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 60歳を超えてもなおクリフジャンプを決めるジェリー・ロペス。 Photo: Fitz CahallとBryan Smith
60歳を超えてもなおクリフジャンプを決めるジェリー・ロペス。 Photo: Fitz CahallとBryan Smith

国境の難関、あるいはジェリー・ロペスを撮影するためにひとりの男がそこを通り抜ける難関

2011/01/13 2011年1月13日
 60歳を超えてもなおクリフジャンプを決めるジェリー・ロペス。 Photo: Fitz CahallとBryan Smith
60歳を超えてもなおクリフジャンプを決めるジェリー・ロペス。 Photo: Fitz CahallとBryan Smith

今日は私たちの友人であるフィッツ・カホールが、3人のパタゴニア・アンバサダーの人生を垣間見るビデオシリーズ、「トレイシング・ザ・エッジ」の裏話をご紹介します。

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去年の冬の天気は変わりやすかった。ブライアンと僕はレジェンドサーファーであるジェリー・ロペスとの仕事に取り組んでいて、僕はすでにベンドで丸1日かけて彼を撮影し終えていた。ジェリーはホームグラウンドであるマウント・バチェラーのありとあらゆるパウダースタッシュを案内してくれた。僕らが滑っていたのは15センチの軽い雪だった。僕はヘルメットカムを壊し(クールだろう?)、マーケティング部を怒らせた(文字通りクールだった)。スキーパトロールはマーケティング・ディレクターの無線の呼びかけに肩をすかしただけだった(最高!)。ジェリーは出会った小憎たちを皆、名前で紹介してくれた。ロデオを決めようとしているティーンエイジャーが、この風向きだったらどこがいいかと彼に相談していた。ひとつ明確なこと、それはジェリーが王様であるということだ。マウント・バチェラーは彼の王国だ。コースが良ければ、彼は微笑む。コースがモーグルだらけになっていても、彼は肩をすかしながら微笑んで、ちょっとした知恵を授けてくれる。例えばこんな風に。

「毎年シーズンの終わりに、僕はかならずスキーパトロールにビール樽を贈るんだ。シーズン完了祝いのパーティ用にとね。彼らの仕事は大変だから、お礼のつもり。(一瞬沈黙して)そうすれば、もし立ち入り禁止のところで見つかっても、見逃してくれるだろう」

その日のライディングは良かったもののほかの日はパッとしない冬で、ジェリーと息子のアレックスの4日間にわたる撮影の計画を立てるのは、バチェラーでのリラックスした日のような容易なものではなかった。皆のスケジュールを照らし合わせて、締め切りを考慮しなくてはならなかったからだ。ボールドフェイス・ロッジのジェフは旅を調整し、カレンダーを調べ、天国と相談したあげく、僕らのためにあるはずのない時間を作ってくれた。うまくいくはずだった。僕たちはジェリーとアレックスとブリティッシュ・コロンビアのネルソンで、午後4時発のヘリコプターで待ち合わせた。ブライアンはほかの山小屋でバックカントリースキーを撮影したあとに、ネルソンまで送ってもらえることになっていた。僕はシアトルから速攻で行くつもりだった。やっと「トレイシング・ザ・エッジ」が形になりつつあった。

僕は余裕をもって予定より2時間前に出発し、カスケード山脈を超えて、ワシントン州東部の麦畑へとトラックを走らせた。日差しには春の兆しが感じられた。メールの山と格闘し、スケジュールを調整したあとになってやっと、この旅が始動しているという安心感に僕は落ち着いた気持ちだった。ほっとため息をつき、ふと左を見ると、僕の4気筒エンジンのトラックよりも大きなハーレーにまたがった、頭からつま先まで全身レザーの巨大な男が、僕の方を指差して何か怒鳴っていた。僕か僕のトラックの何かに向かって。指差すのはやめてくれよ。なんでそんなに怒っているんだ?

その男の敵意の意味が分からないまま、彼の目が大きく見開かれ、すでに強面の表情にさらに恐怖が走るのを、僕は目撃した。彼が急ブレーキを踏んだためにハーレーはスリップして後部が左右に振られ、あやうく120キロのスピードで地面にたたきつけられるところだった。そしてちょうどそのとき、何かが爆発した。僕のトラックは急に右へ、そして上向きに押し上げられた。ゴムの破片が周辺に飛び散った。僕はブレーキを踏みたい衝動を抑えながら、うれしいことに15メートル先にあった出口へと軌道を修正した。トラックは蛇行運転で進むと、路肩へ沈んでいった。左後部タイヤが完璧に吹っ飛んでいた。

