クリーネストライン


ソーラーシェアリングパネルの下で冬の日差しを受けて育つライ麦。パネルのレイアウトを工夫することで、冬場の太陽の高度が低い季節でも十分な光を作物に届けることができます。「永続地帯」と呼ばれる研究では、市町村における再生可能エネルギーと農業生産の自給率を調査しており、再生可能エネルギーが豊富な地域では農業生産が多いことが示されています。千葉県千葉市。写真:馬上 丈司
ソーラーシェアリングパネルの下で冬の日差しを受けて育つライ麦。パネルのレイアウトを工夫することで、冬場の太陽の高度が低い季節でも十分な光を作物に届けることができます。「永続地帯」と呼ばれる研究では、市町村における再生可能エネルギーと農業生産の自給率を調査しており、再生可能エネルギーが豊富な地域では農業生産が多いことが示されています。千葉県千葉市。写真:馬上 丈司

緑の復興

By 飯田 哲也   |   2021/03/10 2021年3月10日

2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それにともない福島県大熊町で起きた東京電力の福島第一原子力発電所事故(3.11)から10年になるこの春、福島県二本松市内で太陽光を発電と農業の両方に活用する大規模な営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)の事業が動きだします。安達太良山を望む6ヘクタールもの広大な耕作放棄地に、出力4メガワットと、ソーラーシェアリングとしては国内最大級となる大型事業です。

福島第一原子力発電所の事故により、現場から半径20キロメートル圏内の地域は警戒区域として立ち入りが禁止され、またこの半径外の一部の地域も計画的避難区域に設定されるなど、多くの住民が避難を余儀なくされました。二本松市はそうした住民を受け入れた自治体のひとつでした。

この新たなソーラーシェアリング事業の中心となったのは、近藤 恵さんです。近藤さんは二本松市で有機農業の専業農家としてようやく独り立ちしたところ、福島第一原子力発電所事故に襲われました。その悔しさを地域エネルギーづくりへの信念に昇華させた近藤さんは、飯舘電力でソーラーシェアリング開発を学んで二本松市に戻り、地元の地域社会のためにこの事業の推進に貢献することを決意しました。

千葉県千葉市のこの農場では、若手農業者たちがニンニクを栽培しています。土地がかぎられている日本では、ソーラーシェアリングは既存のスペースを利用するため有効で、森林伐採のような方法で新しい場所を開発する必要もありません。責任ある農業とクリーンエネルギーの生成が共存することで、化石燃料への依存を減らし、健康的な食品を提供することを超えた、良いことが起こります。写真:馬上 丈司
千葉県千葉市のこの農場では、若手農業者たちがニンニクを栽培しています。土地がかぎられている日本では、ソーラーシェアリングは既存のスペースを利用するため有効で、森林伐採のような方法で新しい場所を開発する必要もありません。責任ある農業とクリーンエネルギーの生成が共存することで、化石燃料への依存を減らし、健康的な食品を提供することを超えた、良いことが起こります。写真:馬上 丈司

そしてもう一人、この事業に賭けた若者が塚田 晴さんです。二本松市で生まれ育った塚田さんは小学校3年生で福島第一原子力発電所事故に遭い、一家で関西へ避難しました。近藤さんと家族ぐるみの付き合いだった塚田さんは、昨春に農業高校を卒業。新卒の新規就農者としてこの事業に加わり、10年ぶりに二本松市への帰還を果たしました。

震災時の二本松市長は三保 恵一さんでした。恵一さんは「エネルギーの地産地消」を掲げ、3年前に市長に返り咲きました。恵一さんの在野時代に福島県で知己を得た私は、市長再任後の恵一さんから声を掛けられて、市長アドバイザーや「二本松市未来戦略会議」の委員に就任しました。そしてソーラーシェアリングのような、地域の人がみずからエネルギーの地産地消に取り組める二本松市電力の立ち上げを進言し、その手伝いをはじめました。

