クライミング
長持ちするよう作られた機能的で動きやすく快適なクライミング用ギア。
ゴアテックスePEアルパイン・スタイル
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ともにもっと大胆に
時代を切り拓くクライミングを目指すだけでなく、より良い未来のために尽力するクライマーを称賛します。
ゾフィア・レイチゾフィア・レイチ
もちろん、クライミングはそれだけで完結することもできるけれど、私はこれを生かして、世界にポジティブな影響を与えることに魅力を感じている。
フォンテーヌブローに引越した時、自分の運動能力を高めることしか眼中になくて、ボルダリングをやり、自然の近くで暮らし、地域の一員になることで、どれほど多くのものを得られるかを予想していなかった。もともと孤独な性格で、個人主義文化では有意義なつながりを促されることもないから、クライミングは、その解毒剤になり得る。この体験を誰にとっても手の届くものにしたい。
クライミングは、社会を綿密に調べる不気味で正確なレンズでもある。ウィメンズ・ボルダリング・フェスティバルを立ち上げるきっかけとなったのは、フォンテーヌブローの岩山で多様性のなさを目の当たりにしたことだった。さまざまなジェンダー、民族、能力を受け入れる環境を作ることは、地球上で私たちが生き残るには不可欠であり、それは数多くの研究からも明らかで、だからクライミングの多様化を通じて微力を尽くすことは意味のあるアイデアのように思えた。特にアウトドア関連の機会は、いまだにラッキーな人々に限られているのだから。
30代前半で自閉症と診断され、その後まもなくADHDとも言われた。このフェスティバルのディレクターとして、私は「未編集」の自分のまま、つまり精神疾患の病歴があり、神経学的に多様で、ノンバイナリーな一個人として、私を見せたい。そして、人間としての妥当で美しい多様な在り方をいっそう当たり前のものにしたい。
インドアのコンペティションから地元の岩場の保護活動まで、クライミングには多くの要素があり、正しい方法は1つではない。同時に、改善の余地は常にあるから、反省することに計り知れない価値があると思う。クライミングの複雑性に多方面からアプローチしようという思い付きが、拙著『Born to Climb: From Rock Climbing Pioneers to Olympic Athletes』のきっかけだった。この本は古典的な冒険ストーリーや社会科学へのオタク的こだわり、それからフェアな表現の試みのブレンドであり、はからずも私の関心がかなり正確に表れている。
写真: CRISTINA BAUSSAN
ブランドン・ベルチャーブランドン・ベルチャー
事情があって、初めて相互扶助や連帯の組織について知ることになった。活動家グループと深いつながりのある友人がいて、2020年の夏、僕らはアトランタ市内全域でいくつかの抗議活動を行った。夏の終わりには僕らは燃え尽きたけれど、連帯グループを支持していくことが、自分たちのこれまでの努力の壮大な「続き」になると気付いたのだ。
相互扶助とは、コミュニティのメンバーが集まって、お互いに支え合い、共通の目的に向かって活動することだ。それはクライミングと実によく似ていて、クライマーもしばしば、知識や経験を分かち合うことで、困難なルートを切り抜け、絆や帰属意識を育む。どちらも、信頼、協力、共同体、そして自他の利益のためにすすんでリスクを負う気持ちが必要だ。
立法はコミュニティが繁栄に必要な変化を起こす上で間違いなく影響力のある手段だが、結果が出るまでに時間がかかるし、時には意図した人々の利益にならないことさえある。クライマーは地元にコミュニティを築いており、地域社会のニーズをよく把握しているから、より迅速な対応や現場に根ざした知識が必要とされる問題に役立つ。同様に相互扶助組織も「果たしてその問題に時間を割く価値があるか」を権力側が判断するのを待つことなく、必要な人々に、迅速で有効な支援を提供する。また相互扶助組織は、民族、ジェンダー、所得の状況で軽んじられている人をはじめ、見過ごされがちな人々に、追加的または特別な支援を提供することができる。
僕は役立ちたいと思うコミュニティの物理的に近い場所にいるけれど、その絆や関わりは、組織を指導する人々ほど確立されていないかもしれない。だから僕は、経済的援助や物資(食品、冬の間の毛布や暖かい衣類、タープテントなど)を提供することで、なすべき仕事やその方法を僕よりも熟知する組織に、あるいはその理念に、善行を委ねることにしている。
写真: DREW SMITH
エリック・ビッセルエリック・ビッセル
クライミングを学んでいた頃、ヨセミテと、ここでのほぼ順番どおりのゆっくりとしたスキル上達に心酔した。圧巻の大岩壁、技巧的な花こう岩の巨礫など、ヨセミテは全くの初心者に、手本と憧れる花こう岩の達人になるための道すじを示してくれた。ヨセミテに夢中になっていく数年間に、僕はその地でクライミング・レンジャーの職を得て、8シーズンにわたりこの公園で働いた。その数年間に大岩壁で自分自身の冒険を体験し、代表的な大岩を何度も登ったが、同時に気付いのは、人は自分のクライミング・ストーリーを唯一無二のものと受け止めているけれど、我々の影響は決してそれほど唯一無二ではないということだ。毎年数千人ものクライマーが似たような軌跡をたどることを考えれば、その1人1人の影響を、クライマーが景観に与える影響という大きなストーリーの一部としてとらえることの重要性は明らかだった。
クライミング・レンジャーとして、僕らは人々にそっと歩いてもらうために、忠告と感化の両面から教育に力を注いだ。その目的をより良い形で達成するために、僕らは「クライマー・スチュワード」というボランティア・プログラムを企画し、以来それは国内に拡がり、土地管理者とクライミング・コミュニティ間の永続的な草の根パートナーシップを形成するようになった。登山道の工事やゴミ拾いのような大切な作業以外にも、スチュワードは土地管理者とクライミング人口の継続的対話を支援している。僕はもうヨセミテでは働いていないが、クライミングは今もなお人生における考え方の原点であり、「コミュニティの一員であるとはどういうことか」「自然界のスチュワードであるとはどういうことか」を考える際に役立っている。できるかぎり、僕はこうした視点を目下取り組んでいる映像を通じたストーリーの発信に取り入れようとしている。
写真: DREW SMITH
Jason Thompson