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往古の王国ザンスカールの新しい道

メアリー・マッキンタイア  /  2020年8月19日  /  読み終えるまで4分  /  マウンテンバイク

ツァラップ川渓谷で、僧院に続くこのような山道を歩く旅人は、たいてい最初に「ストゥーパ」(仏舎利塔)を通ることになる。それはドーム型の廟で、参拝者はここで思い出したように経を唱え始め、その先の礼拝所に向かう。習慣上、ストゥーパとマニ壁という経文が刻まれた石の壁は、右回りに通り過ぎなければならない。私たちはここに来るまで必ずそれを守ってきた。 ライダー:カールストン・オリバー、エリック・ポーター 写真 : メアリー・マッキンタイア

猛吹雪がジープの脇腹に打ち付け、たちまち前方の道路を白く覆い尽くすと、ただでさえ危険なドライブに新たな緊張が加わった。ワイパーがフロントガラスで規則正しいリズムを刻み、ラジオのエンリケ・イグレシアスの感傷的な歌声が少しズレたテンポでそれに重なる。ドライバーのジグメスは、インドのレーで私たちを乗せ、この旅のスタート地点となる北部山岳地帯に向けて450キロのドライブを始めてからずっと、このポップス歌手のヒット曲をかけている。それは9月22日、計画した16日間にわたるバイクパッキング旅行の0日目だった。3時間ほど道路を走ると標高5,300メートルのタグラング・ラ峠に差し掛かった。目的地まではあと数時間、マナリとレーを結ぶハイウェイのはるか先に向け、2つの高い峠を越えなければならない。たどり着くには、もちろんこのブリザードも越えなければ。

ジグメスは吹雪によって大規模な崩落が起きると考えていたようだ。実際、その数時間後に道路は封鎖され、作業員が現場を片付けるまで彼は5日間、峠の裏側で足止めされることになる。しかし、私たちは吹雪を単なる不都合と軽くいなしていた。旅の序盤の無邪気さのせいとはいえ、自分たちの目的地が地球上で最も近づき難い領域の1つであることを考慮すれば当然のことだった。そこはかつての仏教王国ザンスカールだ。

チベット高原の目の眩む高所に鎮座し、標高7,000メートル級の氷河の山々に囲まれ、中国・パキスタン両国との厳重に警備された国境に面するザンスカールの村々は、そのほとんどが今もなお、古来の山間連絡道でしか訪れることができず、中には徒歩で数日かかる村もある。中心地パダムへは4WD向けの単車線の道路が1本通じているが、年間7か月間は降雪で通行止めになる。冬季に往来しようとする場合、所々凍結したザンスカール川に沿って歩くほかない。

このように極端な秘境にもかかわらず、ザンスカールの人々は2500年以上の間、この山岳地帯の高地砂漠を故郷と呼び、そしてその近寄り難さゆえに、ザンスカール固有の文化は西洋の影響をほぼ免れてきた。

それがすべて変わろうとしている。インド軍はザンスカール川上流に最初の通年通行可能なハイウェイを建設しており、ほとんどの村にアクセスできるようにしようとしている。この即興のグローバリゼーションは、近代的医療、よりよい教育、最新のインフラといった快適性をもたらすが、同時にそれは、世界最後のチベット仏教の砦とされるザンスカール文化にとって、中国のチベット併合に次ぐ衝撃だ。

この新旧の衝突が、カーストン・オリバー、ニコール・ベイカー、エリック・ポーター、そして私をザンスカールへ導き、私たちはブリザードの中で峠を越えるジープに揺られていた。この地方で進行中の新しいハイウェイによる影響を見たかったし、それに、より速く確実な移動手段に負けて廃道になる前に、ザンスカールの古道を走りたかったのだ。

話をジープに戻そう。峠の頂にはカラフルにペイントされたコンクリート柱の標識があり、祈祷旗(タルチョ)が飾られていた。吹雪の中、車を降りて写真を撮ったが、まさかその数日後に、この嵐のせいで古道を離れるはめになり、敢えて避けようとしたまさにそのハイウェイ上に避難場所を求めることになろうとは思いもよらなかった。

往古の王国ザンスカールの新しい道

当初の計画では、降車地に正午過ぎに到着し、その日のうちに少し走って数マイルを稼ぎ、よい野営地を見つける時間的な余裕があるはずだった。しかし、吹雪のため数時間余計にドライブすることになり、到着した頃はもう暗くなりかけていた。数インチ積もった雪で山道はほとんど見えず、結局、道路から90メートルほど離れた15度の斜面にテントを張った。その後12時間にわたり60センチ以上の雪が降り、私たちは数時間おきに起き(寝ている間に押しつぶされないように)テントに積もった雪を蹴散らさねばならなかった。この最初の夜の状況は次の日も続き、私たちはうずくまり天候回復を待った。外で吹き荒れる高山の嵐を避けられるなら、頼りない防具もありがたかった。写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

2日目の正午頃、天気は晴れ、出発するには十分とその時は思えた。土埃はピーナッツ・バター状の泥と化し、急こう配やダラダラした登り、ジグザグの小さな岩だらけの道に苦労しつつ川に降りると、そこからは黄葉した柳の中、長く伸びた平坦な道を堪能できた。しかしそれは束の間で、どの谷も山道はぬかるみやがれ場ばかりで、その日の終わりまでに進んだ距離はわずか8キロ、場所によっては時速1.6キロにもとどかない。
次の日も状況は大して変わらなかった。泥と雪だらけでほとんど進展しない。濡れた装備を乾かそうと火を起こしたことがさらに裏目に出て、結局、ソックス1組と靴紐が火でとけてしまった。ライダー:カーストン・オリバー 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

