然として移動が阻まれている。とくに海と川を行き来するアユやウナギは増えるはずがない。また残念なことに、球磨川のコンクリート護岸の割合は60パーセントと、全国最低である。アユの産卵場は増えても、親アユが産卵のために下ってくることも、産まれた仔魚が海まで下ることもできず、また洪水時などに避難場所となる岸辺の隠れ場所もない。

それ以上に、流れる球磨川を見るたびに私を不安にさせるのは、最近の河原の変化だ。荒瀬ダム撤去工事開始時、河原は泥で覆われ、嫌な臭いを放っていたが、水が流れ出すと泥で隠されていたきれいな小砂利の河原が出現するまでに時間はそうかからず、流れる川の力にただ驚かされた。だがいま、小砂利の河原が日ごとに痩せている。下流や干潟に供給されはじめた砂や砂利は、荒瀬ダムが締め切ったそのダム湖に50年溜めてきたものに過ぎない。両流からの土砂は依然として瀬戸石ダムに止められている。ダム湖の堆積物が下流に流れても、上流からの供給がないのだ。予想していたことであるが、こんなにも早く上流のダムの弊害が目に見えて現れるとは思わなかった。

荒瀬ダムはなくなっても、そこには上流にある瀬戸石ダムの存在がはっきりと見えている
荒瀬ダムはなくなっても、そこには上流にある瀬戸石ダムの存在がはっきりと見えている

荒瀬ダムが撤去されて喜ぶ地元の人たちを横目に、川は「ダムのある川」の下流に変わろうとしている。川の音は、その変化に気づいてほしいという川のメッセージをも発してるのだ。

流れる川に元気をもらった人びとの流れはとどまることなく、球磨川のさらなる再生を目指して大きな流れを作っていくと期待したい。荒瀬ダム撤去が私たちに見せてくれている、繰り返してはいけない過去からの教訓と未来への希望とともに。

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