クリーネストライン


「ヨセミテ・バレーはロッククライマーに、この国における究極の挑戦を提供する。ちょっとした易しいルートから、最も困難なルートまで、さまざまなクライミングを見つけることができ、その種類の豊富さに匹敵する場所は他にはほぼ存在しない」スティーブ・ローパー、『A Climber’s Guide to Yosemite Valley』より Photo: Mikey Schaefer
「ヨセミテ・バレーはロッククライマーに、この国における究極の挑戦を提供する。ちょっとした易しいルートから、最も困難なルートまで、さまざまなクライミングを見つけることができ、その種類の豊富さに匹敵する場所は他にはほぼ存在しない」スティーブ・ローパー、『A Climber’s Guide to Yosemite Valley』より Photo: Mikey Schaefer

レッドブック

By ティミー・オニール   |   2019/11/18 2019年11月18日

ヨセミテ初のクライミングガイド本からの教訓

「考えたんだけど」と、マイキーがテキストしてきたのは昨年10月のこと。「赤い表紙のヨセミテのガイド本にある推薦ルートをすべて登らないか」僕は即、同意した。それから1週間もしないうちに、使い古された『A Climber’s Guideto Yosemite Valley(クライマーのためのヨセミテ・バレーガイド)』が郵送されてきた。〈シエラクラブ〉から1964年に発刊されたこの本は、過去30年にわたって開拓された何百本ものルート情報を収めた、初のクライミングトポだった。

僕はヨセミテ登攀の黎明期を経験すること、そして親しみ深いこの場所を、異なった切り口で理解する、というアイデアに惹かれた。マイキーはひとつ条件をつけてきた。それは「ネットで下調べをしないで、ガイド本にある情報だけを使うこと」だった。「ちょっとした易しいルートから、最も困難なルートまで」という、明らかに広範なおすすめクラシックを登りつくすようなプロジェクトには数シーズンを要する。数本は短く比較的簡単に見えたが、その他は長い日々を費やすことが予想され、大半がバレー全体に散在する歴史的な脚注のように読み取れた。

マイキーと僕はロッジのカフェテリアで残飯あさりをしていた20年前に出会ったものの、それまでパートナーを組んだことはなかった。これが最新のテストピースとなるようなラインを開くのではなく、膨大なオールドスクールのクライミングを発掘するためのプロジェクトであるという事実は、人知れぬ挑戦を求める苦労人である僕らのルーツに納得のいくものだった。僕らがここで追求する登攀はどれも、僕らが生まれる前に開拓されたものであるということも理に適っていた。

「ヨセミテ・バレーがこの国で最も影響力のある重要なロッククライミングエリアであることは、誰にも疑いのない事実である。またこの国最高のロッククライマーたちが、バレーを『クライマーとしての誕生地』とすることも事実だ」スティーブ・ローパー、『A Climber’s Guide to Yosemite Valley』より Photo: Mikey Schaefer
「ヨセミテ・バレーがこの国で最も影響力のある重要なロッククライミングエリアであることは、誰にも疑いのない事実である。またこの国最高のロッククライマーたちが、バレーを『クライマーとしての誕生地』とすることも事実だ」スティーブ・ローパー、『A Climber’s Guide to Yosemite Valley』より Photo: Mikey Schaefer

当時〈シエラクラブ〉のエグゼクティブ・ディレクターだったデビッド・ブラウアーは、『AClimber’s Guide to Yosemite Valley』の序文に、「クライミングの鍵となるものについて出版することはできても、クライマーとなるための鍵はない」と書いた。それは中途半端な知識をもった、素人愛好家の危険について言及するものだった。しかしこれは、クライマーのライフスタイルへの忠誠についてもほのめかしているのではないか、と僕は思う。頂上に至るために要するのは最小の重量であるのと同じように、地面を去るのに必要なのは最大の信条だ。クライミングは静かに歩むことと、深く考えることとの融合なのだ。

僕らがヨセミテに向かったのは4月で、マイキーのチリ南部への差し迫る遠征と僕のジョシュア・ツリーへの計画の狭間に、ぎりぎりでねじ込まれた旅だった。嵐の気配が漂う空のもと、そして長期的にはさらにひどくなる天気予報とともに、僕は待ち合わせ場所のバレーまでヒッチハイクした。少しでも晴れ間を逃したくなかった僕らは、日没まであと数時間というところで、まだ初春の雪に埋もれたガンサイト・ガリー経由でミドル・カシードラルの北西壁に取りつくことにした。1964年のレッドブックは、最新のバレーガイドと比較すると携帯電話対固定電話のような過去の遺物だが、未知の登攀に事前知識なく、乏しい情報だけに頼ることこそがその意図だった。マイキーはさらに、車窓から僕の電話を投げ捨てると脅しもした。

