往古の王国ザンスカールの新しい道
猛吹雪がジープの脇腹に打ち付け、たちまち前方の道路を白く覆い尽くすと、ただでさえ危険なドライブに新たな緊張が加わった。ワイパーがフロントガラスで規則正しいリズムを刻み、ラジオのエンリケ・イグレシアスの感傷的な歌声が少しズレたテンポでそれに重なる。ドライバーのジグメスは、インドのレーで私たちを乗せ、この旅のスタート地点となる北部山岳地帯に向けて450キロのドライブを始めてからずっと、このポップス歌手のヒット曲をかけている。それは9月22日、計画した16日間にわたるバイクパッキング旅行の0日目だった。3時間ほど道路を走ると標高5,300メートルのタグラング・ラ峠に差し掛かった。目的地まではあと数時間、マナリとレーを結ぶハイウェイのはるか先に向け、2つの高い峠を越えなければならない。たどり着くには、もちろんこのブリザードも越えなければ。
ジグメスは吹雪によって大規模な崩落が起きると考えていたようだ。実際、その数時間後に道路は封鎖され、作業員が現場を片付けるまで彼は5日間、峠の裏側で足止めされることになる。しかし、私たちは吹雪を単なる不都合と軽くいなしていた。旅の序盤の無邪気さのせいとはいえ、自分たちの目的地が地球上で最も近づき難い領域の1つであることを考慮すれば当然のことだった。そこはかつての仏教王国ザンスカールだ。
チベット高原の目の眩む高所に鎮座し、標高7,000メートル級の氷河の山々に囲まれ、中国・パキスタン両国との厳重に警備された国境に面するザンスカールの村々は、そのほとんどが今もなお、古来の山間連絡道でしか訪れることができず、中には徒歩で数日かかる村もある。中心地パダムへは4WD向けの単車線の道路が1本通じているが、年間7か月間は降雪で通行止めになる。冬季に往来しようとする場合、所々凍結したザンスカール川に沿って歩くほかない。
このように極端な秘境にもかかわらず、ザンスカールの人々は2500年以上の間、この山岳地帯の高地砂漠を故郷と呼び、そしてその近寄り難さゆえに、ザンスカール固有の文化は西洋の影響をほぼ免れてきた。
それがすべて変わろうとしている。インド軍はザンスカール川上流に最初の通年通行可能なハイウェイを建設しており、ほとんどの村にアクセスできるようにしようとしている。この即興のグローバリゼーションは、近代的医療、よりよい教育、最新のインフラといった快適性をもたらすが、同時にそれは、世界最後のチベット仏教の砦とされるザンスカール文化にとって、中国のチベット併合に次ぐ衝撃だ。
この新旧の衝突が、カーストン・オリバー、ニコール・ベイカー、エリック・ポーター、そして私をザンスカールへ導き、私たちはブリザードの中で峠を越えるジープに揺られていた。この地方で進行中の新しいハイウェイによる影響を見たかったし、それに、より速く確実な移動手段に負けて廃道になる前に、ザンスカールの古道を走りたかったのだ。
話をジープに戻そう。峠の頂にはカラフルにペイントされたコンクリート柱の標識があり、祈祷旗(タルチョ)が飾られていた。吹雪の中、車を降りて写真を撮ったが、まさかその数日後に、この嵐のせいで古道を離れるはめになり、敢えて避けようとしたまさにそのハイウェイ上に避難場所を求めることになろうとは思いもよらなかった。