アーティフィッシャル・ジャパン
大きな岩の後ろに身をかがめ、岩が散在する美しい渓流の上流を見つめる。ここではその川の名前は公開しないことにしよう。透明の水のどこか上流で、日本の自生のチャーであるイワナが昆虫を探して水面を精査すると聞いた。僕が立っている場所から見るこの流れは、故郷の急勾配河川とよく似ている。その川は僕らが選ぶどんなフライにでも食いつこうと上をめがけてやってくる、何百もの小さなカットスロート・トラウトに満ちている。ここでの釣りは簡単そうだ。
その釣りの旅のリーダーであるパタゴニア・アンバサダーの中根淳一がくれた小さな黒いパラシュート型のフライが、川岸のモミジの木々からこぼれる光のなかを飛ぶ。僕は素早く調節し、自分の目で見るかぎり完璧なドラッグ・フリーのドリフトに成功する。数秒前までは水と岩しか存在しなかった流れに、小さなトラウトの形をしたその姿が僕のフライの下に出現する。ほんのつかの間、それはフライとともに下流へ流れ、方向を変えると深みへと消えた。ひょっとしたら簡単じゃないのかもしれない。
前夜、映画『アーティフィッシャル』の渋谷でのジャパン・プレミアにおいて、僕は満員の聴衆の前で、人間の傲慢さについて、そしてすべての生息地の破壊に直面する僕らが何らかのテクノロジーによって豊富なトラウトとサーモンの時代へと復帰できる、という誤った考え方について語った。聴衆のひとりが立ち上がり、野生魚を助けるために何ができるのかと質問した。僕はその答えにつまった。
フィルムツアーがはじまり、日本のさまざまな街で映画『アーティフィッシャル』を上映していくなかで、僕は聴衆の興味と懸念に胸を打たれた。福岡では球磨川で初の(そしてこれまで唯一の)ダム撤去の活動を成功させた勇敢な活動家のつる祥子さんと会う光栄な機会も得た。名古屋では残された野生のイワナとヤマメの保護を切望する釣り人たちの声を聞いた。広島では地元の水域を守るために取り組む団体と会話をした。横浜のパタゴニア日本支社のオフィスでは、明るい熱意にあふれる顔で満たされたパタゴニアのスタッフたちを見渡して、養殖サーモンの非買運動を先導する意思があるかどうかを尋ねたとき、全員が挙手するのを目にした。そしてどこへ行っても、釣りをしない人びとも手を貸してくれる心づもりがあり、彼らはただその方法がわかればと言った。
しかし、資源がますます減り、数千年の文明によって景観が設計されてしまった、人口密度の高い島国で懸念する市民に、何を提供できるだろう?河川は水田のために迂回させられ、多くが海に達していない。僕らが釣りをした手付かずの渓流ですら、数百メートルごとにあらゆる種類の貯留ダムが存在し、川の流れや魚たちの移動を妨げて通過不可能にしている。ここで僕が提供しなければならなかったのは何だったのだろう?
川に戻ろう。淳一と玲央と学と僕は2メートルの砂防ダムの上に座り、水上で足をぶらぶらさせながら、おにぎりを食べる。その日について説明すれば、日本のアングラーたちは20センチのイワナ1匹と、フライに食いつきはしなかったが浮上した同じくらいの大きさの魚数匹に満足している。そのとき、僕らの足元の浅い水のなかに岩から滑り出した影が映った。大きなイワナ……。巨大だ。僕の前腕よりも長い。この厳しい高山の水では不可能にも思えるような魚だ。ダムに挟まれた小さな滝のある短いエリアで、どうやってこれほどまでに大きく成長したのだろう。畏敬の念を抱きながら、僕らはこの偉大な魚が水たまりを泳いではふたたび岩の下へと消え去るのを眺めた。自然は根強く残る。
僕はここ日本で、何を提供できるのか? より広範囲にキャッチ&リリースの釣りを受け入れてもらうためのキャンペーンか、養殖サーモンの購買を停止する要請か、あるいはダム撤去と生息地の保護に取り組む人びとの応援か。収穫を減らし、野生魚の生息地を改善させながら、孵化場依存から脱却させるには……。日本では課題が山積みであり、そして今日の状況からすると、その解決策はとても遠いところにある。しかしどこに住んでいようとも、直ちに着手しはじめる必要があることを、僕は理解している。そして僕らにできることを行い、野生魚に可能性を与えることで彼らは回復し、繁栄することができることも、僕は知っている。自然は根強く残る。ここ日本で僕が提供できることは、僕の同国人に提供していることとまったく同じ。それは信念だ。
2019年10月31日、『アーティフィッシャル』フィルム全編を公開しました。