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南米ノースパタゴニアの3年間

大池 拓磨  /  2020年2月13日  /  スノー, スポーツ
地球の裏側にはどんな景色が広がりどんな斜面が待っているのだろう。

僕らは2016年から3年続けて南米スキートリップに出かけた。アルゼンチンとチリをまたいだノースパタゴニア地方で、1年目は僕、大池拓磨と布施智基、大池朋未の3人。2年目と3年目は布施との二人旅だ。

メンバーは誰一人南米を知らないし、スペイン語だって話せない。全員がゼロからスタートだった。山に入る時もガイドには依頼することなく、地図を片手にラインを探した。布施は冬の間はバックカントリーガイド、僕もテールガイドを務めている。互いに白馬で鍛えた山のスキルがどこまで通用するか。全ては自分達の嗅覚とサーチ力を最大限に発揮して、旅と滑りを楽しもうと考えたのだ。
僕らが南米トリップに行こうと思ったのは、海外ライダーの撮影クルーとして白馬にやってきたペデロとの出会いがきっかけだった。彼はアルゼンチン・バリローチェ出身で、地元で山を滑ったり、ジュニアのレッスンをしているという。互いに言葉はあまり通じなかったが、雪山好きという共通点だけで仲良くなれた。スキーは最上級のコミュニケーションツールだったのだ。
白馬にペデロがいる間に南米が気になりだした。たとえ言葉ができなくても、スキーや雪山が好きなら仲良くなれる。スキーをするだけで世界の雪山好きと繋がれる。それなら地球を半周して行く日本の裏側には何が待ち受けているのだろう?
ペデロが携帯で見せてくれた画像には見たことのない世界が広がっていた。その衝撃がずっと頭に残っていた。日本と真逆の国にはどんな山があり、どんなスタイルで滑り、どんな文化があるんだろうか。それで行こうと決意した。スノーコミュニティは世界中が繋がってることを信じて、僕たちは日本を飛び出したのだった。

あっという間の135日と祈りを捧げた3秒間。

いつになく清々しい朝を迎えた。昨日やりきったと思ったメインフェイスを、今日はもう一度滑ることになった。岩を飛ぶセクションは前日よりもスピードに乗せて踏み切ってみよう。3年間かけて通った南米は滞在日数だけで135日、およそ4カ月半になる。その集大成になるだけに、納得のいく1本を滑りきりたいとモチベーションは最高潮に達していた。南米でも珍しい直径2㎞ものカルデラの内径360度をぐるりと大斜面が囲むプジェウエ火山。この奇跡のような地形との出合いは、過去2年間のトリップでの最大の収穫だった。そのメインフェイス「プンタ・アラスカ」を納得いくスタイルで滑り降りること。それが僕と布施の明確な目標になっていた。カルデラの中心にベースキャンプを設営し、そこから周囲に広がるビッグフェイスに好きなだけアタックする。そのために、僕らは食糧1週間分にテント泊装備と撮影機材を担ぎ上げていた。麓の牧場からは2日間の道のりだった。今回、45日間を予定したトリップのなかでも、ストーム明けの長い晴れ間という最上のコンディションを狙った。昨年帰国してからも、ずっとこの斜面を頭に描いてきた。その温め続けたイメージを実現できるかどうか。あとは自分たち次第だった。

メインフェイスへのトライは、今日で3回目だった。初日はセーフティに滑りすぎてしまった。壁の見た目と実際のサイズ感の違いに戸惑い、パワーのあるスラフにも苦しめられた結果だ。ラインを変えた2日目は自分の力を出し切り、大きな喜びと感謝の気持ちがこみ上げる1本になった。布施もまた、ソフトスノーとハードパックの入り交じった難しいコンディションの超急斜面を危なげなく攻めきっていた。地形把握能力の高さと、積み重ねた経験を物語る滑りだった。だが、テントに戻って確認してみると、ドローン機材のトラブルで満足な映像が撮れていないことが判明した。そうしてこの日を迎えた。まさに3本目の正直だった。視界は良好で、いい光に恵まれていた。ピークまで登り、先に滑る布施を見送る。勢いよくボトムに到達した姿を確認した後、無線でやり取りしようと思ったが、ポケットに無線がない。テントに忘れてきてしまったのだ。しかし、叫べばどうにか布施に届く距離だった。

大声でスタートの合図を送った後に深く息を吐き出し、それからドロップした。吸い込まれるようにビッグフェイスに体を落とし込み、1ターン目に入った途端、右足のスキーがあっけなく解放した。 絶対に転んではいけないシチュエーションだった。最悪の事態が頭を駆け巡る。

ヤバいっ! 止めなきゃ!

だが、どうあがいても止めることはできず、僕は斜面の上をスライドし続けた。

止まれー!!

