パンデミックでもミー・ウォーターを止められない
カリフォルニア州サンフランシスコは、文化・富・階級の多様な約90万人の人々が、海に囲まれた約125㎢キロメートルの範囲に暮らしている。この都市には3つの海岸があり、そのうち2つは湾内のため静かだが、もう1つは太平洋の強烈なうねりを遮るものがない。100万人規模の都市でありながら、住民の多くは海岸に行ったこともなければ、泳ぎを習うこともない。こうした顕著な傾向の一因には、この都市の長年にわたる構造的な人種差別がある。
エディ・ドネランは、これまでの人生をサンフランシスコの市内や近隣でサーフィンをしながら過ごしている。2015年、居住型の治療施設に22年勤務した後、幼なじみのティム・グラスと共に「母なる自然の魔法を通じて、若者やファミリーを教育し、鼓舞し、力が高まる」ことを目的とする非営利団体「ミー・ウォーター・ファウンデーション」を設立した。この団体の活動の1つに、若い人々が地元のビーチや海水に触れる機会を増やそうと企画されたプログラムがある。
「自分がパッとしない子ども時代を過ごし、サーフィンによって多くを得たせいかな、この子たちにとって海に入ることがきっとプラスになると思うんだ。」エディはミー・ウォーターを発案した経緯をそう語った。「こうした子の中には、湾を見たことはあるけれど、ビーチに行ったことのない子がいる。そこには肌の色による壁があり、主として白人と黒人、信頼の壁、人種的な問題が絡んでいる。それでも、まず子どもたちをビーチへ連れ出すというシンプルなことから始めたんだ。」
アンソニー・ソウェルと祖母のシャーリー・ソウェルは、サンフランシスコ南東部のハンターズポイントに暮らしていた。海岸は近いが、アンソニーは海をほとんど経験したことがなかった。そして7歳になった時、アンソニーは、実子ではない子どもを育てている大家族を支援するプログラム「Kinship」でエディと出会った。
「エディは自己紹介の時、子どもたちをサーフィンに連れて行くと言ったんだ。ぼくは泳ぎ方も知らなかったけど、カッコいいなと思った。それでエディがパシフィカに連れて行ってくれて、ぼくらはサーフィンをしたんだよ。その日の終わりには『ちぇっ、もう終わっちゃった』と思った」アンソニーは笑って言った。
現在もアンソニーはミー・ウォーターに参加しており、この活動が大きく成長するのを見てきた。借りたウェットスーツを着た6人前後の子どもたちで始まったこの集まりは、今や市内全域の400世帯以上にまたがるネットワークになった。カリキュラムには、海への意識、プラスチック問題への意識、海洋生物学がいくらか盛り込まれ、続いてビーチの清掃活動があるが、1番の目的はシンプルに「サーフィンに行って、一緒にはじけて、子どもたちを海でワクワクさせること」だ。
「つまり、ある1日みんなでビーチに出かけて、海に入って、楽しく過ごす」とエディは言う。
この体験は単にサーフィンの練習や教育だけでなく、信頼を育てることにもなる。ミー・ウォーターのサーファーの多くがそうだが、アンソニーもサンフランシスコの構造的な人種差別の影響を感じてきた。特に、警察によって、直接的に。「アンソニーを育てることになったのは、あの子が生後6か月の時、父親が警察に殺されたから」とシャーリーは言う。
エディとティムは白人で、ボランティアの多くもそうだ。だから、新たに入会するサーファーの中には、当然不信感がある。「子どもたちが何人かやって来るだろ。すると、これまで白人にあまりいい思いをしたことがないと分かるよ」とエディは言う。「そういう子は『こんなヤツ信じない』って態度をとることもあるけれど、こっちも『いいさ、まずはウェットスーツを着て、様子を見ようじゃないか』と合わせるのさ」
「10回に8回は、そのまさに同じ子が、その日の終わる頃になっても海から出たがらなくなるんだ。」
エディは現役時代の大半を非営利機関で働いてきた。彼とティムはこの20年間、「子どもと家族のためのエッジウッド・センター」で一緒に働いている。そこはトラウマ・インフォームド・ケア(TIC)の専門施設であり、アウトドア夏季キャンプを実施している。2020年初め、ミー・ウォーター・ファウンデーションにすべての時間を費やすというエディの夢が叶いそうだった矢先、パンデミックが発生した。
“「ミー・ウォーターはサーフィンだけじゃない。家族や友だちが安心して、ちゃんと暮らせるようにしているんだ。」アンソニー・ソウェル”
多くのNPOが閉鎖を余儀なくされる状況の中、ミー・ウォーターは適応した。パンデミックの中で子どもをサーフィンに連れ出すことには大きなリスクがある。特に、多くの参加者がアンソニーのように、祖父母つまり免疫力の少ない家族と暮らしているからだ。そこでエディはバンに食料と生活必需品を積み込んで、ミー・ウォーターの地元をまわり始めた。「目が回りそうだったよ。しばらくは子どもたちをサーフィンに連れて行けないと分かって、何か違うことを考えようと思った。多くの寄付金を募ったし、学用品リストを作ったよ。パタゴニアは50個のバックパックを寄付してくれた。フード・ドライブのアイデアは、そこから生まれた。」
「エディがピザや何かお腹いっぱいになるものを届けてくれるようになったから、外出しなくてもよかった。感謝祭の時、ぼくもエディを手伝って七面鳥を200個くらい配ったよ。それからクリスマスには、ギフト・ドライブをやったよ。このプロジェクトで、エディはぼくらや他の何人かの子どもを、フードバンクでクリスマス・ギフトを受け取る体験活動に連れて行った。それで分かったんだ。ミー・ウォーターはサーフィンだけじゃない。家族や友だちが安心して、ちゃんと暮らせるようにしているんだ。」とアンソニーは言った。
学校が完全に再開したら、サーフィンを再開するとエディは言うが、今のところはフード・ドライブが続いている。さらに地元のフードバンクや集配センターとも連携している。「ミー・ウォーターにこれまでとはまったく異なる要素が加わったわけだけど、NPOの多くが閉鎖せざるを得なくなった今、これほど重要なことはないよ。」
アンソニーの場合、このプログラムが自身の青年期への道筋を形成するのに役立っている。アンソニーによれば、ミー・ウォーターは子どもに新しい経験やスキルを与え、彼らをトラブルから遠ざけることができるという。「ミー・ウォーターのおかげで、フットボールや野球といったたぐいを超えて、アンソニーの視野が広がったの」とシャーリーは言う。「アンソニーは父親なしで生きてきたから、エディはあの子にとって数少ない父親像の1つなのね。私はあの子にサッカー、テニス、バスケットボールなど、いろいろスポーツをやらせたけれど、サーフィンはあの子にもっともオープンな世界を与えたわ。今あの子はキング牧師の弁論大会の準備をしているの。幼稚園の頃から続いていてね。7回も優勝しているのよ。」
キング牧師の弁論大会は、オークランド市で毎年開催され、ベイエリア全域から高校3年生以下の子どもたちが参加する。「今年のスピーチでは殺された人たちを取り上げるんだ。トレイボン・マーティン、ジョージ・フロイド、ブリオナ・テイラー、それにブラック・ライブズ・マター、そして警察の残忍さを。だから、父さんを失ったぼくの経験から話すんだ。」