とても現実的な可能性
難しすぎるかもしれないルートをコチャモ・バレーに開拓することについて。
人生の道を決める出来事が、あまりにもランダムであることにはしばしば驚愕させられる。僕の友人がクリスピン・ワディと出会ったのは、1年ちょっと前、北海の石油掘削リグで働いていたときだった。1990年代初期にコチャモ・バレーを訪れた最初の遠征チームのメンバーだったワディは、友人にチリのパタゴニア北部の密林に潜んでそびえ立つ花崗岩の話をした。考えてみてほしい。彼が石油リグでワディと出会ったことだけでなく、ワディが手がけた無数の遠征のうちのたった1つでしかないコチャモについて話すことの可能性を。それどころか、コチャモは僕が探し求めていたクライミングの開拓初期の、美しい野生の景観そのものであったということも。
いま、僕はコチャモで2シーズン目を過ごしている。最初のシーズンの11か月後にまた、谷につづく長く曲がりくねったトレイルを重い足取りで歩いている。ときたま立ち止まっては振り返り、馬の列が運ぶクライミングギアと5週間分の食料の様子に目をやる。アプローチの長さは忘れていたが、その徹底したぬかるみは忘れていない。僕の足は深い泥のトレイルに吸い取られ、ブーツにこびりついた粘土質の泥は、次の一歩を踏み出そうとするとビシャッ!と激しい音を立てる。まるで終わりがないかのように感じられるが、泥の池と溝でゴム長を夢見ながらほぼ4時間を過ごすとトレイルは楽になり、密林が消滅しはじめると青空と散在する花崗岩が姿を現す。やがてまもなくコチャモ・バレーの草原地帯に到達すると、そこにはトリニダード、アンフィテアトロ、ラ・フンタの巨大な花崗岩の壁が、武装した古代のティーターンのように密林の緑から突き出している。
実際の景観とクライミングのスタイルは、アメリカのヨセミテ・バレーを連想させる。ラインは長く、技術的かつ優雅で、大胆なクライマー向きだ。新ルート開拓の可能性、そしてここを開拓しようと集まる筋金入りのクライマーの数は、あたかも無限に思える。コチャモのクライミングシーンはエネルギーにあふれ、1960年代のヨセミテを彷彿させる。可能なかぎり自然のギアを使うのがコチャモの倫理だが、ギアが設置できないときはボルトも容認される。これにより誰もが比較的安全ながらも野心的なクライミングを楽しめる。プロテクションが安全に取れるルートのほとんどはそれでも足がガタガタ震えるほど怖いランナウトを有する。
2017年1月の初旬、僕とクライミングパートナーのイアン・クーパーはこの草原に足を踏み入れ、ラ・フンタのオレンジ色のオーバーハングの壁を呆然と眺めた。それは僕らの目に留まった最初の壁で、そのオーバーハング度合いは雨や流水の影響を受けないほどであり、午後遅くの光に照らされたエル・キャピタン上部のように黄金に輝いていた。まずはフリーにこだわらず、エイドクライミングを交えながらその壁を登ることは、僕らにとっては最も容易な決断のひとつだった。オーバーハングを斜上する顕著なシームは明らかな目標で、僕らはきっとフリーで行けるだろうと思った。他の誰もそんなことは思っていなかったが。遠くから見るとこのシームはまったく閉じているか、あるいはかろうじて割れたシンクラックのように見えた。だがそれは心配の種とはならず、ただむしろ僕らを上へと導くモチベーションとなった。
最初のトリップの終わりには、僕らはラ・フンタにラインを引いていた。それが困難なこと、難しすぎるかもしれないという可能性は理解していたが、登攀はとびっきり上等だった。僕らは赤児の親のようにこのルートの1センチずつを大切に扱い、愛情を注いだ。そして各々のムーブ、シークエンス、岩の表情の完全さに驚嘆した。僕らは地球上にこれ以上のラインが存在しないことを知っていた。それは最高のルートであり、それだけで十分だった。
