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ピーター・ヌーンを偲んで

ヴィンセント・スタンリー  /  2018年8月22日  /  読み終えるまで5分  /  コミュニティ

アウトドア産業初期の気取らないスタイルを体現し、商業の実施と顧客の憩いの場、そして原生地保護の監視役としてのアウトドア・ストアの開発を形作る手助けをしたピーター・キノック・ヌースが、再発した癌により7月9日カリフォルニア州オーハイの自宅で逝去した。75歳だった。

ピーターがユタ大学の学生で、熱心なロッククライマー、フライフィッシャーマン、ダウンヒルそしてクロスカントリーのスキーヤーだった1964年、バークレーのスキー・ハットで、ジョージ・ルドルフの下、夏休みのアルバイトをした。ルドルフはヨーロッパからスキーとクライミングのギアを輸入するアメリカ初のインポーターで、確固としたビジネススキルをもつアウトドア産業の数少ないパイオニアだった。彼の3つの会社(スキー・ハット、トレイルワイズ、ドナー・マウンテン・コーポレーション)は高品質のギアと非のうちどころのないカスタマーサービスで有名だった。

何十年も、スキー・ハットはサンフランシスコ・ベイエリアの影響力の大きいクライミングおよび環境保護団体が集まる非公式の場だった。ルドルフの社員たちはその産業の種をまき、のちにザ・ノース・フェイスやシェラ・デザインズ、ウォーラス・テント、クラス5、スノー・ライオンといった企業のリーダーとなっていった。ルドルフが育てたそうしたひとり、ピーター・ヌーンは、手放すにはあまりにも貴重で、すぐに昇進し、1982年にビジネスが売却されるまでスキー・ハットのカタログとリテール部門のジェネラル・マネージャーとして働いた。

スキー・ハットで、ピーターは生涯の友ケイト・ララメンディとともに近代のアウトドア専門店のモデルを築いた。店の商品を、ハードウェアやクラシックな厚手のウール衣類だけでなく、スノーシューチェア、アルパカ製ポンチョ、アイスランディッシュ・セーターやカラフルで頑丈なスポーツウェアなど、予期せぬ製品にまで広げた。当時彼らのクリーンな美学と細部へのこだわりは、むきだしの床、ロープリール、松ヤニの匂いといった、初期の様相から離脱しはじめていたアウトドア店のお手本となった。スキー・ハットはまたイヴォンのお気に入りの店でもあり、ピーターとケイトが辞職したとき、イヴォンはふたりを雇用した。ケイトはデザイン・ディレクターとしてパタゴニアの製品ラインそして業界全体に大胆な色使いをもたらした。ピーターの使命はスキー・ハットの雛形から借用してパタゴニアの直営店を設定し、カタログのビジネスを強化することだった。

ピーターがベンチュラを気に入るかどうか確信がもてなかったが、彼はカシミアのセーターとソックスなしのローファーを、ポロと通年のフリップフロップに喜んで取り替えた。彼はさまざまな役職で、そして最後の闘病中ですらもコンサルタントとして、パタゴニアで35年勤めた。彼はそれぞれの新しい直営店に完璧な場所を嗅ぎつける臭覚と、地主と会社の両方にとって公平な長期契約を交渉する技を備えていた。彼は各ストアが「その通りへの贈り物」であり、地元の環境団体にとっての憩いの場所となるよう努めた。彼はまたパタゴニアのリテール雇用とカスタマーサービスにおける高水準を設定し、マリンダ・シュイナード、クリス・トンプキンス、ローズ・マーカリオが信頼する非公式の顧問でもあった。

僕とピーターの関係は彼がスキー・ハットを運営していた45年前にさかのぼる。僕はシュイナード・イクイップメントのなりたてのカスタマーサービスのレップ/セールス・マネージャーだった。彼はオーダーのステータスを尋ねるために電話をしてきて、僕はいつもの悪いニュースを伝えた。彼はこれ以上ない優しい方法で僕を諭し、僕は最高の顧客のための残念賞をあさろうと処分在庫を見に行った。パタゴニアの仕事から一旦休止していたとき、僕はスキー・ハットの彼の下で働き、カタログを管理した。その後1980年代/1990年代にはロスト・アローのビルの2階にあった管理職の「柵囲い」でふたたび彼と仕事をした。『社員をサーフィンに行かせよう』にある直営店/リテール理念は大部分が純粋なピーターそのもので、僕らが彼から学んだことだ。それはイヴォン、マリンダ、クリスと僕だけではない。彼は素晴らしい師だった。社員のFacebookのページに投稿された思い出のほとんどは、彼の賢い助言についてのものであり、残りは彼の親切さについてだ。

会話の皮切りのほとんどが苦情だったピーターのぶっきらぼうな外面は、妥協のない道義心、鋭い正義感、他の人の尊厳への敬意、必要とする人にいつでも差し伸べる手、そして砂漠のようにドライなユーモアのセンスを隠していた。彼はシェラネバダ山脈、ルート12沿いのユタ州南部、サン・バレーの近くのシルバー・クリークなど、愛した場所の自然史の虜だった。野鳥観察とフライフィッシングは生涯を通して彼の趣味だった。彼は最後の夏をヘンリーズ・フォークの近くにあるリバーサイド・キャンプのスロット2Aで、完璧に内装されたエアストリームで過ごした。

彼の遺族は息子のピーター・ヌーンJr.、孫のハリナとジュリア・ヌーン(全員がパロアルト在住)、兄のバートン・ヌーン(ラホヤ在住)、とくに親しかった妹のナンシー・ヌーン・ホッファッカー(ポートラバレー在住)とケイト・ララメンディ(ベンチュラ在住)。

彼の人生の祝いの儀は今秋開催予定である。

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