イヴォン・シュイナードと2人の若いクライマーによる山の清掃活動について
セロ・トーレのコンプレッサー・ルートに使用された極地法は、いかなる手段を用いても山を征服し、その後はハーケンやボルトやロープやケーブルも残置するという、アルピニズムにおける利己的な「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)」哲学のおそらく最もはなはだしい例だと思う。これはルートの質を下げ、公平なスタイルで登る技術も精神力もない人びとにアクセスする手段を残す。これはアルピニストにとっては、ヘッドライトに照らされて動きが凍った動物を狩る容易さに等しい。
残念なことに、多くの場所でこの方法が残した破損がみられる。とくに1920年代に素晴らしいスタイルで初登されたドロミテは、いまでは数メートルごとにボルトが打たれている。
ヘイデン・ケネディやジェイソン・クルックのようなアルピニズムの最高の本質を体現する若手クライマーがいることに感謝したい。壮大な南東稜が足かせを取り除かれたいま、セロ・トーレはどんな手段を用いても登頂されるべき山ではなく、登攀する勇気をもつ未来のアルピニストのインスピレーションとなるだろう。
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パタゴニアのオーナー兼創始者のイヴォン・シュイナードは、1968年にダグ・トンプキンス、ディック・ドーワース、リト・テハダ–フロレス、クリス・ジョーンズらとともに、チャルテン山塊の最高峰であるフィッツロイのカリフォルニア・ルートの歴史的初登を達成しました。1972年のシュイナード・イクイップメント社のカタログはクリーンクライミングの動きに多大なる影響を与え(本投稿の表題はその紹介文を回顧するもの)、最近のセロ・トーレをめぐる論争とも関連しています。何十年も過ぎたいまもイヴォンが人に説くことをみずから実践しているのをみるのは新鮮です。セロ・トーレの論争についてはケリー・コーデスの最近の投稿や、ラ・カチャーニャ新聞のウェブサイトに掲載されたダグ・トンプキンスがカルロス・コメサーニャに宛てた手紙(英語/スペイン語)をお読みください。