気候危機は人間の問題
30年前の今月、私は最初の本『The End of Nature』(訳書『自然の終焉』)を出版した。それは当時、温室効果と呼ばれていたことについての一般聴衆を対象とした最初の本でもあった。そして私がとくに心配していたのは自然だった。
1989年、地球温暖化はまだ理論的な危機で、私たちはそれを測定できる境界ギリギリのところにおり、最初にその危機に注意を喚起した米国航空宇宙局の偉大な科学者ジェームス・ハンセンですら、「普通の人が」それを感じはじめるまでにはあと10年はかかるだろうことを強調した。だからその初期においては、気候変動が私たちの世界「観」をどう変えるか、つまり野生という感覚を変える方法に焦点を当てたのは頷けることだった。東部の卓越した野生地であるアディロンダックに住んでいた私は、この顕著な場所の意味が変化しはじめたことを知った。突然、どのような遠隔地であっても、それは人間から隔離されたものではなくなった。それは哲学的に悲しいことだった。1964年の連邦政府の原生地法は、そういう場所を、「地球とその生活共同体が人間によって拘束されていない場所、人間自身がとどまることのない訪問者である場所」と表現している。そんな場所がなくなってしまうことは明らかだった。
しかしながら、時間が経つにつれ、他のことも明らかになっていった。それは気候変動と闘うより深く、より差し迫った理由があったのだ。
ほぼ20年前に報道の仕事でバングラデシュに行ったことを思い出す。そこでは急激に解けるヒマラヤの氷河により、海と川の水位が上昇しているのを見た。しかし目にした多くは、次第に暖かくなり降雨が増す惑星で拡大する蚊が広める、その国最初の巨大なデング熱の発生で人が死んでいく様だった。スラムで多くの時間を過ごしていた私自身もついに悪い蚊に刺され、これまでになく病んだ。だが私は他の人よりも幸運だった。それまで強靭で健康だった私は死を免れた。ダッカに住む多くの人びとが死に、それを見た私は、彼らが一切その原因に責任のないトラウマを経験している事実に取り付かれはじめた。世界の二酸化炭素排出量の表ではバングラデシュは丸め誤差程度だった。
旅から戻った私は〈350.org〉などの団体の組織化に着手し、拘置所で拘束されるようになって、「大部分は著作家」から「大部分は活動家」への進化をはじめた。そして気候運動が大きくなるにしたがい、この歴史上の奇妙な瞬間において、その焦点が自然世界ではなく、その核に存在する不正義に当てられるようになっていることを多大な喜びをもって見守ってきた。
その不正義の一部は人種的で植民地的なものだ。それを引き起こした原因が少ない人たちほどその影響を早く感じる、のが気候変動の鉄則である。その不正義のまたある一部は世代的なものだ。二酸化炭素を最大に排出した人たちは、その影響を十分に感じる前に死ぬ。だからこの運動のリーダーたちは、前線の地域にいる人びと、先住民、そして若者から成るのだ。
とても、若い人たちだ。先週行われた気候ストライキは中学生と高校生、そして数人の小学生の努力からはじまった。私はグレタ・トゥーンベリだけでなく、同じように高潔な仕事をすべての大陸でする若者たちの多くを知るようになった。彼らは真に希望をもたせる方法で、惑星全体の人びとのつながりを深く意識している。彼らは危険を理解している。彼らは協働するのが非常に上手い。
それは本当にありがたいことだ。彼らが環境主義の暗部に陥る可能性は少なく、またいちばん大切なのは我々の場所であり、それらの場所を保護するために壁を立てたり、他の人たちを遮断するという考えに陥る可能性が少ないからだ。ある種の自然崇拝にある、そういった逆行的で国家主義的な性質は、ドイツのファシズムに伺える。しかしそれは私たちが知る気候の科学には存在しないと思う。
なぜなら科学はすべてがつながっていることを徹底的に明確にするからだ。私たちが有する気候システムはたったひとつである。あるひとつの場所からの二酸化排出は他のすべての場所を暖める。気候が温かくなると、その影響はどこでも感じられるようになる。石油産業の中心地であるヒューストンでも、ハリケーン・ハービーがやって来たとき、アメリカの史上最大の降雨を経験した。
もちろん、ヒューストンでいちばん苦しんだのは最も貧しい人びとだ。それが通常起こることだ。気候運動が何にも増して団結に焦点を当てることが非常に重要な理由はそこなのだ。グリーン・ニューディールが提供するのはまさにそれ。つまり共通の未来のためのこの闘いに全員を巻き込む好機である。それがすべての大陸において本質的に地球規模の闘いに老いも若きも参加することを促す気候ストライキだ。だからこそ、気候のための闘いはこれまでにもまして人道的な移民政策のための努力と融合している。原因を作らなかった人びとが、終わりのない干ばつのためにグアテマラの農場を去らねばならないとき、その答えは檻や壁であってはならない。先月私がかつてとくに自然を心配していたアディロンダックで拘置所に入れられたのはそのせいだ。今回は我が国の移民政策の不正義に抗議してのことだった。気候変動によって、世界中の人びと(その問題にまったく加担しなかった人びと)が移動しなければならないということは、私たちが提供しているのは檻と壁でしかないことに他ならない。それは許せない。気候政策は移民政策であり、貧困政策なのだから。気候は問題ではなく、気候は経済、政策、外交問題のレンズである。私たちが20世紀を理解するのが成長であったとすれば、21世紀を結論づけるのは、生存だ。
無論、自然はいまも大切だ。ある種のごくわずかな一部の無謀さが、惑星のDNAの大部分を失わせる大量絶滅危機を引き起こしはじめるにしたがって、気候変動の膨大な不正義は創造全体におよぶ。それについて憤りと悲しみを抱くのは当然だ。ホッキョクグマは気候危機の象徴としては最適ではないかもしれないが(おそらくその好ましくない名誉は太平洋の低地の島の住民のためにあるのかもしれない)、それはホッキョクグマが重要でない、ということではない。すべてのものがすべての人にとって価値がある。互いにしがみつく以外、この最も危険な100年を生き延びる可能性はないのだから。