クリーネストライン


故きを温ねて新しきを知る。甲斐駒ヶ岳黒戸尾根に古くからある祈りの場にて。写真:花谷泰広
故きを温ねて新しきを知る。甲斐駒ヶ岳黒戸尾根に古くからある祈りの場にて。写真:花谷泰広

振り向いて、そして踏み出した一歩

By 花谷 泰広   |   2019/07/12 2019年7月12日

多くの人びとが日本の豊かな自然と親しめる世の中になることを夢見ている。ブームではなく、ほんとうの意味で。そんな世の中になってほしい。僕の切り口は「山」であり、「登山」というアクティビティだが、日本の山には人びとの営みがあり、信仰があり、アルピニズムがある。それぞれの山にそれぞれの個性があり、それぞれの人にそれぞれの親しみ方がある。自然に親しむ人が増えれば増えるほど、自然環境に関するさまざまな問題に関心が集まり、地球を救う大きなエネルギーにもなるにも違いない。

「登山文化の継承と発展に貢献し、多くの人びとが登山に親しむ世の中を作る」という、人生をかけて取り組む課題を設定してから3年。1年以上前に書いたクリーネストラインの記事をあらためて読みかえしてみると、いまもブレることなく、このときに書いた道を歩いている毎日だ。

現在取り組んでいる、「山」という資源と「登山」というアクティビティによる地方活性化事業について、少し話をしたい。2017年4月から運営をはじめた甲斐駒ヶ岳七丈小屋は、今年で3年目を迎えた。いまでは心強いスタッフに恵まれ、試行錯誤をしながらも順調な運営をつづけている。登山者の数が増え、山にかつてのような活気が戻ってきた。

昨年は旅行業を取得し、まずは地方観光の課題である二次交通問題を、小屋の宿泊と乗り合いタクシーを抱き合わせることで解決する試みをはじめてみた。マイカーに頼ったアクセスから少しでも脱却させたい、そもそもマイカーでしかたどり着けない登山口をできるだけ少なくすれば、山がより身近になるはずだ。この結果、初年度であるにもかかわらず、多くの方に利用していただくことができた。今年度もリリースしたばかりだが、昨年度を上回るペースで受注が進んでいる。来年度はさらに一歩踏み込んだアクションにつなげていくため、この1年しっかりと検証をしていくつもりだ。

昨年の冬からは、北杜市内の豊かな山資源を活かした登山ツアーもはじめた。ある山の登頂を目的としたツアーであれば誰でもできる。だが僕たちのコンセプトは、初級者から上級者まで楽しめる市内のいろいろな山を、段階的なステップアップを楽しみながら、繰りかえし来てもらうこと。そうすることで、まずは登山者として着実なステップアップができるだけでなく、この地域のファンになってもらうこともできると考えている。地元とのコラボレーションもやりやすい。地元に住むガイドが、みずからのホームマウンテンを案内する。地域に密着することで、より独創的で尖った打ち出し方ができる。日本列島の四分の三は山地だ。この試みがうまくいけば、日本全国で応用できるのではないか。地方活性化のモデルケースとなることを目指して取り組んでいる。

しかし一方で、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根では、登山者の増加による影響も出はじめている。たとえば登山道の侵食。昨今の局地的な豪雨がきっかけで削れやすくなった地面を、増加した登山者が歩くことで、さらに侵食を進めている。またアイゼンなどによる、登山道上の樹木への傷跡も気になる。全体的に積雪量が少なくなっていることも考えられるが、やはりこの根本的な原因は冬の登山者が増えたことによる影響だと思われる。また宿泊者の増加により、山小屋におけるし尿量の増加も顕著になった。現在はすべて汲み取って、ヘリコプターで麓に下ろして処理をしているが、これも仮にヘリコプターで搬送できなくなったときのことを考えると、次の手を考えはじめなければならない。

利用者が増えることによって起こるさまざまな負の影響だが、これまでは管理する立場の側が費用をかけて対策を講じることが多かったと思う。だがこの問題を、自然環境の受益者たる登山者を巻き込んだ形で解決できないかと模索している。

登山道整備については、今年は収益のすべてを登山道整備基金にするためのグッズの販売をはじめる。これまでは行政からの支出(しかしこれも十分な金額ではない)と管理者のボランティアで維持していたが、これではいずれ持続不可能となる。人口が減少に転じ、税収の増加を見込めない日本では、これ以上の行政からの補助金などは望まないほうがいい。であるならば、気持ちよく受益者に負担をしてもらえるようなシステムを考えなければならない。お金の面だけでなく、作業もまた必要だ。専門的な作業は技術者に委ねるしかないが、そうでない簡単な作業は、できるだけ利用者を巻き込んだ形で進めてみたい。登山道整備に関わることで、その山をより好きになってもらいたいし、「自分のこと」として認識してもらいたい。最終的にはその山を自分のホームマウンテンとして、いつまでも大切に思ってもらえるようになれば最高だ。すでに日本各地でされている取り組みを参考に、甲斐駒ヶ岳では何ができるか模索できればと思う。

トイレの問題もまた、真剣に考えなければならない。七丈小屋に限らず、山小屋のトイレは処理式であれ汲み取り式であれ、大きなエネルギーを使って処理をしなければならない。できるだけ大きなエネルギーを使わずに処理する方法。それは唯一、自分の手で持ち帰ることだ。しかしこの方法は、言うは易く行うは難しい。これまでもさまざまな取り組みがされているが、失敗例が多い。努力目標ではなく、仕組みを作りかつ義務化しているエリアでしか機能していないだろう。し尿を袋に入れて持ち帰るのは、想像以上にハードルが高いことだと感じる。これを持続可能な仕組みとして機能させるには、戦略的かつ長期的な視点での取り組みが必要だ。