二本松市のソーラーシェアリングの体制を実現するには、多くの人びとの協力が必要でした。近藤さんを中心に、二本松市有機農業研究会の大内 督さんや地域経済の若きリーダーである廣田 拓也さん、そして地域の生協や金融機関といった二本松市の人たちが全面的な協力をし、実用的な事業へと組み上がっていきました。規模が大きいだけでなく、地域社会やエネルギーの未来を象徴する事業となるに違いない二本松市のソーラーシェアリングは、さまざまな人びとの参加を織り交ぜて出発点に立つことができたのです。

日本で最も日照条件の良い都市の1つである長野県上田市では、屋根、太陽エネルギー、売電収入を組み合わせるという1人の女性のアイデアから、市民主導の発電事業「相乗りくん」が生まれ、2021年1月現在、共有システムに合計約830キロワット分の電力を普及させました。写真は長野県諏訪市街の様子。写真:リビルディングセンタージャパン提供
日本で最も日照条件の良い都市の1つである長野県上田市では、屋根、太陽エネルギー、売電収入を組み合わせるという1人の女性のアイデアから、市民主導の発電事業「相乗りくん」が生まれ、2021年1月現在、共有システムに合計約830キロワット分の電力を普及させました。写真は長野県諏訪市街の様子。写真:リビルディングセンタージャパン提供

3.11からのこの10年で、世界は劇的に変化しました。いま、太陽光発電と風力発電がリードするエネルギー大転換と、EV(電気自動車)と自動運転がリードするモビリティ大転換という、2つの人類史的な大転換が同時進行しています。いずれも人工知能(AI)やビッグデータなどデジタル技術(DX)の急速な進展が通底しており、産業・経済・社会も巻き込んだ「破壊的変化」と呼ばれる地球規模の大転換が進行中です。

これらの変化は10年前には想像すらできませんでしたが、そこには化石燃料や原子力発電から再生可能エネルギーに急速に移行できる新たな希望が見えます。しかしながら、産業、経済、社会も巻き込んだ急激な変化をともなうがゆえに、さまざまな作用・反作用は避けられません。既存のエネルギーや自動車産業はこの変化を押しとどめようとし、衰退する既存産業と新興企業群はせめぎ合い、そして人びとの雇用や暮らしは大きく変わらざるを得ず、それらは痛みをともなう可能性があります。

太陽光や風力は既存のエネルギー産業で失われる雇用に比べて、新しい「緑の雇用」を大量に生み出します。これは新しい希望ですが、他方で、それらの製造業が急速にグローバル産業化するなかで、少数企業への寡占が進み、その過程で太陽光や風力に対する日本企業の足がかりは、ほとんどなくなっています。世界の原油需要の約30%を占める自動車燃料市場も、モビリティの大幅なシフトにより急速に縮小していくでしょう。気候危機への期待はありますが、石油および自動車産業の多くの労働者は新しい仕事を探すという困難で苦痛な移行に直面する、ということを認識することは重要です。

そうしたなか、遅ればせながら日本でも、菅 義偉総理が所信表明演説で「2050年カーボンニュートラル」を宣言しました。再生可能エネルギー100%で事業活動を行うRE100を筆頭に、国連のSDGs(持続可能な開発目標)やESG投資を経営に織り込む日本企業も増えてきており、グレタ・トゥンベリさんに触発された若者たちの気候変動への問題意識や行動の高まりなど、明るい兆しも見えつつあります。日本は2021年に、地球温暖化対策推進法の改正案、加えて第6次エネルギー基本計画を夏に向けて改定する予定です。しかし、エネルギー供給も気候危機対策もいまだ原子力を中心に据えたままで、2030年に再生可能エネルギーを導入するための目標はどうなるのでしょうか?2020年12月には、「あと4年、未来を守れるのは今」キャンペーン(3月末署名集約締切)が立ち上がり、環境NGOや市民団体、企業など約150団体が参加、私たち環境エネルギー政策研究所(ISEP)も賛同しています。

