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木は立たせておくほうがいい

ブレンダン ジョーンズ  /  2020年5月20日  /  読み終えるまで15分  /  アクティビズム

春のニシンの産卵によって染まるシトカ湾の島々の沿海。Photo:Lee House

私がトンガスで暮らしはじめたのは1997年9月、セオドア・ルーズベルト大統領がそこを国有林に指定した日から約90年が経ったときだった。19歳だった私は、コロンビア大学を去るとグレイハウンドバスに乗って西へ向かい、やがてアラスカの漁村シトカにあるサーモンの孵化場で働くことになった。

家賃を節約するため、自然のままの姿をとどめる世界最大の温帯降雨林のなかへと20分ほど歩いたところに住むことにした。ベイトウヒの林にミツバチのような黄色いノースフェイスVE25のテントを張り、木の幹のあいだにタープを吊るして回廊を作った。冬が近づくと、あまりの寒さでテントの中でオリーブオイルが白くなった。キャンプ用バーナーでオイルを温めていると、川岸で腐っていくピンクサーモンのカビ臭い匂いがテントの背後から漂ってきた。寝袋のジッパーを閉め、フリースを丸めて枕にし、海から運ばれてくる重たい雪がトウヒの針葉に落ちる音を聞いた。そして業務用の強力なクマ避けスプレーの缶を腕の下に置いて、眠りに落ちた。

感謝祭の少し前、都会育ちのアマチュアぶりで、うかつにもバーナーに点火するときにテントの入り口を焼いてしまった。仕方なく、チョコレート色のタープを毛布のように引きずってインディアン・リバーの上流へと移動し、手引ノコギリでアメリカツガの若木を切り倒して小屋を建て、夜はサーモンベリーの茂みに自転車を隠した。石から石へと飛び移って川を渡り、アンズタケの採り方を覚え、甘草を掘り出してお茶にし、雨のなかで火を起こした。ポケットナイフでトウヒの幹から琥珀色の樹液をこすり落とし、湿原地帯のハイマツからサルオガセを集めて焚きつけに使った。サーモンの孵化場で魚を育て、デイリー・シトカ・センティネル紙に記事を書きながら、こんな風にして8か月間暮らした。

4歳の娘ヘイリー・マリーに当時のことを話すと、「クマはいなかったの?」と鼻にしわを寄せる。人口の約7倍にあたる1,500頭のグリズリーベアが徘徊するバラノフ島ではもっともな質問だ。「クマにはクマの場所があったんだよ」と、私は答える。

総計1,670万エーカー(6,758,250ヘクタール)というのが正確な数字だ。

私たちが住むトンガス国有林の地図をヘイリーに見せる。モスグリーンに印刷された箇所が、細長く伸びるアラスカ南東部に広がっている。ここは1万年以上にわたるトリンギット、ハイダ、チムシアン族の故郷でもある。ヘイリーは森林に散在する32の共同体のひとつ、シトカに指先を落とす。

氷原と森林とフィヨルドから成る群島で、雪を頂いた山々が目のくらむような角度で海から突き出し、エトピリカの巣穴が点在する崖にワタリガラスやハクトウワシの鳴き声がこだまする。トンガスの半分以上はベイトウヒ、アメリカツガ、ベイスギ、アラスカヒノキなどの森林だ。樹木は地下で網のように広がる根でつながり、根は世界有数の豊富なサーモンの群れの残骸から栄養素を吸収している。

そしてこれこそがトンガス国有林の驚くべき現象だ。

通常、森の生態系は動物が植物を食べるものだと考えられる。しかしここではその逆であり、樹木が動物を食べている。

毎年秋になるとサーモンの成魚が日陰に覆われた川に回帰し、そこで産卵して死を迎える。川が次世代のサーモンの稚魚に育つための場所を提供してくれるお返しに、母魚や父魚の朽ちかけた死骸は川沿いに栄養素のシチューを作り、もっぱら海洋網だけに見られる独特な要素である窒素15を樹木に与える。谷のトウヒやツガやスギはサーモンから栄養素を得て急速に育ち、スギは千年近く生きることもある。現に生物学者はベイトウヒの年輪を観察することで毎年遡上する魚の密集状態を追跡できることを学んだ。「サーモンの産卵の歴史は文字どおり森の図書館に書かれている」と、カナダのテレビタレントであるジヤ・トングは著書『The Reality Bubble』のなかで述べている。

