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チリとアルゼンチンに保護地域を設定する仕事を継続するクリスティン・トンプキンス。Photo: Conservacion Patagonica
チリとアルゼンチンに保護地域を設定する仕事を継続するクリスティン・トンプキンス。Photo: Conservacion Patagonica

ダグ・トンプキンスが亡くなったあとの人生とは?

By ステファニー・ピアソン   |   2016/03/07 2016年3月7日

クリスティンとダグ・トンプキンス夫妻は、ほとんどのカップルにとっては稀な、冒険とリスクの人生を送り、チリとアルゼンチンの何百万エーカーもの土地の保護を援助した。夫の死後、クリスティンはいま、ダグなしで、6つの新しい国立公園を作るという手強いチャレンジに直面する。

2月のある日曜日、サンフランシスコ湾を150メートル眼下に見下ろす、光に満ちあふれた大ホール、ハーブスト・パビリオンで、世界で最も影響力をもつ環境保護活動家たちがダグ・トンプキンスに別れを告げた。トンプキンスはザ・ノースフェイスおよびエスプリの共同創始者で、退職後は妻のクリスとともに一個人として、史上最大の土地を保護した人物である。彼はパタゴニア中部のチリとアルゼンチンの境界に位置する最大の氷河湖、ラゴ・ヘネラル・カレーラにおけるカヤックの事故ののち、低体温症により死去した

ダム建設反対運動でトンプキンスと緊密に働いたチリの活動家フアン・パブロ・オレゴがクラシックギターで「グラシアス・ア・ラ・ビダ(人生よありがとう)」を演奏し、ディープ・エコロジーの桂冠詩人ゲーリー・スナイダーが彼の詩「For the Children(子供たちのために)」を朗読した。彼が亡くなった日も一緒で、ほぼ60年間冒険をともにしたパタゴニア創業者のイヴォン・シュイナードは、〈Earth First!〉の創始者デイブ・フォアマンと生態学者のカール・サフィナを含む1,100人の会葬者に向かって、トンプキンスの環境保護努力が生きつづけることを誓った。

「ダグの行動により、彼は私たち全員が必要としていた師となり、それはいまも変わらない。私は『ここにいる全員のサポートとともに、彼の仕事はつづいていく』ということをクリスと彼女のチームに告げるためにここにいるのだ」とシュイナードは語った。

トンプキンスのレガシーを受け継ぐ女性はクリスティン・マクディビット・トンプキンス。ダグの21年来の妻で65歳のクリスは、パタゴニアのCEOの仕事から引退し、1994年にダグと結婚して、同年環境保護努力における彼のパートナーとなるためチリへと転居した。過去25年にわたり、彼らの4つの基金はチリとアルゼンチンの地域に保護地区を設定するためにほぼ3億ドルを投資した。そこはダグが10代にスキーで探検しはじめ、のちにシュイナードと登った場所だ。

現地では、トンプキンス夫妻はつねに好意的に見られていたわけではない。地元民は彼らを新植民地主義者で国家安全を脅かすとみなし、チリとアルゼンチン政府はトンプキンスの土地を保護公園に指定することをためらった。しかし時間をかけて、徐々にトンプキンス夫妻は地元民や政治家の信頼を勝ち取っていき、合計およそ2百万エーカーにおよぶ5つの国立公園を設定した。そうした人たちと緊密に仕事をしながら、クリスはさらに6つの公園の設定を計画している。トンプキンスの基金は2年以内に百万エーカー以上をチリに寄附する予定で、これは公有地を加えると5つの新しい国立公園を成し、3つの既存の公園を拡張することとなり、保護地域は合計で1千万エーカーにもおよぶ。アルゼンチンでの焦点は333,592エーカーを寄附し、イベラ国立公園を作る支援をすることだ。それは3百20万エーカーの草原と湿地帯の一部となり、スタッフはすでに土地の野生復帰とジャガーのような種の再導入の仕事に着手している。

「いまもしダグが言うことができたとしたら、そのひとつは『毎日ベッドから出たら、私たちに呼びかけるもの、私たちが愛するもののために、何か熾烈なことをするように』だと思います」とトンプキンスは言い、追悼式で夫を讃えた。

トンプキンス夫妻が働いてきた地域は巨大な水力発電ダム、鉱山、持続不可能な放牧慣行、生息地破壊、そして農業によって脅かされている。しかし彼女の以前の上司であるイヴォン・シュイナードによれば、「クリスティンはその仕事に十分対応できる」人物だ。

「クリスは私のもとで25年も働いた」とシュイナードは語った。「私は非行少年のような起業家だった。ときとして常軌を逸した考えをもっていて、彼女はそれが狂ったものであれば手放し、そうでなければ実現させた。ダグがいないからといって何も止まらない。事実、彼には数え切れないほど多くのプロジェクトが持ち上がっていたし、また細かい上司でもあった。私たちは冗談を言ったものだよ。できるならば彼はトイレットペーパーの種類まで自分で決めただろうと」

