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ブランカ山群 ランラ・パルカより巨大セラックを縫っての下降
写真:久野弘龍
ブランカ山群 ランラ・パルカより巨大セラックを縫っての下降 写真:久野弘龍

R1でデキたこと:4人のストーリー

By パタゴニア    |   2019/02/27 2019年2月27日

私はいつも忙しい。何故なら、私ことR1フーディーのオーナーである彼女は、文字通り、仕事も日常もすべて、常に私を愛用しているからだ。

日本の山は3,000メートル前後と低いが、それ故にシーズンを問わず登られ、また海洋性の気候のため、気象変化は意外にも厳しい。厳冬期、内陸山岳部の稜線は時に-30℃にも達し、風速も凄まじい。そういった環境下でのガイディングには、血液の集まる頸部をしっかり保温できる私が彼女にとって欠かせない存在であるらしい。

私が彼女に出会ったのは彼女がガイドを始めて2年後、17年前の話だ。この職業では仕事は勿論プライベートでも多忙で、その行動範囲は極めて広い。
春は里山から富士山まで雪さえあればスキーを駆り、夏はヨーロッパでの山岳クライミングに勤しむ。秋に通うカリムノス島では50m近いルーフや5.13といったルートで絶好のコンディションを狙う。その間、ずっと一緒にいたのは私だ。冬には中間着として、夏の暑いときであってもザックの底で息をひそめ、一年中働き詰めだ。

ドロミテ Lastoni di Forminでのマルチピッチクライミング。
写真: 久野弘龍
ドロミテ Lastoni di Forminでのマルチピッチクライミング。 写真: 久野弘龍

アンデス・ランラパルカの壁から下降のクレバス帯で暗くなった夜、ドロミテ・トファナで夫が墜落し怪我で下山できなくなった夜、シャモニーで懸垂下降中の日没を迎え、女同士小さなテラスで座って過ごした、そんな数々の夜。着の身着のままでビバークする彼女を、凍える寒気から守ったのは私だった。
私の仕事は地味だ。派手な働きこそないが、ガイドとして成長する彼女と共に、今後も彼女を見守っていくであろう。

私はR1。いかなる活動であっても、常に上達を目指す者の味方だ。

加藤 美樹 : 山岳ガイド
夫であり山岳ガイドの久野弘龍と愛犬サスケと共に無雪期は国内外でのクライミング、積雪期は山岳スキーに勤しむ。ミキヤツ登山教室を夫と共に主宰。

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人生初めてのスキー旅、ハルダンゲル高原での序盤。
写真:柴田丈広
人生初めてのスキー旅、ハルダンゲル高原での序盤。 写真:柴田丈広

「シーカヤックの遠征なら、3ヶ月間の旅でも装備を1時間以内に用意できる」といつも豪語している。ところが、6年前のノルウェーでのスキー旅のときは、同じようにはいかなかった。その遠征の目的は、ノルウェー南部にあるハルダンゲル高原を2月に2週間をかけて縦断して、自分にとっての神様であるロアール・アムンセンの足跡に触れようというものであった。
今から100年以上も前だが、アムンセンは探検家になる前の若い頃に厳冬期のハルダンゲル高原で2回ひどい目にあい、それが北西航路や南極点への準備になった、と書いている。

パタゴニアのウエアを愛用して30年になる。カヤックではカナダやグリーンランド、ノルウェーなどの寒冷地にも行ってきたが、自分にとって初めてになるその雪上の旅で使うウエアの選択において、想像だけでは結論が出なかった。そこで、パタゴニアの方々からアドバイスを得て、ウールのアンダーシャツに保温性も備えたソフトシェルのジャケット、中間着にはR1という組み合わせが決まった。

期待通り、2月のノルウェーの高原ではR1は有効なレイヤリングとして機能してくれた。スキーでソリを引く「冬の旅」では、いつも中間着にR1 を使っている。

柴田 丈広:シーカヤックガイド
1987年、カナダ・バンクーバーでシーカヤックに出会う。これまでグリーンランド、ノルウェーとアリューシャンに遠征。伊勢志摩を拠点にシーカヤックのツアーとスクールを行なっている。

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白川にて
photo: Tomoharu Taguchi
白川にて photo: Tomoharu Taguchi