18世紀にロシア人が到来して以降、これらの樹木との関わりとして好まれてきたのは斧だった。ロシア人が船や建物の建造に適した木々を切り倒す一方、アメリカ人は材木ブームが本格化した1950年代に産業規模の皆伐を開始した。アメリカ政府が製材企業にトンガスでの無制限の伐採を許可すると、伐採業者は渓谷の上流へと向かい、彼らが「パンプキン」と呼ぶトウヒやツガやスギの巨木を探した。樹木は倒され、砕かれ、多層の圧力容器に流し込まれた。木片はそこで酸と混ぜ合わせて煮詰められ、乾燥後に真っ白なパルプのシートとして押し出された。梱包して搬出されたそのシートは、やがて新聞紙やセロファンや紙おむつの原料である綿状パルプなどに加工された。故郷の川に戻ってきたサーモンは河口に溜まった泥に行き先を塞がれ、クマはねぐらを失った。また通常は針葉樹の林冠の合間から自然光を20パーセントしか受けない林床の土は、その日陰を失って太陽に焼かれた。

そして2001年、皆伐の蔓延を見かねたビル・クリントン大統領は、任期満了8日前に「ロードレスエリア(無道区域)保全規定」に調印し、トンガスは全米のその他の国有林とともに道路建設の道を閉ざされた。オレゴン州での林業と環境保護主義者とのあいだで生まれた妥協案を前例として学んだクリントン大統領は、道路建設が汚染の増加、土地の浸食、種の消失につながると同時に国有林にはすでに十分な道路(621,000キロメートル、つまり地球を15周できる距離)が交錯していると論じた。製材企業が皆伐を終えたあとの道路管理を任されていたアメリカ合衆国森林局は、その整備に追いつけない状態だった。

製材企業は停滞した。トンガスに残る165,000エーカー(66,773ヘクタール)の原生林への道をブルドーザーで整地できなければ、チェーンソーの刃を動かすことはできない。ジョージ・W・ブッシュは大統領就任後の初の布告でクリントンの法令の却下を試みたが、2009年に第9巡回控訴裁判所が法令を認可した。2012年には最高裁判所が訴訟を却下し、それ以来トンガスでの道路建設は禁じられている。

そこで、ドナルド・トランプの出現だ。

昨年2月、エアフォースワン(大統領専用機)がベトナムからの帰途、給油のためにアンカレッジに着陸した。共和党のアラスカ州知事マイク・ダンリービーはこの機会に乗じてドナルド・トランプ大統領に、トンガスをクリントンの法令から全面的に免除し、森林を伐木搬出に開放するよう依頼した。

木は立たせておくほうがいい

ロードレス規定の支持を訴えるため、アラスカ州会議事堂の前でデモを行うアラスカ南東部の住民たち。ジュノーPhoto:ColinColin Arisman

その前年の秋、森林局の「スコーピング(公開討論会)」期間に、アラスカ南東部の住民の9割以上がトンガスの道路建設禁止の継続を支持するコメントを残していた。先住民部族のリーダーたちも猟師や商業漁師に加わるなど、この地方の経済は長年の低迷ののちに観光事業と商用漁業のおかげでようやく復興しているが、これらの産業には手つかずの森林が必須であるということを、ワシントンDCから来た議員たちに辛抱強く説明した。森林局は彼らが「至宝」と呼んでいるトンガスを守る必要があった。なぜなら樹木と川がなければ、非常に繊細な魚であるサーモンは姿を消してしまうからだ――スカンジナビア、アイルランド、スコットランド、フランス、イギリス、ヨーロッパ西部、アメリカ東海岸部、カリフォルニア、アメリカ太平洋岸北西部のように。アラスカはそれを食い止めるべきだ、と地元住民は訴えた。それはつまり、サーモンの生息地を皆伐させないことを意味した。

観光事業に関して言えば、アラスカ南東部を訪れる旅行者は地球に残されている最後の野生の景観を期待しているのであって、間違ってもお金を払って切り株だらけの荒凉とした月面のような風景を見にくるのではない。観光事業はこの地方に約1万もの雇用機会を生み出し、年間約10億ドルをもたらしている。商用漁業はその約2倍。一方、木材産業がアラスカ南東部に提供する仕事は200あまりで、しかもこの20年間には国庫補助として毎年約3,000万ドルをアメリカの納税者に負担させてきた。