僕は吐き気と闘いながら、何とか落ち着きを取り戻し、1時間後には運転を再開した。そしてメタリーン・フォールの北にある小さな国境検問所へ向かった。カナダへの国境を越えるのに苦労したことはないが、今回はそういうわけにはいかなかった。20分後、走行距離52万キロを超えるトラックのアクセルを踏みまくった。トラックはそれに応えてくれた。僕は北へ向かってまっしぐらに進んだ。時速95キロほどのスピードで。

ブライアンは冷静さを失っていた。彼を乗せた車は時間通りに着いたのだが、彼が荷物をすべて確認する前にその車がその場を去ってしまったのだ。1万5千ドル分のギアとカメラを乗せたまま…。カメラなしでの撮影には少し無理がある。ブライアンの興奮気味の声と苛立つ気持ちは理解できた。その車の後部座席にカメラバッグがあるのにやっと気づいたのは、国境を超えてアメリカ側に入ったところだった。彼らは高速の距離標識の5マイル地点に置いていこうと考えたが、結局釣り小屋に置いていくことに決めた。カナダ人のブライアンは国境を越えることを予想していなかったので、パスポートを持ってきていなかった。しかも自分のものではない1万5千ドル分のギアを持っての国境越えは冷ややかな目で見られる。国境でイヤな顔をされるのだ。税金に関わる問題だから。

僕はトラックに飛び乗って、南へ走った。そして話をでっちあげた。「これは僕のカメラである。僕は愚かなことに、それをホテルに置き忘れてしまったのだ」  このシナリオを僕が本当の話だと思えるまで何度も繰りかえした。ホテル、愚か者…。国境でカナダの衛兵所に入ると、20分で戻ってくると伝えた。

「本当だ、怪しい者じゃない。僕はただの愚か者だ」 そう言うと、彼らは信じたようだった。

そしてまたアメリカ側へと戻った。どういうわけか、僕はアメリカへの再入国が簡単に行ったためしがない。僕は彼らの警戒を促す何らかのプロフィールに当てはまるのだろう。検問員は僕の目の前でRV車を調べることにした。長い時間が経過する。僕はヘリコプターが地上から離陸するのを想像する。ついに、僕の番が来たのだ。

最初、会話は良い調子で進んだ。検問員は僕たちがどんな映画を作っているのか、そしてどうやってインターネットで映画を発信するのかなど、何でも知りたがった。そして新聞はこの時代を生き残れると思うか、デジタルメディアのビジネスモデルはどうなると思うか、などと質問をつづけた。

検問員(以下BP): どうしてカメラを忘れてきたんだ?

フィッツ・カホール(以下FC): 僕がバカ者だからです。

BP: でも、君のようなバカ者にお金と時間を投資する価値があることを、君は会社に納得させることができたんだね。

うーん、こいつは手強いぞ。

BP: 青年よ、ドアをあけさせてもらうぞ。(車内をくまなく検索する)この封筒には何が入っているんだい?

それはパタゴニアのスチュワートから送られてきたビデオテープが入っている未開封のフェデックスの封筒だった。そのテープにはコリン・ヘイリーがパキスタンにある悪意に満ちたオーガ(バインター・ブラック)と呼ばれる氷と岩を登頂している映像が収録されていた。ブライアンに届けなくてはいけないものだ。話がややこしくなってきている。

FC: 僕はホテルにカメラを忘れてきただけですよ。

BP: 青年よ、これを開けてくれるかい?

僕はフェデックスの封筒を開けて検問員に手渡した。すると彼は目を見開いて、肩越しに援護を求めた。僕は心のなかで、いったいどうしたらスチュワートが封筒に入れたものにそのような反応を起こすことができるのか、理解しようとした。

BP: 青年よ、このテープにはすべて「パキスタン」と記されているぞ。全部のラベルに「パキスタン」ということばが記されている。パキスタンの誰かと連絡を取っているのか?車から出てきなさい。

ヘリコプターには間に合った。乗り遅れるにはあまりにも遠くまで来すぎていた。詳しくは説明しないが、こうとだけ言っておこう。国境検問所の仕事は大変だ。彼らは休むことなく働いている。休む暇がなくて、喉がカラカラになってしまうほどだ。メタリーン・フォールではとくに。君が彼らだったら感謝してほしいだろう。そうだろう?メタリーン・フォールの国境の忘年会には、きっとこの「青年」は働き者の検問員たちにお礼のビール樽を贈るだろう。そうすれば、もし立ち入り禁止のところで見つかっても、見逃してくれるだろう

– フィッツ・カホール

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