クリーネストライン


フィッツロイのカリフォルニア・ルートで、ケイト・ラザフォードはマウンテン・ブーツではなくクライミング・シューズを履けるくらい暖かいことを願う(2011年)。photo:Mikey Schaefer
フィッツロイのカリフォルニア・ルートで、ケイト・ラザフォードはマウンテン・ブーツではなくクライミング・シューズを履けるくらい暖かいことを願う(2011年)。photo:Mikey Schaefer

6年で7つの頂

By ケイト・ラザフォード   |   2020/05/28 2020年5月28日

2013年、マデリーン・ソーキンと私は、フィッツロイのノースピラーにアプローチしていた。氷河にそびえる914メートルの黄金の花こう岩だ。クライミング・パートナーとして、私たちは女性で初めてエル・キャピタンのフリーライダーやザイオン国立公園のムーンライト・バットレスをフリーで登攀するなど、多くの経験を積んできた。しかしパタゴニアと、その入り組んだ谷や気まぐれな気象パターンを経験しているのは私だけだった。

パタゴニアに初めて惹かれたのは2006年だ。その年、私はマイキー・シェーファーやダナ・ドラモンドと共に、フィッツロイ山頂に45メートルまで迫りながら、ホワイトアウトで視界を失い、忘れられない失望と喪失感を抱いて撤退しなければならなかった。2011年、マイキーと私は再びフィッツロイに向かい、ワシントン・ルートを開拓した。暗い中で登頂を果たし、そこで眠り、うっとりするようなピンクの夜明けがご褒美だった。2013年、マデリーンと私はついにパタゴニアに一緒に登れることになった。彼女にとって初めての、私にとっては6度目のシーズンだ。そして私は彼女の安全を守るという深い使命感を持っていた。

(ノースピラーの)マテ・ポロ・イ・トド・ロ・デマス・ルートの2日間の登攀は厳しく、美しく、そしてフィッツロイ山頂に着いた時は、南部の冠雪やトレス湖が、南半球の明るい夏の日差しにきらめいていた。マデリーンはここでビバークを思い付いたが、ここがどれほど安全からほど遠い場所であるか、私は自分の感じている怖さを説明した。パタゴニアの天気が瞬時に変わり得ることを知っていたし、またホワイトアウトに捕まりたくはなかった。

夜にかけて10ピッチの懸垂下降。正しいルート上にいることを確認できるまで私は位置を調べた。午前3時、ふたりともこれ以上進むには疲れ果て、並んで座るのがやっとの岩棚に腰掛け、数時間を過ごした。目を覚ますとホワイトアウトだった。おしゃべりをしながらさらに4時間かけて氷河にたどり着き、数キロメートルにわたって緩んだ雪に足を取られながら、ついに最後の斜面をブーツでスキーのように滑降した。乾いた崖下に立った時、安心と喜びとこの登攀を勝ち取った誇りに打ちのめされ、私は泣いた。フィッツロイのノースピラーを完登した初めての女性チームになれたのだ。

それまで大きな目標を登ることが怖かった。どれほどの努力と純粋な苦痛を伴うかを知っていたからだ。今はとにかく始めることが私の対処メカニズムだ。アラームをセットし、朝食を食べ、テントから出て、靴を履き、歩き始める。押しつぶされないように1つ1つの作業を区切る。1歩1歩前進するごとに、私は考え直しても引き返してもいいことを学んだ。これまで師と仰いできた人々から、怖れ、喜び、ナビゲーション、スピード、自分の直感を信じること、パートナーを愛することについて多くを教わったが、ついにそうなれたことが誇らしかった。

残すところあと3日となり、私はマデリーンや私たちの友人であるリサ・ベディエントと共に、アグハ・メルモスのレッドピラーの登攀に出発した。私たちは笑い、山頂でコンドルといっしょに踊った。フィッツロイ山塊に属する伝統的な7つの美しいピーク、そのそれぞれの尖端に立つという6年越しの夢のまさに絶頂だった。これらの登攀は、垂直の世界で師から学んだすべての集大成だ。この力強いスカイラインの一部になれたことに感謝して。

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