しかしエアフォースワンでのダンリービーとの面談ののち(トランプは身長200センチのアラスカ州知事を「ビッグ・ガイ」と呼んで目にかける)、大統領は農務長官ソニー・パーデューに、コメントを無視し、トンガスをロードレス規定から全面免除する準備に即座に取りかかるよう指示した。ツイッターにアップロードされた悪評判のビデオでは、「例の件は進んでいる」と共和党のアラスカ上院議員ダン・サリバンに伝えるトランプの声がスピーカーフォンから聞こえる。そしてラップアラウンド型サングラスをかけ、ポケットに手を突っ込んできまり悪そうに笑うダンリービー知事が画面に入ってくる。彼らの背後のデッキには飲みかけのアラスカ産ビールが映っている。

今年10月、連邦政府は環境影響声明草案を発表し、トンガス国有林をロードレス規定からの免除対象にすることを正式に発表した。これを執筆している現時点で、アメリカ合衆国農務省は60日間の公衆意見聴取期間を設け、アラスカ住民にトンガスについて再度意見を述べるよう奨励している(トンガスの道路建設禁止の継続を成功させた初回のコメントのように)。農務長官は2020年6月に最終決定を行う見通しで、道路建設は早ければその夏にはじまることになる。

「まったく信じられません。80~90年代に逆戻りしたようです」と〈Women’s Earth & Climate Action Network(WECAN)〉のトンガス支部のコーディネーターを務める「カシュドハ」ことワンダ・カルプは言う。ジュノーで育ったカルプは2009年にジュノーの南西約110キロメートルに位置するチチャゴフ島の、住民の大半がトリンギット族であるフーナー村に移住した。「先住民の村と、住民が数千年間も頼ってきた森を傷つける歴史の繰りかえしです」

木は立たせておくほうがいい

過去1世紀のあいだ、皆伐はトンガスの風景を変貌させてきた。地元の住民たちはいま、彼らに残された原生林を守るために闘っている。Photo:Colin Arisman

継ぎはぎの皆伐地帯はカルプの村の道路網を分断する。毎夏〈WECAN〉のメンバーであるレベッカ・サワーズとエイドリアン・リーとカルプは、これらの道路の1本を使ってフレッシュウォーター湾に行き、「カルチャー・キャンプ」の開催に協力している。これは児童や青少年がハマグリやザルガイを掘ったり、野イチゴを摘んだり、スモークサーモンを作ったりするのを学ぶ1週間の体験で、アラスカ南東部の経済、生態学、文化のために尽力する組織のネットワークである〈サスティナブル・サウスイースト・パートナーシップ(SSP)〉からも支援を受けている。「かつて皆伐された場所をキャンプ地にして、子供たちにいろいろな体験をさせているんです」とリーは言う。「やっと森が回復しはじめたというのに、いまさらこの展開なんて」

ブレント・コールは木材の切り出し作業員としてアラスカで9シーズン働いたのち、倒木を利用してギターのサウンドボードを作る〈アラスカ・スペシャルティー・ウッズ〉という会社をはじめた。ビジネスにはシトカスプルースとして知られるベイトウヒが欠かせない。「アラスカ南東部には良質の木があります。ヨットのマストや飛行機の翼桁、そしてギターのサウンドボードに最適な高級木材です」とコールは言う。「僕たちがやろうとしているのは地元で価値を上げること。木は正しく使われるべきです」

トリンギットのカケ村に住むドーン・ジャクソン(トリンギット語での名前は「カアクスワアン」)はコールに同意し、一定量の伐採は道理にかなっていると言う。「地域にとって重要だからです。伐採者が嫌いなわけじゃありません。ただ、根こそぎにしないことが大事です」

カナダのウエスタン大学に通うジャクソンの22歳の息子シャワアンは、〈SSP〉の一環である〈ケエックス・クワアン・コミュニティ・フォレスト・パートナーシップ〉で働く。〈ケエックス・クワアン〉は数百のサーモン生息流域を保護すると同時に、小規模の伐木搬出を奨励している。「肝心なのは資源の責任ある使い方です。輪作林業、間伐、生息地の復元など、土地を正しく扱うことです」とシャワアンは言う。

