残されたもの
インドのニルカンタ峰への最初の挑戦で敗退した3人の仲間たちは、山での人生の恐ろしくも美しい二面性を克服し、受け入れるため、そこへ戻った。
それはニルカンタ峰南西壁での3日目。登頂を狙う日で、私がリードする番だった。私は頭上にそびえ立つ約200メートルの壁「キャッスル」を見つめながら、岩の急斜面と雪面をすり抜けた。約1,200メートル下の谷底には、川が網目のように流れていた。左側はのっぺりとした垂直の岩壁に塞がれていて、ロープ1本分の長さだけ右側にトラバースしていくと、ルートの弱点を見つけた。長い氷のランネルがいったん視界から消え、オーバーハングした岩に懸かる細い氷柱の下でふたたび姿を現す。薄い空気にあえぎながら、夫のジェイソン・トンプソンとパートナーのシャンテル・アストルガをビレイする。午後の太陽が照りつけ、不安が頭を駆けめぐる。このラインが行き止まりだったらどうするのか。反対側でもっと時間をかけて探すべきだったのではないか。私はシャンテルにギアのかかったラックを渡すと、ありふれた励ましの言葉をかけた。シャンテルはランネルを登りはじめた。
この2年間、私は来る日も来る日もニルカンタのことを考えていた。友人のキャロ・ノースとジェイソンと3人でインドのガルワール・ヒマラヤの聖地、バドリナートのすぐ南にある、この人里離れた谷をはじめて訪れたのは2015年。美しく威圧的な南西壁、雪と氷に覆われたそのまったく手のつけられていない1,400メートルの花崗岩壁の登攀を狙った。しかし西稜で高度順化をしている最中に空が暗くなり、遮るもののない標高6,100メートル地点で激しい雷をともなう嵐に取り囲まれた私たちは、体に電気ショックを感じ、撤退を余儀なくされた。その後も登攀は悪天候に中断され、ふたたび岩壁に足を踏み入れることはできなかった。
私の人生はクライミングに動かされている。ルート上で過ごす長い1日や頂上での束の間、そして空の下で震えながら太陽が昇るのを待つ夜さえもが大好きだ。クライミングは自己中心的な欲望だが、たんなる肉体的な行動ではなく、また登頂だけが目的というわけでもない。それはアートだ。挑戦的な状況と素晴らしい壮大な場所で、信頼する大切な仲間と一緒に未知を受け入れる。私たちはそうした体験を持ち帰り、さらに次の場所へと運んでいく。
ロープがピンと張り、私は現実に戻された。シャンテルは見えないが、上にいた。ジェイソンと私が登っていくと、「行けるわ!」と叫ぶシャンテルの声が聞こえ、壁にこだまして消えていった。私は叫び返すと、スピードを上げた。シャンテルは急な花崗岩を少しずつ登ってから氷柱に乗りうつり、そして最後の核心を越えていった。私たちは実感した。ついに、ニルカンタの山頂にたどり着くことができる、と。太陽が暗闇に沈んでいく。私たちは「キャッスル」の上でばら色の輝きのなかに立ち、波のように押し寄せる満足感にしばし浸った。
その36時間後に私たちは登頂し、それからベースキャンプに下降して帰路についた。疲れてはいたが、深い感謝の念に満ち、仲間や愛する人たちと喜びを分かち合うのが待ちきれなかった。不思議なもので、私たちは明らかに無意味な夢を追いながら、はるか遠くでの冒険に心を奪われている。そして戻ってくると、待っていてくれた仲間たちとのつながりが、よりいっそう深くなる。デリーで、私たちは夜遅くまで祝った。だがその翌朝メッセージの呼び出し音で目を覚ました。メッセージを読んだ私たちは、言いようのない喪失感に襲われた。
故郷のモンタナではその前日、親友のヘイデン・ケネディとインジ・パーキンスが思い立ってスキーツアリングに出かけた。ヘイデンは27歳、インジは23歳で、若いながらも経験豊富で、深く愛し合う、快活なカップルだった。元気かどうか声を聞くためだけに電話をかけてきたり、手紙を書いてくれたり、手作りのプレゼントをくれたりする友人で、この遠征に出発する前も2人は私たちの家に立ち寄って旅の無事を祈ってくれ、一緒に食事をして過ごした。その夜の帰り際、ヘイデンはジェイソンとシャンテルと私に、スロベニアの友人が彼のために作ったピトンを1つずつくれた。私たちはその1つを幸運のお守りとしてルートに持っていった。そうした優しさがあり、誰もがこうなりたいと願うような2人だった。彼らの世代きっての山岳アスリートでもあったが、みずからが注目を浴びるよりも、いつも他の人のことを気遣った。その年齢には過酷すぎたかもしれない感情的な苦しみや喪失に耐え、2人はともに人生を築きはじめていた。インジは学位を取得している最中で、ヘイデンはレストランで働いていた。彼らは車中生活を何年も送ったあと、ボーズマンで1年の借家契約をしたばかりで、いつかパン屋をはじめるという夢も抱いていた。その日のスキーツアリングで、彼らは雪崩に巻き込まれた。そしてその夜には、2人とも亡き人となった。
私たちは打ちのめされ、泣きながら異国の道々を虚ろに歩きまわり、大切な友がなぜこんなにも突然いなくなってしまったのかを理解しようとした。それを山が私たちに与えてくれる自由と切り離すことができないとき、このような損失感はどうすれば理解することができるのだろうか。私たちは失った友人の光を灯しつづけようとした。やり終えたばかりの登攀はもはやどうでもよかった。重要なのは残されたもの。私たちは一緒にいる。そして一緒に故郷に帰る。