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美しき川

田口 康夫  /  読み終えるまで10分  /  アクティビズム

川の自然は川自身につくらせる。

全ての写真:平林 岳志

牛伏寺橋の赤い欄干を背に、牛伏川の流れに沿って川岸を歩く。川の両岸には草木が生い茂り、大小の石はなだらかな流れの中にしっかりと根を下ろし、そして透き通った水にときおり魚の影がちらつく。手つかずの自然の景観そのものだ。かつてここに9基もの砂防ダムがあったとは想像できない。

私が松本で暮らしていた60数年前、小川や河川はまだコンクリートで固められておらず、自然豊かな景観が残っていた。遊びといえば、郊外の小川でのドジョウすくいで、大きな竹ざるを持ち、片足で魚を追い込んでつかまえた。少し大きくなり、自転車に乗れるようになると、湧水河川、沢、渓流でのヤマメやイワナやニジマス釣りに出かけた。湧水の多い松本にはワサビ田や養鱒場がいくつかあり、そこから清らかな音とともに流れ出る水は澄んで美しく、緑色の水草や藻が揺れるその小川は、畑や平地を縫うように流れていた。夏にそうした小川で釣りをしていると、脇の畑で働くお姉さんがもぎたてのトマトやキュウリなどをくれたことを思い出す。大きめの川では泳ぎ、潜ってヤスで魚を突いたり、にがんだり(手つかみ)もした。水温は夏でも低く、体が冷えてくると太陽光で暖まった大岩に身体をピッタリつけて暖まる。ときには手拭いでメダカに似たハヤやウグイの子魚を2人がかりですくい、熱い石に貼り付けて干物にして食べたりもした。当時、子どもにとって川が格好の遊び場であったことはまちがいない。ある程度大きくなると自転車で谷川にイワナ釣りに行くことも増えていった。谷川は魚釣り以外にも、山菜やキノコの宝庫であり、野宿をしながらの釣行は、他の遊びにはない満足感を味わえた。だが東京で暮らすようになってから20数年後、故郷の松本に戻り、近くの川に釣りに行って唖然とした。小川は護岸がコンクリート化し、渓流は大きな砂防ダムが川を遮っていた。

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60年ほど前は、松本市内にも澄んだ水が流れる湧水河川がいたるところにあった。ここには60年後のいま訪れてもやはり、あるいは余計に、ホッとする景観がある。

都会で生活をしていると、田舎や山中の変化に気がつきにくい。松本に帰って来た私は、自然環境、とくに川環境の変化について、激しく焦燥感を覚えた。そのころ、松本市の公民館の活動の一環として、河川環境に関する専門家の講座が開催されていた。まさに高度経済成長期で列島改造論が叫ばれ、土木工事などの公共事業が日本中で進められていた時代だった。私は自然の好きな人がこの講座に参加し、勉強だけでなく、身近で起きている川環境を壊すような公共事業に口を出していこうと、「水と緑の会」という団体をつくり、それに賛同し活動をはじめた。かれこれ30年ほど前のことだ。そして、活動を松本市内にかぎっていたこの会から5年ほど遅れて「渓流保護ネットワーク・砂防ダムを考える」(渓流ネット)を立ち上げ、市外の砂防問題に対する活動もはじめた。すでにこの時代、国交省の資料によれば、全国で9万基を超える、そして長野県内だけでも6千基を超える(治山ダムの数は含まず)砂防ダムが造られていた。砂防ダムや治山ダムのない川は、ほとんどないのが現状だった。こういった実態に危機感が募り、私は精力的に活動をしていった。うまくいったものもあれば、いかなかったものもある。こういった運動の進め方は共通していて、先ずは地元の行政と話し合いを進め、現場の調査をして、問題を明らかにする。それからマスコミに報道を依頼し、多くの地元住民に知ってもらう。さらにシンポジウムなどを開いて理解してもらい、代替案があれば示す。場合によっては専門家による委員会をつくる要請をする。

美しき川

自分の写真などほとんど撮る機会もないが、えー、歳をとったものだ。

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ノギカワゲラ(県準絶滅危惧種)を探して石に水をかける。ピリッとした この水の冷たさは、日本の渓流そのものを感じられる。

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釣り針を投げ込むときは一瞬、無の境地になる。 はじめのころは誰でも大物を期待するが、年を重ねてくると、ほとんど何も考えない。

私にはとくに忘れられない活動がある――牛伏川の砂防改修だ。

1996年に実施されたこの改修は、砂防ダムを半壊して渓流環境の復元を試みる、全国的にも先駆的な工事だった。この事業は県の予算で進められ、「水と緑の会」、行政、コンサルティング会社、そして地元の民間工事事業者2社の共同で行われた。その数年前から、「水と緑の会」はおもに奈良井川や、薄川や牛伏川などの支流を含めた渓流環境の保全活動のため、県にコンクリートで固める工法での河川工事の見直しを求める要望書の提出をするなど、地道な交渉をつづけていた。牛伏寺砂防ダム直下500メートル区間の大掛かりな河川改修の工事が行われはじめていたのは、そうしたなかでのことだった。

当初この工事に関する計画を知らなかった私たちは地元住民の連絡によってそのことを知り、工事の中止と見直しを急ぎ、強く県に求めた。それまで、あれほど県と話し合いや勉強をしてきたにも関わらず、それらは今回の改修計画にまったく反映されていなかった。「水と緑の会」はかなり強硬に計画の見直しを要求し、その結果、全体の半分の工事は進んでしまったものの、残り半分は手を付けない確約をとることができた。

このような交渉のなか、工事費の残り半分を使って何かできないか、という話が持ち上がった。そして浮上したのが、石組工法による砂防ダム改修案だった。そこは、1995年当時「水と緑の会」が強く反対をしたが、力およばなかったという因縁の場所だ。

