クリーネストライン


ガスが抜けた青空に足取りも軽くなる 写真:小関 信平
ガスが抜けた青空に足取りも軽くなる 写真:小関 信平

稜線の先に見えたもの

By 上野 朋子   |   2021/09/21 2021年9月21日

山に入って3日目、赤石山の山頂から夕日を眺めたあと、ヘッドライトをつけて走り始めた。この日、スタートから15時間を超えて身体の動きが止まってきていた。レースでもなく、これだけの時間動き続ける場面は、そう多くない。ここまで自分が駆り立てられるものは何なのだろうか、なぜこれだけの装備を持ってきたのだろうか、前に進みたいという気持ちに身体が追いつかず、もどかしくなりながら自問自答した。でもすべては自分が選択したことだった。

真っ暗なトレイルは昼間以上に全身の感覚を研ぎ澄ませて進む 写真:小関 信平
真っ暗なトレイルは昼間以上に全身の感覚を研ぎ澄ませて進む 写真:小関 信平

群馬県と新潟県、長野県の県境にまたがる「ぐんま県境稜線トレイル」は2018年に開通した全長100kmを超えるロングトレイルである。谷川連峰の主峰を含む標高2000m前後の山々がそびえ、山の稜線の長さは国内随一と言われている。岩稜帯、鎖場、そして道中には新しく開拓した区間ゆえの藪こぎも多い。一部の山には入ったことがあるものの、これらバリエーションが有るコースを繋ぐロングトレイルであることが魅力的だった。アルプスのような華やかさはないものの、景色の美しさはそれに匹敵するほどなのではという直感があった。

コロナ禍で多くのトレイルランニング大会が中止になった。目標としていたレースも延期、または中止が決まった。仕事の環境や生活リズムも変化した。それでも身近なトレイルを走り続ける毎日は変わらずに過ぎていった。
朝、家から5分のトレイルヘッドから山に入り、その日の気分と体調で気の向くままに走る。これまで以上に山を走ることは日常生活の一部になっていった。だからこそ、少し足を伸ばし、その日常を超えて自分の力を試してみたかったのかもしれない。今の自分が置かれた環境下でやれる限りのチャレンジをしたい。

360度を見渡す限り山に囲まれた「ぐんま県境トレイル」この先にはどんな景色が待っているのだろうか 写真:小関 信平
360度を見渡す限り山に囲まれた「ぐんま県境トレイル」この先にはどんな景色が待っているのだろうか 写真:小関 信平

この全長100kmを繋ぐルートは険しく難コースであることが想像できた。コースタイムやコース状況、ビバーク地を考えながらトレイルを想像する時間は楽しいが、今回はあまりに少ない水場、藪の多い不明瞭なコースに不安が募っていた。このロングトレイルの最西端は群馬県の鳥居峠であり、家から最も近くに位置する百名山、標高2333mの四阿山だ。100kmを超えて進んだ先にあるこの山を登ったとき、いつもの景色はどんな風に見えるのだろうか。ロングトレイル最後の山はホームマウンテンである四阿山に決めた。

これだけの山域を一度にチャレンジすることは、調べるほどとてつもなくタフな行程だと思った。だからこそそれぞれの山を「丁寧に」登りたいと思った。そんなタフと思われる行程を安全に行なう手段を考えたとき、セルフサポート(水、食料、テント、着替えなど必要なものをすべて背負い移動する)というスタイルを選んだことはごく自然であった。標高も含めたコースの特性、天候の変化への対応、水場の少なさ、エスケープルートのない区間、岩稜帯、そして自分の力量、安全にこれらの山を楽しむためにこのスタイルを選択した。

ハードなチャレンジも仲間がいることは何より心強く、この時間を共有できることで冒険の面白さが増していく。写真:小関 信平
ハードなチャレンジも仲間がいることは何より心強く、この時間を共有できることで冒険の面白さが増していく。写真:小関 信平

アメリカやカナダのトレイルで遊んでいたとき、ローカルの仲間はOutdoor Adventureという言葉をよく使っていた。自分たちで遊ぶフィールドを探し、どんなスタイルでその山を楽しむのか。このスタイルは私にとって常に惹かれるものがあり、今の自分の原点にもなっている。
今回の冒険をするにあたって、友人の八木康裕さんに相談して声をかけた。多様なフィールドでの経験が豊富な上、私のトレイルランニングのスタイルを理解してくれる信頼できる一人だったからだ。

8月4日、谷川岳の麓をまだ暗い3時にスタートした。風はないものの、この時間でも蒸し暑い。レースでもないのに、これだけワクワクした気持ちは久しぶりだった。
真っ暗な樹林帯を食料含めたバックパックが最も重いタイミングで進むのは、まだ体が馴染んでおらず、いきなり始まる急登で滝のように汗をかく。「稜線トレイル」の名にふさわしい道が夜が明ける頃に姿を現し始めた。これから進む先が徐々に見える。時に直登で時に細かなアップダウン、次に向かう山の姿を想像するだけで気持ちが高ぶる。真っ暗な夜から日が昇り、空がグラデーションのように変化する時間は贅沢だった。朝日が昇る瞬間は、いつまででも眺めていられた。

空の色の変化とともに、太陽の暖かさを感じる瞬間 写真:小関 信平
空の色の変化とともに、太陽の暖かさを感じる瞬間 写真:小関 信平

標高2000mを超える稜線では、心地良い風も吹くが、日中の日差しは強い。暑さにやられ、ペースもダウンする。この日は空の色も怪しく雷が鳴り始めたので、樹林帯で停滞することを決める。稜線での雷は緊張感と恐怖心が伴う。それは「一度休みなさい」と自然から発せられたメッセージのように感じられた。その後はシャワーのような雨。暑さにやられた体には心地よく体温を下げることができた。自らの足で進むからこそ、山域の変化はもちろん、日差しや風向き、天候の変化を全身で感じとることができる。油断のできない険しいリッジ、それを乗り越えた先に待つ絶景、自然の厳しさと優しさのギャップは時にほっとさせてくれることもあった。毎日、次の稜線へと進む中で自然との対話の時間は増えていった。