アラスカ州前知事フランク・マーカウスキーをはじめトンガスの全面開放に賛成する人びとは、土地を正しく扱うことと、再生可能エネルギー事業のための道路を建設することの両立は可能で、それはまた木材や採鉱探査にも開放されるべきだと議論する。マーカウスキーはアンカレッジ・デイリー・ニュース紙の9月の意見記事で、この地方に林業関係の仕事がほとんどないのは道路がないからで、ロードレス規定の解除は地元経済にとって恩恵となると指摘した。

これに対し、〈シトカ・コンサベーション・ソサエティー〉の編集長であるアンドリュー・トムズは異議を唱える。

「道路建設と伐木搬出が繁栄をもたらしたという意見が出回っていますが、現実はまったく逆です。にわか景気と不景気の繰りかえしに過ぎず、金は州外に出ていくばかり。酒屋が増えても、それは一時的なもの。長つづきはしません」

事実、夏にカルチャー・キャンプに携わっていないとき、リーはフーナーの酒屋で働いている。リーは酒を買う釣り人と観光客の数を考慮すると、伐木搬出がとくに酒の売り上げを伸ばすとは思っていない。「まったく理に適っていません。森は伐採するよりもここにある方が、より多くの資産をもたらします。ロードレス規定は私たちにとっては機能しています。アラスカのために役立っているのです」

昨年4月、〈WECAN〉のメンバーであるサワーズ、リー、カルプ、キャリー・エイムズはワシントンDCへと旅し、議員会館を訪れてトンガスのロードレス規定の重要性を証言。森林について文化遺産の観点から語ると同時に、アメリカ本土48州のためにも最も実質的な炭素隔離の方法であることを説明した。森はたくましい肺であり、国有林は全米の推定8パーセントの炭素を蓄積しているからである。

「トンガスのような森を想像するのは、普通の人には難しいでしょう。だからそれを思い描いてもらえるよう、最善を尽くしました」とカルプは言う。4人の先住民女性は儀式用のケープをまとい、ドラムを叩きながら、トンガスに関する数千年におよぶ知識を反映するストーリーを語った。それは植民地化されてから300年が経たないというその土地の歴史の、ずっと以前から語り継がれているものである。「私たちの目的は、この地方選出のリサ・マーカウスキー上院議員が『アラスカ住民はロードレス規定を緩和したがっている』という嘘を同僚に明言していた事実を、他の政治家たちに伝えることでした」

私はインディアン・リバーのほとりに小屋を建てたあと、大学を卒業し、ふたたびアラスカ南東部に戻って商用漁業に従事した。アラスカの大工組合〈カーペンターズ・ローカル1281〉に入り、学校の屋根葺きやショッピングモールの建設にも携わった。やがてシトカのキューバ式サルサ教室で未来の妻レイチェルに出会い、漁船の船長が取りもって結婚の儀をおこなった。レイチェルと私はベイマツの古木で作られた第二次世界大戦時のタグボートに2つの薪ストーブを取り付けて住み、そこで娘のヘイリーを育てた。夜はヘイリーに「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌って聞かせ、レイチェルはストーブに私が割ったツガの薪をくべた。ゆっくりと熱く燃えるこのオレンジ色の薪を、私たちは「夜の木」と呼んだ。

私たちにはいま2人目の娘がいる。ヘイリーは鹿の皮を剥ぐための自分専用のナイフを持つ年齢になった。ときどき、シトカオグロジカを狩るために生い茂った伐採用道路を歩きながら、ツガの樹皮の木目やベイトウヒの紫色の木片に手を走らせる。誓うが、木の幹に手のひらを当てると、木のなかで泳ぎ、白太に光るサーモンの存在を感じることができる。狩る者と狩られる者、生と死の境は薄らぎ、魚、木々、シカ、そしてそこに立っている私は一瞬、同じ大家族の一員となる。

ヘイリーにサーモンと森の概念を説明すると、何かを真剣に考えるときにいつもするように、首をかしげる。私たちはそのとき自宅で本棚を作っていたが、その木材はトンガスの森で落雷に倒されたアラスカヒノキから、私がチェーンソーで切り取ったものだった。彼女はオービタルサンダーで熱心にその表面を研磨している。

そしてようやく、眉間にしわを寄せながら、ヘイリーは私にこう言う。「パパ、木は立たせておくほうがいいよね」

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