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牛伏川の砂防改修時の設計図。庭園を造るように石を美しく並べ、組んだことが よくわかる。

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当時の民間工事事業者のひとつ「信州グリーン」の藤原繁幸氏。 20 年前の改修工事にも携わった。

その場所を8年後に改修するという筋書きは、画期的なことのように思われた。松本市の建設事務所での交渉は4回にわたって行われ、しかしながら話はまとまらず、最終的に県庁に赴き、砂防課長と直接話をすることで決着がついた。改修の対象は、牛伏川牛伏寺橋前後の約250メートル区間で、高さ1~7メートルの落差のある床固工9基と帯工10基だった。行政側としては、砂防ダムを壊すということはダムの効果を否定することになり、到底認められない。私たちは改修案について、砂防ダムと同じ効果を残す石組工法であること、渓流のなかの自然にできた小さな落差(滝)は全体的には大きな砂防ダムと同じ効果を備えていること、また自然の渓流と同じく景観が美しく、生物多様性条件が備わっていること、そして魚類の遡上・降下環境においても、ダムに造られた機能していない魚道に比べて100%機能することを説明した。

この改修にあたり最も重要視したのは、度重なる河川工事によって失われた景観と、ほとんど見られなくなったイワナ、ゲンジボタル、ノギカワゲラ(長野県準絶滅危惧種)などの水生生物の復活を目指すことだった。私たちの考え方を理解してもらうため、行政、コンサルティング会社、地元の民間工事事業者、「水と緑の会」の4者間での協議だけでなく、自然渓流の現場を実際に見てもらい、渓流のなかの石の配置が砂防ダムと同じ効果を生じさせている実態を肌で理解してもらった。

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建設を反対しても造られてしまい、無力感をもつときもあった。 だが悔しさがばねになってこの場所の改修ができたことは、大きな喜びとなった。

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こうした工法に疑問をもてる技術者が育つことを願いたい。

ひんぱんに行った現場検証により、こうした構造のおかげで生物の多様性や生息環境がつくられることに関係者一同、十分理解を得て、工事は進められた。改修後、時間の経過とともに川のなかの環境は変化し、いまではその場所は改修したとは思えないほど手つかずの川に近い姿に復元している。生物層もイワナ、ゲンジホタル、ノギカワゲラ(県準絶滅危惧種)、ツチガエル(県絶滅危惧種)などが復活し、何よりも、また美しい景観のなかで子どもたちが川で遊ぶ姿が見られる。地元の川を愛さない人はいない。河川改修立案が実行されても、行政や地元土木業者とともに何度も現場に立ち会い、話をする。

実際の工事では石の並べ方や組み方によって強度は変わり、景観も大きく変わる。日本庭園の庭師が物の配置にかなり神経を使うのと同じだ。牛伏川の砂防改修を実施したのは、奇しくも「信州グリーン」という造園土木業者だった。砂防ダムの改修には、牛伏川のような石組工法による方法の他に、既設の砂防ダムに開口部を開けるやり方もある。ダム壁を切る技術はすでに完成しており、要はやるかやらないかだ。現在は新たに造る砂防ダムにスリット型を用いているが、日本はこれまですでに9万基ものダムを造り、さまざまな問題を生じさせてきている。また正常な土砂供給の問題を考えるならば、すべてのダムのオープン化改修終了後に土砂収支の再検討を行うことも必要だ。

既設ダムに手を入れなければ、根本的な問題解決にはならない。スリット化改修は、新たに砂防ダムを造る費用に比べて格段に安く、効果も大きい。どちらも同じ公共事業だ。ならば後者を選ぶことが真っ当な選択だろう。いずれにせよ、この2つの改修方法は川の連続性を確保し、生きものの移動やこれまで土砂で埋まっていた景観を復活させる効果が高い。長い年月によって川自身がつくり上げてきた姿がよみがえる。

現場を視察にくる人は多い。希望のもてる話だが、実際はなかなか普及しない。地元に戻って行政に要望を伝えるところにハードルがあるのだろう。川環境復元工事はそれなりにお金がかかる、当然だがその資金は行政に出してもらうしかない。改修に関わる土木業者をはじめとする関係業者も、経済の歯車に組み込まれている。だが過去の異物を改修・撤去などして本来の自然豊かな川に戻す事業も、公共事業だ。もしこれまで造られてしまった砂防・治山ダムを川環境復元のために改修するとすれば、その公共事業は100年はつづく。同じ公共事業なら、これからは再生の方向に向かってもらいたい。これでも、異を唱える人はいるだろうか。

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石の配置や組み方など、現場を見ながら、当時の記憶をたどる。20 年という 歳月が経ち、あらためてこの石組工法の良さを実感。「こうした工法をもっと広めていきたい」

川の自然は川自身につくらせるという考え方に帰るべきだ、と私は思っている。都市化が進めば当然防災という視点も考えざるを得ないが、重力のある場では、位置エネルギーの高いところから低いところへと物が移動すること、つまり位置エネルギーが安定に向かうことを自明とする考え方が必要だ。よってそのエネルギーが解放される可能性の高い場所での人間活動を制限することが、無駄なお金をかけない無理のない政策につながり、防災においても被害を軽減させる対策となる。川の自然は川自身につくらせることが、人の美観にも合い、また生きものの多様性や生息環境の維持につながるのだ。私たち日本人には、川と接することで生活の潤いを感じ取ってきた長い歴史がある。60年という歳月で宝を失う愚かさに気づき、命をつなぐ次の段階へ歩みだすことを願う。

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秋に誰もが気軽にイワナの産卵を見ることができる川がそばにある。 そんな故郷って素敵だと思いませんか。

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