日曜日の夫の追悼式の日を除いて、クリスティンは仕事を休んでいない。月曜日にチリに戻る前にサンフランシスコの〈トンプキンス・コンサベーション〉のオフィスでしばし時間を取り、彼女がどのように前進する計画をしているかについて語ってくれた。

クリスティン・トンプキンスはチリのチャカブコ・バレーの所有地を含め、もう6つの国立公園を設立する計画を抱く。Photo: Linde Waidhofer
クリスティン・トンプキンスはチリのチャカブコ・バレーの所有地を含め、もう6つの国立公園を設立する計画を抱く。Photo: Linde Waidhofer

アウトサイド誌:ダグの死以来、チリ(ミシェル・バチェレ)とアルゼンチン(マウリシオ・マクリ)の大統領は、いずれもあなたの環境保護の仕事へ支持を示すべく、はじめてあなたと会合し、ダグはチリ国会により満場一致で名誉市民に選ばれました。彼の死は新たな切迫感を生み出したと思いますか?

クリスティン・トンプキンス:私たちはつねに切迫感を感じていました。だから私たちはあれだけの提案を政府に提出しているのです。これらの提案は新しいものではありませんが、事故以降、そのことが提案を実現したいという炎に油を注ぎました。もちろん、ダグの死はそこら中に重大な影響を与えましたし、そして国境両側の政府間で国立公園は国にとって良いものであり、私たちが彼らに提出している寄附は価値あるプロジェクトであるということへの気づきは膨れ上がっていると言えるでしょう。

危機に面しているものはたくさんあります。どうやって優先度を決めるのですか?

アルゼンチンのイベラ国立公園が優先です。チリはとても巨大で、寄付も複雑です。プマリン公園パタゴニア公園、そしてその他小規模の追加分を含む百万エーカーですが、そのうち決定的に主要な2つはプマリンとパタゴニアです。

南米の環境保護コミュニティはあなたを本当に間違いなく後押ししているように思えます。それは事実ですか?

はい、それは私たちのチームメンバーからはじまることです。チリとアルゼンチンで働いているのは卓越した人びとです。それはただダグとクリスのショーだけではありません。とても真剣で才能ある人びとが私たちと、最長では23年も働いてくれています。

プマリン国立公園の設立はクリス・トンキンスにとっていまも最優先だ。Photo: AP Images
プマリン国立公園の設立はクリス・トンキンスにとっていまも最優先だ。Photo: AP Images

クリスティンとダグは温帯降雨林の71万5千エーカーを保護するプマリン公園のレニウエと、ブラジルのパンタナルに次ぐ世界第二の湿地帯であるアルゼンチンのイベラ湿地帯の端にある旧牧場地であるリンコン・デル・ソコロで、彼らの時間の半々を過ごした。クリスティンは彼らの基金の主要な資金調達担当者として、ダグよりもひんぱんにアメリカへと旅した。彼らの仕事におけるダグの役割はトップデザイナー兼ビジョナリー(先見者)だった。

遠隔地に住み、ダグの小型ハスキー機で長距離を飛行しなければならなかった。そのためにどちらかに不測の事態が起きた場合の対応策をもっていましたか?

ええ、それについてはもちろんかなり話しました。そしていままさにそういう状況にいます。何を終えなければいけないか、私たち両方が死んだ場合に何が起きなければならないか、についてはとてもクリアでした。私たちはつねに飛んでいましたから、それはいつも現実的な可能性でした。

ダグが先に死んだらどうなるかについて考えましたか?

もちろんです。そうしないなんてばかげています。それを避ける方法はないと思います。

その計画はダグの死後、変わりましたか?

いいえ。環境保護については、私たちがほぼ25年もやってきたすべてのことに全速力です。

彼の役割を埋めるために誰かに介入してもらうようお願いするつもりですか?

いいえ。役員会やパートナーなど志を同じくする環境保護活動家がたくさんいます。人びとには必要に応じて乗り出し、援助してくれる準備がこれまで以上にあると思います。

「毎日ベッドから出たら、私たちに呼びかけるもの、私たちが愛するもののために、何か熾烈なことをする」 ダグはこの信条のもとに生きたとクリスティンは言う。Photo: Conservacion Patagonica
「毎日ベッドから出たら、私たちに呼びかけるもの、私たちが愛するもののために、何か熾烈なことをする」 ダグはこの信条のもとに生きたとクリスティンは言う。Photo: Conservacion Patagonica

住処の選択からパタゴニアでの冬のセーリングまで、クリスティンとダグは冒険の人生を進んで受け入れた。ダグはまたヨセミテ、ブータン、南極、パタゴニアにおける登攀、スキー、ハイク、カヤックなど、イヴォン・シュイナードと多くの旅をともにした。シュイナードは言う。彼もダグも12月8日に4度の水温でカヤックをする準備をしていなかったと。シュイナードによれば、彼はフィッシング用ウェーダーとジャケットを、ダグはプリーツ付のチノパンツとブルックス・ブラザーズのシャツ、薄手のウールのセーターと軽量な雨具を着用していた。「災難のためにつねにドアを半分開けておくこと」が友情の絆の一部であったと。

その日に比較的軽い装備で出かける選択をしたダグやイヴォンに対する恨みや怒りを覚えますか?