これはおそらく単純な見解かもしれない。だがコチャモの暮らしは単純だ。電気もなければ温水もない。他のとても多くの人間と同じように、日々僕もメールやソーシャルメディアなど、スクリーンを眺めて長時間を過ごす暮らしにどっぷりと浸かっている。コチャモはその解毒療法だ。3Gなしでどうやったら人生をつづけられるのかと思いながら出発したが、実際それは可能だ。陽は昇り、鳥はさえずる。朝起きるとそこに電話の着信音はなく、ほとんどが無意味な通知をチェックする衝動は消え去り、その代わり徐々に明るくなっていくその日の光とともに、あるいはクライミングパートナーが寝袋に入ったままコーヒーを作るのに格闘する音で、自然と目が覚める。寝返りを打つと一晩中横たわっていた大地から埃が立ち、その空気が僕を包む。ここでの暮らしには最もきれいな汚れがある。
ここに戻って2シーズンが経ち、僕らは思ったよりもずっと奥知れぬところにいる。僕らは何日もかけてロープにぶら下がり、植物や、卵の殻のように剥離する花崗岩を掃除する。しぶとく成長し、クラックのなかに生き延びる長く太った根を、ナッツキーで切断する。人生でこれほど多くの日々をガーデニングに費やしたことはない。だが庭の手入れなくしてコチャモでのクライミングはあり得ない。だからひたすらつづける。
クラックがきれいになったので、ようやく本番の登攀をはじめられるようになった。僕らはすぐに、またしてもラ・フンタのクライミングの質に圧倒された。その大部分がこれまで他の場所でやったどんなクライミングよりも、本当に独特に感じられた。すべてのピッチが何か特別なものを要求し、僕らは真剣に考え、覚悟を決めなければならなかった。フットワークは繊細で厳しく、スメアリングから極小のスタンス、妙に傾斜したエッジなど、奇抜なムーブを強制してくる。持久力が必要で、テクニカルで何の保証もなく、どこで落ちてもおかしくない。すごく楽しかった。
ピッチごとに難易度が上がる厳しいカンテのセクションが片づくと、超困難な5.13c/8a+のクライムダウンを強いられた。壁の上部には僕らが「ザ・スカイウォーカー・トラバース」と呼ぶ露出感満点のピッチがある。その花崗岩の縁に足を置いていられる唯一の理由が「フォース」だからだ。
僕らが下から見た、難しそうな斜めのシームは完璧に切り落ちたレールで、スメアリング以外のフットホールドはなく、核心のピッチとなった。クライミングはとても困難で、僕らはずっと登攀不可能ではないかと思っていた。解決できたすべてのシークエンスがクリスマスの日のプレゼントのように感じられ、僕らは徐々にそれが可能なことに気づきはじめた。途切れたシームをつなぐセクションがある。それは足場のない切り落ちた手強いムーブのシリーズから、短いのっぺりとしたセクションへとつづく。僕らはその数メートルを解決するため、あってないようなホールドの全コンビネーションを試しながら、何日も過ごした。それはゆっくりと形になりはじめたが、それでも解決できないムーブがひとつ残された。
僕の番だった。僕は何度もトライした滑稽なシークエンスではなく、イアンのベータを試すことにした。ある魔法のような瞬間、僕は核心のシークエンスすべてをつなぎ、僕らは2人とも狂気の雄叫びを上げた。「核心ピッチは行ける!メチャクチャ難しいけどフリーで登れる!」
家に戻った僕は、まぶしいスクリーンの前で闇雲にタイプしつづけている。現代の生活音、耳障りなカチカチやらビーやらプーやらの音が、僕のバーチャル人生で何が起きているかを知らせる。だが僕の心は別の場所にある。大西洋を超え、数千マイルも離れた場所の岩壁の上を、いまも漂っている。
僕の一部は、この壁に戻って挑戦するのが待ちきれない。別の一部は、失敗が怖くてたまらない。「偉大なことが容易に達成されたことはない」という諺が僕にある程度の慰めをもたらすが、それはなかなか消えてくれない問いへの答えにはならない。「もしできなかったら?」僕は失敗の可能性がとても現実的であるという結論に到達している。
同時に、それは追求の価値があるということにも。
このストーリーの初出はパタゴニアの2018年September Journalです。