無意識のうちに声が出ていた。何かの拍子で体が大きく跳ね上げられ、そこから縦回転が始まった。このまま滑落が止まらなければ、大きなクリフから投げ出されることは明白だった。ものすごい遠心力で回され、内臓が口から出そうだった。何の抵抗もできず、極限状態になった僕の意識はまるでスローモーションだった。ゆっくりと時間が過ぎ、痛みも何も感じなかった。1秒あるかないかの時間の中で、これまでの人生の記憶が頭の中を駆け巡った。思い描いたようには進まず、右に左に寄り道をして、いつも誰かに助けられながら生きてきた。もがきながらも好きなことに打ち込み、生きていて良かったと心から思う時間も経験できた。だけど……、まだ恩返しが済んでいない。そう思った瞬間、ハッと我に返った。どうにかこの状況を乗り越えなければ。けれども僕にできるのは祈ることだけだった。人は窮地に立たされ、自分にできる全てのことをやり尽くし、それでも解決できない時は自然と祈りを捧げる。僕は自然界の神様に祈っていた。

「僕を生かしてください。まだまだやる事があるんです!」

繰り返し雪面に当たっていた頭と足が空回りしたことで、クリフから放り出されたのを知った。そして激しく雪面に叩きつけられ、何回転かして体は止まった。指先、頭、首、足先と、順番に動かして体の状態を確認する。大丈夫、意識も感覚もある。顔は痛いけど出血はないし、思ったほどダメージはない。アドレナリンが放出されて感覚が麻痺してるのだろう。大声で布施に体の安否を伝えた。声を発するまで10秒以上掛かったはずだ。スキーもポールもゴーグルも帽子も見当たらない。登り返して来た布施は、ショック状態の僕を見てこう言いった。

「まずは戻ってランチにしよう」

その言葉で救われた。それから片足スキーでテントまで戻った。相当なショックだったのだろう。用意してくれた食事は、何を食べたかさえ覚えていない。そして時間が経っても体の震えは収まらなかった。だが、そんな状況にもかかわらず、まだ僕らのミッションは残っていた。斜面上部で外れたもう片方のスキーを回収する必要があったのだ。スキーがなければこのカルデラの底からの生還も難しくなる。再びピークまで登り返し、クライムダウンして板を回収することになった。もはや悪魔の斜面にしか見えない。まさにトラウマだ。それでも背中に一本のスキーを担いで登り始めた。死にかけた斜面を受け入れて登るには、なぜクラッシュしたのかを解明する必要があった。振り返ってみると、答えは明白だった。直接的な原因は、風に叩かれた雪面が凹凸を残して溶けて凍り、そこに板を横から差し込んだ結果、スキーが外れたのだ。予想した雪質と、実際の雪質に大きな差があったということだ。分かっていれば対処はできる。なぜそれができなかったかといえば、油断と判断の甘さだ。同じ斜面の3本目だったことで、斜度感やサイズ感は掴んだという思い上がった考えもあった。さらに振り返ると、2日目にベストランを出したのにも関わらず、もう1本と欲を出したこと。そんな時はたいてい、自然が発するサインを見逃すものだ、無線を忘れたのもその一つ。朝から浮ついていたのだろう。山で忘れ物をすれば登れないことも、滑れないこともあるし、場合によっては致命傷にもつながる。いつも意識してたはずなのに……。ミスを洗い出しながらピークに立った。斜面を覗き込むと、転落していったときの残像が蘇る。まだ平常心とまではいかない僕は躊躇していた。冗談半分、本気半分で——やっぱり怖いな、代わりに行ってもらえないかな──と布施に告げると、彼は「早く行きなよ!」と笑いながらロープを取り出した。布施のビレイで雪庇を切り崩して斜面に入り、両手のピッケルとアイゼンを食い込ませて一歩ずつ慎重に下り、無心で板を回収した。その後も心ここにあらずといった状態で、どうやって滑り降りたかも覚えていない。

テントに戻ると、布施から気合いを入れられた。自分でも分かっている。ここにいるのは僕たち二人だけ。誰の助けも声も届かない状況で、ふわふわしている場合ではない。しっかり滑って、ここから安全に生還しなければならないのだ。ここは地の果て、ノースパタゴニアの山奥深く。もちろんレスキューなどは望めない。シュラフに入ってからも自問自答を繰り返した。なぜ、こんな危険な思いをしてまで僕は滑るのか。僕はクレイジーではない。子どもの頃からスキーを履いて成長し、目標に向かって生きる大切さを知った。スキーを通してかけがえのない家族や多くの仲間もできた。なによりスキーをしている時が楽しく、一番幸せなんだ。人間らしく生きるため、生きている価値を実感するため、これからも僕は滑り続けるだろう。僕はテントから顔を出すと、満天の星空に向かって「俺は生きる」と宣言した。そして「ありがとう」と感謝した。

3年かけた南米での最後のライディングはこの大クラッシュで幕を閉じた。滑り手としては隠しておきたい事実だが、僕は隠さずにさらけ出して生きていこうと決めた。自然に身を置くと自分の小ささや弱さがよくわかるし、自然を前にすれば、嘘やごまかしなどは通用しないのだ。プジェウエの帰り道、果てなく続くアンデス山脈と目の前に広がる雲海を眺めながら、布施とともに春のザラメ雪に板を走らせた。背中に満載の荷物は激しく重たかったが、心の中にはなにかが満たされていくのを感じていた。

これからも僕は滑り続ける。人間らしく、生きてて良かったと思える時を求めて。

本記事はFall Line 2020 Vol.2からの転載です。

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