ティーンエイジャーの娘2人と行くバンフ国立公園スキーツアー
私の前を4人のスキーヤーが1列になって雪に覆われたワプタ氷原を整然と横断している。4人は糸のように見えるロープで繋がれ、両端に母親であるシェリルとナンがいて、その間に彼女たちの2人の娘であるローンとセーラーがいる。私はローンの父親でシェリルの夫であり、カナダのバンフ国立公園で山小屋を拠点にして行う5日間のこのスキーツアーに付いて来ていて、途中で写真を撮れたらいいと思っている。破壊的な嵐雲や渦巻く雪、雲に覆い隠された岩の峰々が作る巨大な闇に囲まれた私たちは、12センチメートルの新雪と寒冷前線らしい気温の中を移動していた。このツアーの前に行ったウォームアップツアーでローンが下した、「私が今までに滑った中で最悪のスキー!」という評価を考え直さなければならない状況だ。私たちはうつむきながら、昼食前に距離を伸ばそうと努力していた。
私はワプタで他のティーンエイジャーに会うことはないだろうと確信している。人の多いコロラドのバックカントリーでも、ローンとセーラーは新雪を求める唯一のティーンエイジャーだ。幼稚園の頃からバックカントリースキーを(輸入した子供用スキービンディングに、自分で修正を加え、ようやく使えるようになった板で)始めていた2人は、滑降をお金で買わない(つまりヘリスキーのことだ)と私たちは理解している。ハイクアップでは、彼女たちに対してキャンディーのご褒美やおはなしといった手口を何度も使ってきた。次第に彼女たちの成長に伴い「雲の上を浮いているような」滑降の感覚を楽しむためには努力が必要なのだと受け入れるようになった。しかし、この旅はその受容性を確認するかのような旅であった。それは重い荷物を背負うスキーは、下りであっても登っているかのように感じるからだ。
その朝、ボウ・ハットを出発してすぐに、私たちは溶けゆくボウ氷河の突端に氷の洞窟を見つけ、ためらいなく歩みを止めた。洞窟は、曲線を描く深い氷河の青い色相で、暗い氷河の中を垣間見ることができた。
「わあ、すごい」とローンが言った。「古代の層に触れられるなんて」セーラーはしばらく立ち止まり、「神秘的だね。映画に出てくる景色みたい!氷のパワーを上からも下からも感じられるよ。」と付け加えた。誰もが畏敬の念を抱き、このわずかな空間を歩き回り、存在の果てを感じさせる光景に魅了された。
セーラーとローンは、お互いが母親のお腹の中で出会った、と冗談を言う。ナンが持っている印象的な写真では、生後6カ月のセーラーが、楽しみで待ちきれないというように、妊娠中のシェリルのお腹を軽く叩いている。それ以来、2人の少女は姉妹のような強い友情を育んできた。セーラーは、姉妹(シスター)という言葉と友情を掛け合わせ「フリスター」という愛称を作り出した。
「ねえ、フリスター!」とセーラーはローンに叫んだ。ロープで繋がれたチームの上空では雲が消え、うつむいてしまうような暗さは、新雪の表面で宝石のように輝く太陽の光に変わっていた。「あなたのジャケット、大好き!」
ローンは、遠征前にセーラーからもらったお下がりのジャケットを着ている。お下がりはドゥランゴの一家には大切な習慣で、ローンはこの贈り物に誇りにしている。「このジャケットには、私たち2人分の思い出が詰まっているから」とうローンの想いだ。
お下がりは、蓄積された知識を若い世代に伝えていく循環のことも指している。私の母は60年代にアウトワード・バウンドで指導し、私を最初に自然の中に連れ出した人だ。私は大学でレイチェル・カーソンとアルド・レオポルドについて学び、ロッククライミングに夢中になった。長い遠征から戻ると(その遠征で成功したか否かにかかわらず)その遠征と比べて、社会で生き残るために必要な挑戦はささいなことだ、私はいつも感じていた。少なくとも、また逃げ出すまでのしばらくの間は。私は自然の中で生きる能力を当然のように強く信じていて、それが私自身の子育ての基盤になっている。
ランチの後、私たちはロンダ山の長い稜線を望むことができる高台へ登った。ロンダ山はクジラのような形状の山で、周囲を覆う氷河から突き出している。ローンとセーラーは山の左側にある、ギザギザの氷河の上空で風に刻まれたモレーンに引き寄せられていった。自撮り写真を撮り、頂上からの眺めを楽しむためだ。ローンは、眼下に広がる一帯を冒険したいと思い、同時に「私たちが生きている世界をとても誇りに」感じた、と振り返る。
氷河をトラバースしながらセーラーとローンを導いているのは私たちであるが、現在必要な知識をすぐに吸収する過程にある彼女たちは、やがて想像もできない場所へ、私たち両親を導いてくれることになるだろう。トラバースの途中、私は写真のアングルを探りながら、深く落ちこんでいるセラックに接近しすぎたことがあった。ローンとシェリルは明らかに私に腹を立てていた。セーラーは、「グループの人間関係を健全に保つコツを学んだよ」と振り返って言う。「常にみんながどう感じているかを聞く必要があるよね。そうすれば望んでもいない危険な状況に誰も陥らずにすむから」私の失敗に対する分析は、セーラーが年齢以上に精神的に成熟していることを表していた。
私はこれからも様々な機会にローンと氷河を訪れるだろう(あの時ほど近付かないようにはするが)。ローンにも氷河を大切に思ってほしいし、もちろん氷河を守ってもほしい。より深く考え、氷河の消失や規制が減少するように願っている。最近、ローンはあのアルド・レオポルドの「オオカミの遠吠えを客観的に聴くことが出来るほど長生きしているのは山だけだ」という言葉を唐突に家で引用し、私を驚かせた。ローンとセーラーをとても幼い頃から自然の雪山に連れて行くことで、体重の半分もの重さがあるスキー装備で2人をひどい目に合わせ、風焼けで頬を充血させ、2人を絶えず快適な環境から追いやってきた。驚いたことに2人は今では「スキー大好き人間」で、自然の中で生きる能力に対して自信を持ってもいる。子育ての大半は「願い」だ。ナンとシェリル、そして私は、頂上から感慨深くそれを見守っている。
温かいスープと快適な寝袋という提案に促されて私たちは立ち上がり、次の小屋であるペイトー・ハットに向かって戻り始めた。数キロメートルのなだらかでふわふわの粉雪が積もった斜面を、ゆっくりした大きなターンで喜びの声を上げながら一行は滑り降りていく。誰も家に帰りたくはないと思っていたが、あっという間にボウ・ハットに到着し、停めてある車に乗り込むことになるだろう。でもいま私たちは、この上なく満たされた、幸せな家族であり友人であり、フリスターなのだ。