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ソニーとその家族。彼らが旅の間に立ち寄る無数の滞在地の一つ、ヨセミテにて。
Photo: Sonnie Trotter
ソニーとその家族。彼らが旅の間に立ち寄る無数の滞在地の一つ、ヨセミテにて。 Photo: Sonnie Trotter

「変化」こそ唯一変わらないもの

By ソニー・トロッター   |   2018/08/09 2018年8月9日

セントラル・オレゴンのとある公園で、僕は日のあたるベンチに座って8か月になる娘を腕に抱き、4歳の息子が滑り台を滑り降りるのを眺めている。僕たち家族が旅に出てから、ほぼ1か月。毎日の遊び場探しは、濃いコーヒーを淹れるための豆挽きと同じように不可欠だ。僕たちは午前中に遊び、午後はクライミングをする。

少し向こうで背の高い男が、すらりとした砂色の犬にフリスビーを投げている。僕がこの4本足の動物を見ていると、彼は跳ねるように、露に濡れた緑の草むらを裂いて走って行った。口の片側から舌をだらりと出してよだれを垂らし、突然、あごを開いて宙に飛び上がると空からディスクを奪い取る。素晴らしい光景だ。犬の年齢は関係ない。彼は楽しむを通り越して、歓喜している。

年齢は相対的なものだ、という概念を大まかに理解しているつもりだ。僕は老人ではないが、若くもない(これも相対的に)。そしてこの世に生を受けてから今までの38年間で、いくつかのこと、特に変化について学んだと信じたい。変化は興味深い。ワクワクしながら受け入れる人もいれば、変化を嫌って何年たっても文句を言っている人もいる。中には徹底的に拒否して、数十年もの間抗う人もいる。しかし、それでもなお変化を避けることはできない。僕の経験では、変化に立ち向かうときにはゆっくりと深呼吸をして、未知の世界を覗き込み、微笑む方が楽だと考えている。変化は人生のすべての段階において、唯一変わらないことだからだ。

ファミリー・マン(5.14b)は、ソニーが最初の子供、テータムが生まれた年に初登したルートだ。ブリティッシュコロンビア州、スカハ。Photo: Gabe Zamorano
ファミリー・マン(5.14b)は、ソニーが最初の子供、テータムが生まれた年に初登したルートだ。ブリティッシュコロンビア州、スカハ。Photo: Gabe Zamorano

1998年、僕は巨大な断崖でロープからぶら下がっていた。ぐったりと疲れ、落胆していた。当時としてはかなり困難なルートを、あとわずかで登り切れるところだった。しかも記録的なタイムになるはずだったが、最後のエグジットムーブで典型的なミスを犯した。フットワークが雑になり、オレンジ色と黒色の岩から落ちてしまったのだ。もし成功すれば、この登攀は僕がトップクライマーに到達したことを示す助けになると信じていた。この挑戦を成し遂げた人はまだ誰もいなかった。ばかげた考えだが、それが僕にとっては、この垂直スポーツの広い世界で自分は有力な競争者だと、自分自身に証明する方法だったのだろう。多くのティーンエイジャーと同様、僕にも強い帰属意識や承認欲求があった。でも僕の心の中では、その瞬間に過去の栄誉などどうでもよくなった。

18歳の僕の肺が、子供じみた叫び声をあげた。激しい怒りとともにロープを引きおろし、唇をかんで涙をこらえた。その日の終わりに友人たちとキャンプ地に戻ってから、夕食をとらずに長い散歩に出かけた。その夜はずっと、誰とも顔を合わせたくなかったのだ。クライミングは僕のすべてだった。毎日挑戦する新しいルートが僕の世界になった。今それを誇りに思っているわけではないが、あの頃の僕はそうだった。僕は情熱を持っていた。その大きすぎる失望の後、フラストレーションを解消するのにほぼ2日かかった。

当時の僕は愚かにも、失敗は後退だと信じていて、挑戦するすべてのクライミングを成功するまでこだわり続けた。それは危うい時期だった。1回の登攀ごとに自信という城を築いている中で失敗してしまえば、そのすべてが崩れ落ちるかもしれなかった。だから、できそうにないと思うことには一切挑戦しなかった。それも今では変わった。

18歳のときに、コロラド州ライフルへ向かう最初の旅に出たソニー。電話も、eメールも、定まった住所もなかった。Photo: Sonnie Trotter Collection
18歳のときに、コロラド州ライフルへ向かう最初の旅に出たソニー。電話も、eメールも、定まった住所もなかった。Photo: Sonnie Trotter Collection

最初の頃は、ある特定のルートを登攀したら、あるクラックを超えたら、あるいは遥か高くへの登頂に成功したら、きっと満足できると信じていた。だから毎年、繰り返しクライミングを追い続けた。誰でも人生の中で、重要ではないことを重要に扱ってしまうときがある。しかし、時がたつにつれ僕を満足させるのは成功ではない、ということに気付きはじめた。満足させてくれるのは、常にその過程だった。僕は過程が大好きだった。フリスビーを追いかける犬と同じで、年齢は関係ない。人生のどんな段階にいるかも、挑戦しているクライミングのグレードも関係ない。目標を達成したい、新しい目標に向かって前進し、そこに追いつくために必死に努力したい。そういうことを僕らが望むのは自然なことだと思えることに安らぎがある。過程こそが、それを楽しくしているのだ。

つまり僕が得たと思う教訓はこうだ。クライミングに行く欲求を完全に満たしたり、すべて完璧だと感じられたりするような登攀など存在しない。いつだって別のプロジェクトがあり、別のスタイル、別のクラッグ、訪れる別の州や国がある。それが絶えることは決してない、ということを分かっていることが嬉しい。もはや僕にとってクライミングは、満足感を得るための方法ではない。なぜなら、僕は生涯現役、一生を通してのクライマーだからだ。僕に喜びをもたらすのは、キャッチしたフリスビーではなく、それといっしょに味わう新鮮な空気、人びと、ムーブ、遊び心などすべてだ。外に出て僕たち全員が大好きなことをするたび、それが1年を通して何回目だろうと僕は舌をだらりと出している犬と同じ感覚を味わう。つま先で体を押し上げ、遠くにあるフィンガーロックに手を伸ばす。体を引き上げ、次のシークエンスの解決に挑む。新たな一連のムーブ、新たなゲーム。それが僕の大好きなことだ。今までもずっと好きだったし、結局のところ、今から20年後でも大好きなのだろう。

目標、夢、願望。どれも素晴らしい。それがあるから僕たちは、尻尾を振り、毎日遊び場へ出かける。しかしできることなら、僕は若かった頃の自分にこう言いたい。結果をくよくよと考え過ぎるな、と。もっとも、若い頃の僕が言うことを聞くかどうかは分からないが。自信という城は時間を掛け、成功のみならず失敗も通して築かれるものだ。それを学ぶのは簡単ではないと思う。常に次の登攀、次のフリスビーがあって、「もう十分」は決して存在しないのだと僕たちに教えてくれる。それは素晴らしいことだ。それに、もし究極のクライミングに成功したら、クライミングはどうなるのだろう?その後はどうする?ただやめる?

あり得ない。

「パパ!」息子が公園の反対側から僕に叫ぶ。「見て、パパ。僕はお城の王様で、そっちは汚いごろつきだ!」息子は笑うと塔の一番上に両手を掛けてぶら下がり、それから再び黄色い滑り台を勢いよく滑り降りる。娘も声を立てて笑い、それから目をこする。昼寝の時間だ。間違いない。

僕が言ったように、変化だけが唯一変わらないものなのだ。

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