いいえ。恨みというのは思ってもみませんでした。彼らが事故の3日前に旅立ったとき、他の旅と同じように湖畔で見送りました。これは簡単な旅でした。複雑なことではありませんでした。ただ複雑になってしまっただけです。

あなた自身もダグと冒険をしました。追悼文であなたは、2人でボートに一緒にいたときに「反抗した」ことがあるとおっしゃいました。その日は何があったのですか?

ダグはボートのキャプテンと一緒に真冬に出かけるのが好きでした。私たちはとても困難なセーリングをしていました。プユフアピという場所にようやく到達したとき、私は降船し、「私の旅は終わりよ」と言ってプマリンにヒッチハイクして帰りました。

トンプキンスの基金は次の2年間に百万エーカー以上をチリに寄附する計画だ。Photo: Linde Waidhofer
トンプキンスの基金は次の2年間に百万エーカー以上をチリに寄附する計画だ。Photo: Linde Waidhofer

昨年10月、彼の死の2か月前にチリのフルティヤーでダグにインタビューしたとき、彼はとても現実的で、早ければ2033年までに世界は終るだろうと言うほどだった。彼は自分の暗い見解については遠回しな言い方はしなかった。しかし彼とクリスティンは歴史上のどの個人よりも多くの土地を保護した。トンプキンスは語った。「船が沈没するときは、胸を張って沈没しようではないか。正しいことをして」

ダグは彼自身のビジョンと現実主義のバランスをどうやって取ったのですか?

明確なビジョンをもった人というのは現実主義に基づいていると私は思います。なぜなら正しいことが一般的に証明されなければビジョナリーとして有名にはならないからです。真のビジョナリーは困難な厳しい事実に根ざしながら動向を見ます。彼は今日の状況の見方について、またそれが今後どうなっていくかについて推定することに優れていました。彼が楽観的だと分類することには疑問があります。私は彼を現実派に分類します。彼は誤った希望は好きではありませんでした。

どのような点で彼を失ったことを最も寂しく思いますか?

ダグのことを知っていたら、多くの点で寂しく思うでしょう。日々、彼の存在が偲ばれます。仕事では彼のデザイン。彼の存在がとにかく色々な場所にないことが寂しいですが、でもそれにより前進すること、何かを達成することを妨げられることはありません。

これからどこにお住まいになるのですか?

何も変わりません。おかしなことに、アメリカへ戻ってくるのかと問う人びともいますが、そんなとき「いままでどこにいたの?」と思います。私はただアメリカへ来ただけです(追悼式のために、家族と過ごすために)。私がずっと住んできたのはプマリンだけです。公園だけです。だからもちろんそこがいちばん快適で、ダグと私にとってより意味のある場所だと感じます。でもここには孫がいるので、いま私がここアメリカにいる時間はとても大切なものです。

あなたは夫と、そして21世紀で最も重要な環境保護運動のひとつにおけるパートナーを失いました。どのようにしてこれらを同時に悼むのでしょうか?

一部は重複していますが、個人的に失ったものは計り知れません。私が口にしないだけです。それはまったく別の道であり、極めて苦しいものです。仕事については何の疑問もありません。これはまたとても不慣れなことでもあります。たった6週間しか経っていないのですから。それも考えなければなりません。

ダグをどのように覚えておいてもらいたいですか?

ダグは1度の人生で100の人生を生きましたが、彼がどんな人間であったかというとても確固としたものが、そのすべての中心にありました。私は彼が人生において本当に美しさを追求した人間、それがどこかの氷河のスキーのラインであれ、美術建築であれ、故郷となった公園であれ、彼がすべてにおいて美しさを追求した人間であったことを覚えていてほしいと思います。そして愛するもののために、声をもたない生き物のために闘った人間であり、深い思想家であったこと。彼は浅はかな考えには興味がありませんでした。彼は生態系・社会的危機の根本的原因について理解したいとつねに望み、極端に自制心のある人でした。ある種のルネッサンス的教養人でした。野生的な男性でもありました。彼は幸せで、勇敢でした。

この記事の初出は2016年2月8日付、Outside LIVE BRAVELY、What’s Life Like After Doug Tompkins? です。

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