遮るものがない稜線上は、日差しを浴び続ける日も 写真:小関 信平
遮るものがない稜線上は、日差しを浴び続ける日も 写真:小関 信平

テクニカルな下り、走れるトレイルが交互に繰り返される区間だった。次の分岐までもう少しというところで、足首をひねり派手に転倒する。次のポイントへ気持ちが先走っていたと感じた。下りが続き補給を怠っていた。前のポイントを通過した時間や現在地の確認も中途半端だった。すべてが疎かになり集中力がきれていた時間帯だったのだ。そんな油断や気持ちの隙に自然は容赦なく警告する。もう一度言い聞かせる「丁寧に」進もうということを。

足場の悪いエリアに加え、一瞬で真っ白なガスに覆われることもあり、慎重に進む 写真:小関 信平
足場の悪いエリアに加え、一瞬で真っ白なガスに覆われることもあり、慎重に進む 写真:小関 信平

途中、八木さんと話しながら、自分の作った行程表に休憩時間を入れていなかったことに気づく。どこか過信があったかもしれない。約14kgのザックの重さ、1日の行動時間の長さを考えれば、すべてが順調にいくはずがない。この日、途中の山小屋前でベンチに腰を下ろす。荷物を下ろすと、急ぎすぎていたことに気が付かされる。足にテーピングをして、冷たい水で顔を洗い、水を飲む。装備を再度確認して一呼吸入れると、自然とリラックスできた。そんな身体とのやりとりとリセットするタイミングがこのロングトレイルの中では大切な時間だった。

沢の水の冷たさは格別の気持ちよさ 写真:小関 信平
沢の水の冷たさは格別の気持ちよさ 写真:小関 信平

急登や岩場の高い段差、倒木が多く手つかずの自然の中は思うように進めずに、背中の荷物が重くのしかかった。足の置き方が不安定になり、何度もバランスを崩し、ぬかるみでは足を取られる。相変わらずひたすら続く背丈を超える笹藪、クマ生息地の注意喚起、電波の通じないエリア、トレイルを進むには身体だけでなく神経を使う。

このロングトレイルは、6月半ばまでは一部の区間で雪渓が残り、10月には初雪が降る。豪雪地帯ならではの雪の浸食により、急峻な地形ができたともいわれている。それゆえ、1年を通じてトレイルに入れる期間は短く、登山者は多くない。人が入らなければトレイルは安定せずに荒れ、自然に戻ろうとするので維持することは難しくなる。一方、トレイルが繋がることで新たな山に入ることができ、素晴らしい景色に出会うことができる。これだけアクセスが悪く秘境の地にトレイルを開通させてくれた人への感謝をすると同時に、歩きやすい道は当たり前にあるのではなく、それをいかに維持していくかを考えさせられた区間だった。

これだけの山間に、きれいに整備された木段が続く。車道からはどれだけ離れているのだろうか 写真:小関 信平
これだけの山間に、きれいに整備された木段が続く。車道からはどれだけ離れているのだろうか 写真:小関 信平

当初4日間で設定していた予定をオーバーし、5日目にスタートしてから6時間後、群馬県嬬恋村の鳥居峠で全行程を終える。総距離140km、累積標高11300m。達成感よりも安堵感、無事に下山したというほっとした気持ちが大きかった。さまざまなリスクが最後の最後まであり、想定はしていたものの気を抜くことができないコースだった。ケガをすれば一瞬で終わる。チャレンジそのものの終わりはもちろんのこと、トラブルによっては遭難を意味し、リスクの大きさを改めて感じた。トレイルレースではコースマーキングがあり、スタッフがいてくれて、峠には運営車両が待機され、草は刈られ走りやすい道ができている。もちろん途中にはエイドステーションがある。
本来の山はそのような守られた環境の中にはない。

ルート上の33座の山。険しい山、厳しい山、穏やかな山、温かさを感じる山、それぞれを全身で体感できるのは、縦走という時間ならではだ。壮大な景色に圧倒される中で、これだけ美しい山に囲まれたエリアが日本に、しかも身近なところにあるという発見があった。

ホームマウンテンに近づくにつれて、「いつもの」山の雰囲気を感じ取った。四阿山から鳥居峠を目指して下るころ、不思議と足が動き、気づけばスピードも上がっていた。どこか安心感に包まれた、体と心が山に溶け込む感覚は今でも忘れられない。

事前の計画や準備も含め、これまでトレイルランニングをする中で学んだ、必要な装備やレイヤリング、補給、走り方などをふり返ったり、イメージしながらの行動となった。そのとき時の状況下でのベストと思った選択肢は、たとえどれを選んだとしても、本当に正解かどうかなんて分からない。でもだからこそ面白いのだと思う。考え続けることができ、終わりがないのだ。
自分が本当にやりたいと思うことへどのように向かうのか。今回は好奇心を駆り立てられた新しいトレイルへ踏み出すことを選択した。
ここからまた新たなスタートが切れそうだ。

自然から学び、考えさせられたロングトレイルでの時間。新たなトレイルとの出会いはまだまだ続く 写真:小関 信平
自然から学び、考えさせられたロングトレイルでの時間。新たなトレイルとの出会いはまだまだ続く 写真:小関 信平

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