氷点下11度の中で6日目を迎え、その日はまず恐ろしい露出部を数か所通過した。旧サトク村の廃墟を過ぎ、次の難所である8キロ先の2つの鞍部からなる標高5,200メートルの峠を眺められる高台に向けペダルを踏んだ。
前日に標高4,300メートルの峠に2つ登っており、次の食糧投下まで許容できる行程の遅れはもうギリギリだった。危険を冒すよりも、計画を中止し、轍をたどって道路に戻ろうと決断した。賢明で安全な選択と分かってはいても、ザンスカールの古道巡りを夢見て計画に費やしたこの数か月間を棄てることは、悲喜こもごもであった。ライダー:カーストン・オリバー、ニコール・ベイカー、エリック・ポーター 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

戻りは、特に南斜面では既に雪が解けており、最初に通った時ほど危険ではなかったが、再び自転車で4,300メートルの峠を2つ越えなければならない。ぬかるんだ道にペースを奪われ、途中で野営することになったが、そのおかげで雪の上にまだ新しいオオカミの足跡を見ることができた。葛藤はあったが、山道はいくつか開けた区間があり、ごくわずかだが思いがけず純粋に楽しめる区間もあった。
翌朝早くハイウェイに到着したがまだ通行止めで、最も近いサーシューの町(町というより、板金のバラック小屋の集落)まで舗道を30キロほど走るしかなく、そこでその夜の「ホテル」を見つけた。ライダー:カーストン・オリバー 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

翌朝ジグメスが私たちを迎えに来てくれることを期待したが、彼に戻る気持ちはなかった。雪に覆われた峠の裏側で数日間立ち往生した挙句、家に帰り着いたばかりだったのだ。さいわい、通行止めにもかかわらず私たちを拾ってザンスカールの中央谷へ運んでくれる別のドライバーを手配できた。軍隊訓練キャンプやパキスタン国境のムスリムの村々を経て、氷河で覆われた6,400メートルの山岳の麓を通り、主要な峠を越える(今のところ)唯一の道路による3日間の行程だ。
谷に到着すると私たちは早々に、当初の計画とは逆方向に、行程の可能な部分を取り返そうとした。カルシャ僧院の上にある小道から眺める谷間の村の数々は圧巻で、私たちは日没まで行動し、最後はスピーディな下りを楽しんだ。それはまさに、埃っぽい道路を狭いジープで3日間もガタガタ揺られた先に求めていたものだった。ライダー:カーストン・オリバー、エリック・ポーター 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

ザンスカール川によって分割され、町や僧院が点在する中央谷は、この地方で最も人口が多く、中心地パダムへの道路によって最初に外界とつながったのもこの地域だ。天気がやさしくしてくれたならばバイクパッキングするはずだった山道を探検しようと、町の東側を出発した。重装備を解いた自転車での移動は、はるかに楽しいが、それはそれで複雑な気持ちだった。ライダー:カーストン・オリバー 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

ほぼ垂直な断崖の中腹に建つ、2000年の時を経たこのチベット仏教僧院を訪れる唯一の手段は、中央の中庭を貫く山道だ。自転車で通り過ぎる時、僧侶らにあいさつされた。タシという僧に至っては、階段で私の自転車を持ち上げるのをエリックやカーストンの後に続き手伝ってくれた(軽く試乗した後での事)。
最も近い道路から徒歩で2日もかかるこの僧院でさえ、ザンスカールの新旧のせめぎ合いを垣間見ることができる。携帯電話でジャスティン・ビーバーを聴く僧がいる一方で、別の僧はチベット古来のホルン「ドゥンチェン」を吹き、余韻のある物悲しい響きで祈祷者を招集する。この土地で千年前から説かれてきた同じ教えを学ぶ合間に、僧侶たちは先人たちと同じ石の壁に囲まれた中庭で、同じ椅子に腰かけ、はるか遠方の生活を映しだすスキーのビデオやボリウッド映画に見入っていた。写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

ザンスカール地方の山間連絡道は、数世紀を経て風化しており、あまり頑強ではない区間がいくつかある。当初の計画では、私たちはツァラップ川沿いにドダ川(別名ストッド川)との合流地点に至るはずだった。2つの河川はそこで合流し、ザンスカール川になる。この地方は小枝で編んだ橋で有名だ。必要が生んだ、数千年をかけて完成された技術だ。今ではその多くが穴や隙間だらけだが、それでも自転車を支えるだけの頑丈さが(すばやく渡れば)ある。ライダー:エリック・ポーター 写真 : メアリー・マッキンタイア

往古の王国ザンスカールの新しい道

旅のある夜、幸運にもザンラの女王とご一緒できた。ザンラはザンスカールの独立王国時代の旧都である。女王がこの地方の現在の中心地パダムの王子と結婚し、新旧の王族の血が同じ屋根の下で1つになった。
当初の行程では、女王の村からザンスカール川下流へ向かう予定で、それがこのバイクパッキング旅行の最後の行程になるはずだった。縦断の旅を貫徹することはかなわなかったが、帰りのフライトのためレーを目指し、ザンスカール下方の谷を自転車で走りだすと、天気が私たちに詫びているかのように、どの山道も乾き、太陽が輝いていた。ライダー:カーストン・オリバー、ニコール・ベイカー 写真 : メアリー・マッキンタイア

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