もちろん利用者数を制限するというやり方もあるだろう。すでに七丈小屋では最大収容者数に上限を設けて運営をしている。そしてこれをさらに厳しくしてしまうと、持続的な小屋の運営はできなくなる。結果として、山全体のメンテナンスが行き届かなくなり、さらなる荒廃を招きかねない。実現できない理想はただの空想でしかない。このような問題とつねに向き合い、考えつづけ、行動しつづけることでしか、よりよい解決方法を見出すことはできない。もがきつづけるしかないのだろう。

今年からさらに力を入れて取り組みたいことについても話そう。いま日本の山の世界では、新しい「学びの場」と「コミュニティ」の形を再構築しなければならないと感じている。かつては、大学の山岳部や社会人山岳会がそれを担っていた。技術指導をはじめとするさまざまな場面は、先輩から後輩に受け継ぐ学びの場だった。そしてかけがえのない仲間に出会えるコミュニティでもあった。

ジャンボや僕が育った信州大学山岳会では、まず1年目はフォローワーとして基礎をみっちりと叩き込まれる。登山技術だけでなく、たとえば時間厳守や、きちんと「はい」と返事をするとか、躾のようなことも徹底される。登山技術を学ぶことは理解できるだろう。だが時間厳守や返事も、山登りにおいての時間管理や意思疎通につながる、非常に重要な要素だ。それを日常からの癖にすることで、意識せずにトレーニングすることができる。自分で積極的に計画を立てて登るのは、2年目になってからだが、同時に下級生に指導する場面も多くなる。インプットしてきたことは、アウトプットできてこそはじめて、身についたと言える。いま思えば良くできたシステムだったと思う。

山登りの力は、山に入った時間とそこでの行動の質に比例する。自分で計画を立て、自分で判断して進むことが大切だ。山登りは判断の連続であり、この力は繰りかえし山に入ることでしか養われない。いまは山岳ガイドなどから効率よくスキルを学ぶこともできるが、それでも効率よく経験を積む方法はない。うまくいとき時もあれば、危機的な状況に陥るときもある。そうした質の高い時間を過ごす以外に経験を積む道はないのだ。そしてそのプロセスをともに歩む仲間の存在も欠かせない。僕はこれまで多くの仲間に恵まれ、多くの山行をともにすることができた。これは本当にありがたい環境だった。

こうしたことが、日本では一昔前までは当たり前だった。しかしいまは、それがとても難しくなりつつある。その現状に危機感を感じてはじめたのがヒマラヤキャンプというプロジェクトだ。僕は42歳なので、ちょうど中間管理職的な年齢だが、20歳のころから多くの先輩たちとともにヒマラヤで過ごしてきた。大したことは伝えられないかもしれないが、ヒマラヤに行くというチャンスを作ることはできると考えた。これまでこのプロジェクトで3回ヒマラヤに行ったが、プロジェクトをつづけていくことで、人の連鎖を作っていきたい。そのために、今年からは個人のプロジェクトではなく、日本で一番歴史のある、日本山岳会のプロジェクトとして運営していくこととなった。歴史があるからこそ、多様なものを受け継ぐことができる。大きな組織を巻き込むことによるデメリットはといえば、僕の行動が多少制約されることぐらいだろうか。全体としてはメリットが大きいと判断しての方向転換だ。この活動は2025年の日本山岳会創立120周年に向けて継続的に取り組んでいく事業となる。引きつづき注目してもらいたいし、我こそはという若者にはぜひ参加してもらいたい。来年の山も未踏峰、しかも個人的にも思い入れのあるエリアに入るので、非常に楽しみだ。

これと同時並行的に水面下で準備をしているプロジェクトもある。山岳会が担っていた「学びの場」と「コミュニティ」の再構築を、一部はビジネスによって持続可能なものに作り上げていくということだ。前述したように、「いまは山岳ガイドなどから効率よくスキルを学ぶこともできるが、それでも効率よく経験を積む方法はない」のだから、そのためには文字どおり短期間で効果的にスキルを学び、山に入る時間をできるだけ増やす以外はない。言葉だけでなく、それを実現させるためには、登山一回あたりのコストをどれだけ下げられるかということも必要となる。スキルを学ぶという部分にも、できるだけコストと時間をかけずにできるような仕組みを作っていきたい。出かけるときは、一人ではなく複数人のほうが、移動コストなども下がる。そのためにも人と人とのつながり、つまりコミュニティが重要になってくる。いささか現実的なコストの話ばかりをしているが、実現させるためには重要なポイントではないだろうか。

登山技術を学ぶことはある程度道筋が見えてきた。だが最も重要なことは、そのゴールにある登山技術ではない。かつて山岳会というコミュニティがしっかり機能していたころは、さまざまな機会で先輩登山者たちの言葉に触れることができた。山に登るというゴールに必要な技術的なことだけでなく、その過程に必要な考え方や生き方といった哲学的なことも心に残った。そんな言葉をしっかり残していきたいと思っている。

僕がすでに取り組んでいることやこれからやろうとしていることは、どれも真新しいことではない。登山のような行為は温故知新である。しかしいま、それが途切れようとしているのが僕の危機感であり、行動の動機でもある。パタゴニアのアンバサダーという立場からはなれるが、これらの活動を、山に関わるできるだけ多くの人たちを巻き込んで進めていきたい。

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