私がR1を初めて使ったのは10年前でパタゴニアの製品が「快適で調子が良い」というイメージを植え付けたのはR1だった。
2018年の秋からまた、10年ぶりにR1プルオーバー・フーディを使いだした。
様々なアップデートがあり、今の私にとてもフィットし昔と変わらず「快適で調子が良い」

R1プルオーバー・フーディを山で選択する一番の理由は変化する様々なコンディションに対応できるからだ。スプリットボードで深雪をトレイルブレイクしたり、アイゼンを履いてのクライミングなどアクティブに動く時。山をスノーボードで滑る時、ビレイや休憩時など行動負荷を伴わない時。様々なシチュエーション、樹林帯からアルパインエリアの様々な環境下でストップ・アンド・ゴーを繰り返す運動にとても最適なのである。

白川にて
photo: Tomoharu Taguchi
白川にて photo: Tomoharu Taguchi

適度な保温性と着心地の良さ、動きやすさと通気性。好きな点は色々あるけど、一番のお気に入りはフードの形だ。風が当たり身体が冷えそうだと感じればフードを被る。身体をクールダウンしたいと思ったらすぐにフードを外す。細かい事だが、少しの作業で運動負荷や環境の変化に少しずつ対応できる。寒冷や極寒の環境化であればバラクラバとしてヘルメットの下にしたり、ゴーグルを着けライディングしたり出来るし、山中で一夜を過ごす時にもフーディーを被り寝る。
晩秋の立山から、初冬のニセコ、厳冬期の八ヶ岳、白馬や白川郷のバックカントリーで、
フィールドに出る日はいつもR1 プルオーバー・フーディーを着た。

これから「R1でデキること」を考えると楽しみでならない。

旭 立太:山岳/スキーガイド
一般縦走からバリエーションルート、沢登りからバックカントリーライディングまで、幅広い山の魅力を伝えるマルチな山の案内人。自然のリズムに合わせ四季を通じて山へ登る。

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アラスカルース氷河でのクライミング
photo: kei taniguchi
アラスカルース氷河でのクライミング photo: kei taniguchi

私が積重ねてきた登山やクライミングの中で、特に印象的な一つは2008年5月、アラスカ、ルース氷河にそびえるMt, Grosvenor東壁のクライミングだ。
壁のスケールは、氷河から山頂までの標高差でおよそ1,200mほどだったろうか。壮大なルース氷河を背景に、山がここを登れと言っているような、壁を一直線に貫く凹角に張り付いた氷の筋をひたすら辿る、夢のようなクライミングだった。そして広大なルース氷河の上にベースキャンプを作ってさまざまなラインを登ったこの一ヶ月は、本当に忘れえぬ素晴らしい時間だった。

この一ヶ月、登る時だけでなく、眠るときもベースキャンプで特大チーズリゾットを作る時も、一時の例外もなく、私はお気に入りの黒いR1プルオーバー・フーディーを着ていた。薄いウールの下着の上に着ていたこのウェアは、機能的に頼りになる勝負服であると同時に、もはや体の一部であるかのようだった。

カラコルムのビックウォール、ハイナブラック・イーストタワーを最小限の荷物で駆け上った時も、ネパールヒマラヤ、ランシサ・リ北壁を敗退した時も、厳冬の黒部丸山を猛烈なラッセルで越えた時も、明神岳のミックス壁で吼えながら新ラインを拓いた時も、この10年、私にとっての印象的なクライミングの多くはR1とともにあった。ここまで私がR1を偏愛してきた理由は、ムーブを妨げない動き易さ、適度な保温性、着心地のよさ、というようなベーシックな機能性の高さのみならず、このウェアが細部に至るまで、おそらくは妥協なくクライマーを思って作られているためだと思う。

私はこれらもきっとクライミングと向き合い続けるし、そのまだ見ぬ自分自身の冒険の多くは、きっとR1と共にあるだろう。

鈴木 啓紀:パタゴニア日本支社勤務。
プロセールス担当。週末ベースでクライミングを続けながら、カラコルムやアラスカにも遠征。

今年はR1の20周年記念。そこで私たちは、この20年間にR1が果たしてきた素晴らしい冒険や初登、歴史的瞬間にまつわる20のストーリーを紹介し祝います

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