東日本大震災と東京電力の福島第一原子力発電所事故のあと、二本松有機農業研究会は農家が関わる再生可能エネルギーに取り組んできました。同会は1978年、現在の代表の大内 督さんの父親である16代目農家の真一さんが結成。大内家は福島県二本松市で40年以上有機農業を営んでいます。写真:一般社団法人二本松有機農業研究会提供
東日本大震災と東京電力の福島第一原子力発電所事故のあと、二本松有機農業研究会は農家が関わる再生可能エネルギーに取り組んできました。同会は1978年、現在の代表の大内 督さんの父親である16代目農家の真一さんが結成。大内家は福島県二本松市で40年以上有機農業を営んでいます。写真:一般社団法人二本松有機農業研究会提供

破局的な東京電力福島第一原子力発電所事故を引き起こしながら、日本国内ではそれに対する検証も反省も責任も曖昧にされ、その後も原発維持・拡大に固執する「原子力ムラ」が健在です。かつては自国の炭鉱を潰して石油やガスへのエネルギー転換を推し進めたにもかかわらず、いまなお石炭火力に固執し、新規の発電所建設計画も進んでいます。エネルギー大転換が進行する世界に背を向けた日本の振る舞いは、あまりに異常です。こうした古い難題を引きずる日本では、新しい希望も抑え込まれてしまい、そこに新しい難題も複雑に絡み合っています。10年前の3.11。誰もがあの衝撃的な爆発映像を目の当たりにし、放射能が頭上に降り注ぐ不安を体験し、炉心溶融という先の見えない危機に怯えたあの日々に、私たち日本人が気づかされたことは、たしかに「エネルギーを自分ごとにする」という当事者意識でした。

希望を生み出すためには、市民参加によって社会基盤をアップデートする必要があります。目指すのは、「集中メインフレーム型」から「地域分散ネットワーク型」へのシフトです。この移行への大きな障壁のひとつは、大手電力会社による地域独占の体制です。しかし、これを変えるアイデアもあります。市民出資による市民風車を手がけるNPO法人北海道グリーンファンドの鈴木 亨さんは、電力会社の筆頭株主運動という構想を立てました。経営の厳しい北海道電力ですが、市民が同社の筆頭株主となり、燃料代のかからない再生可能エネルギーに切り替えることができれば、事業の再建もたんなる夢ではありません。「地域独占の閉鎖的な経営から、道民の声を反映した電力会社にできれば」と鈴木さんは言います。「市民と力を合わせて、北海道電力から北海道『民』電力へと育てていくのです」

「地域分散ネットワーク型」の一例が「営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)」です。農家が農業に加えて再生可能エネルギー発電にも取り組むことで、日本の農業とエネルギーの問題を同時に解決に導くことができ、農家の収入も安定するでしょう。地元のオーガニックカフェとの連携、地元のレストランや地元の文化や観光のための生産が生まれれば、地域でさまざまな雇用が生まれ、地元住民一人ひとりが能力を発揮する機会が増えます。もともと「百姓」という言葉は、多くの姓をもつ人、一人でいくつもの職業や役割をもつことに由来しますが、いま日本の各地域で生まれつつある創造的な暮らしを送るというそれは、まさに「現代の百姓」のライフスタイルです。

3.11以降、日本全国では市民による地域エネルギー「ご当地エネルギー」も立ち上がっています。現在その数は250ほどに上ります。この先、日本は太陽光発電や風力発電を桁違いの規模とスピードで増やす必要があり、また否応なく増えていくことでしょう。これを他人ごととしてEVなどの技術進化に任せ、今後もこれまでと同じ考え方で経済成長を目指すのではなく、私たち自身が暮らす地域社会の一部として再考することで、持続可能で自立した地域社会を実現することができます。

私たちは3.11によって、大切な気づきを得ました。私たちは真の「市民が主役の民主主義」を通して、自然、生態系、地域社会の真の豊かさを尊重した生き方や、経済や地域社会のあり方にまで踏み込んで、問い直しつづける必要があります。大きく変わりつつある未来の一部として、私たち自身が当事者として関わり、再生可能エネルギーを地域づくりに活かすことで、エネルギーと未来を私たちと地域の手に取り戻す道筋が見えてくるのではないでしょうか――福島県二本松市の物語のように。

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