本を調べる。 ほとんどのルートが当時最高のグレードだったが、実際に登った者はいなかった。Photo: Mikey Schaefer
本を調べる。 ほとんどのルートが当時最高のグレードだったが、実際に登った者はいなかった。Photo: Mikey Schaefer

僕らはさまざまなクラックと浅い凹角を斜度のないフェイスムーブでつなげて、ルートをトップアウトした。ルートを読むと同時にコンテで駆け登るミッションは、黄昏のエル・キャピタンという、これまで経験したことのない景色によって報われた。僕は月光の強烈さと同時に、偉大な広がりに存在する突然の小ささを感じた。それまでその存在を知らなかった質の高いルートを登ることで僕は活気づき、これまで頻繁に感じてきたことを思い出した。トレイルが終わると登攀がはじまり、世界が新たになる、ということを。

ザ・アイオータを探すためにリーズの左側へとつながる短い斜面を駆け上がると、土砂降りになった。それは亀裂の入った分厚いスラブの背後に隠された一連のスクイーズチムニーで、巨大なボルダーの山で終わる。果敢にも僕は傾斜のゆるいチムニーを登りはじめたが、雹がすべてのエッジを埋めはじめると、すぐに考え直した。ガイド本の著者スティーブ・ローパーは推薦するルートについて、こう書いている。「通常は良い岩によって、泥と良いプロテクションの欠如によって、区別される」濡れた岩を考えながら僕を不安にさせたのは、その最後の言葉だった。人間ピンボール兼消しゴムになるという想像はダイレクトエイドに妥協させるに十分で、スリングに足を入れ、ロープを引っ張りながら登った。1956年に開拓された5.4のルートにダイレクトエイドを用いるのは、マイキーが「過激な父さんたちは、君のスタイルを誇りに思うぜ」と冗談を飛ばすまでは、奇妙に思えた。僕はこんな古めかしいガイド本を使うのは、1960年代の『ヴォーグ』誌からファッションの助言を得るようなものだと気づいた。

トポも電話もなし。本の説明のみを使用した「ワシントン・コラム・ダイレクト」。Photo: Mikey Schaefer
トポも電話もなし。本の説明のみを使用した「ワシントン・コラム・ダイレクト」。Photo: Mikey Schaefer

初登は劇場の良い席のようなもので、明らかなルートはすぐに占領されてしまう。僕らは「顕著な弱点を突くラインをたどれ」と教えられてきた。際立った岩の特徴はしばしば最も簡単なルートとなるからだ。1933年に初登されたワシントン・コラムのランチ・レッジはヨセミテ初の現代的なロープ登攀で、月桂樹と松が点在する90メートルのレッジと壊れたバットレスから成る、長いあいだ最も人気のルートだった。コラムの後戻りが困難なIII 級のダイレクトルートは丸1日を要し、さらにその上へと250メートルつづく。

頭上にあるラインを観察して感じ取ると、長年のマルチピッチ登攀に鍛えられた試行錯誤のプロセスが強力な方向感覚を作り出す。マイキーと僕はすばやく登り、「邪悪に見える」、そして「脆い」と表現されたチムニーの数々を這い上がった。ローパーがこれを「中難度だがきつい」登攀だと保証していたことは歓迎だった。僕らは休憩と食事を取って会話を交わし、しばしばこの世を去った仲間たちの名前と話を語った。これらのルートのトポをたどりながら、僕らはいまも伝説の中に生きつづける象徴的なクライマーたちと無意識に出会っていた。そして頂上でロープを巻きながら、魂を貫くようなハーフドームの北西壁のパノラマを堪能した。

クライミングは多様な読み物のリストを要求する。トポとルートの概要だけでなく、天候や危険な地形、パートナーの技術と決意のレベル、そして最も重要な直感についても。ガイド本はインスピレーションを提供する。1964年のレッドブックのような資料に目を向けるとき、それは60年以上という共有経験の幅広さを物語っている。ロープにつながれた兄弟や姉妹のような関係は、僕にとって「なぜ登るのか」に対する大きな理由のひとつだ。なぜならすべての仲間や登攀と同じように、これらのガイド本は事実と数字を家族のアルバムへと変身させてくれるから。

このエッセイはSeptember Journal 2019に掲載されたものです。

リーズ・エリアの左側に位置する「アイオタ」。天候は最悪で、トップアウトするために可能なかぎりあらゆる手段を取った。 Photo: Mikey Schaefer
リーズ・エリアの左側に位置する「アイオタ」。天候は最悪で、トップアウトするために可能なかぎりあらゆる手段を取った。 Photo: Mikey Schaefer

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