走るベーカリー
「自分を大したベーカリーだとは思ってないし、実はサイクリストでもないんだ」
カリフォルニア州サン・ルイス・オビスポにあるBread Bikeの設立者のサム・デニコラは言う。では、なぜ自転車配達のベーカリーを立ち上げたのか。僕はインタビューの質問に目を落とした。それは、2つの大きな情熱を重ねる方法を見出した男の物語を作るつもりで、あらかじめ答えを予想しておいたのだ。この地球を救い、かつ地域社会に糧をもたらすという一石二鳥を決意した、粉まみれの、人力に頼る情熱家の物語。最終的に僕の予想は大きく的を外れていなかったが、彼がそこに至るまでに歩んだ道のりや、味わった感動には、僕の予想をはるかに超える奥深さがあった。
9年前、デニコラはカリフォルニア大学バークレー校の地球物理学部の学生で、学生寮に住み、少ない生活費をやりくりしていた。「家賃を払うために、寮生60人のために食材と厨房を管理しはじめたんだ。年間予算は10万ドル、すぐに経済性の規模を把握し、農家や販売業者と親しくなったよ」階段下の物置に住み、1日を勉強とパン焼きの半々に費やしていた。「そのうち昆布茶を煮出したり、ピザを焼いたりしはじめた。学業より充実していたよ」
ある教授(その教授のためにパンを焼いたことがあった)が、デニコラに友人のジョージー・ベイカーの話を聞かせてくれた。Josey Baker Breadの創業者であり、サンフランシスコで人気のベーカリーカフェ、The Millの共同オーナーだ。ベイカー氏自身や、ベイエリアのパン作りの豊かな伝統には感銘を受けたが、デニコラは別のことを考えていた。「この世界にはまだ何かがある。パン作りを本業にする考えは、もう少し寝かせておこう」卒業すると彼はバイオテクノロジー関連の企業に就職し、貯金をはじめた。「仕事にはモチベーションを感じなかったよ。仕事以外で話す人はみな、バイオテクノロジーと無関係の人だった」

事業を起こし、コミュニティを作り、パンを焼く――デニコラにとって、それらはすべて友人に糧をもたらすことにつながる。まだ見ぬ友も含めて。Photo: Joe Haeberle
2017年、デニコラは仕事を辞め、私財のほとんどを売り払い、ネパール一周のトレッキングを含む、2年間の世界旅行に出た。いろいろな郷土料理に触れることで、生活のためにパンを焼く気になったのかと僕は質問したが、またしても外れ。「何のプランもなかったし、泊まるところもなかった。人と出会い、彼らのために食事を作り、1晩か2晩、寝る場所を提供してもらったんだ。料理を作ったり、パンを焼いたりすることは、人と出会う手段だと思った。パンは友だちを作るツールだと分かったんだ」
カリフォルニアに戻り、デニコラは、バイオテクノロジーではなくパンを、自分にとってのコミュニティ作りの手段にすると決心した。さらに、自分がベーカリーを開業したい場所はサンフランシスコではないと判断した。「豪勢な食べ物があるし、大きすぎて、物価が高すぎる」友人を訪ねるためにカリフォルニア州セントラルコーストのサン・ルイス・オビスポに旅行したデニコラは、そのままそこに住みついてしまった。「ほどよく小さく、でも僕の夢を支える大きさはあった」と彼は言う。「それに、既にしっかりしたコミュニティがあった」
最初、デニコラは自宅のオーブンで一度に4個のパンを焼いていたが、やがてあるベーカリー内に共用スペースを借りるようになった。けれどそこには客やコミュニティとのつながりが欠けていた。ある友人が、サン・ルイス・オビスポで人気のサイクリングロードに小さなスタンドを開けば、そこでパンを売り、人々と知り合いになれると提案した。さらに、デニコラがとても楽しそうに客と会話しているのを見た友人は、トレーラー付きの自転車でパンを配達してはどうかと提案した。デニコラはすばらしいアイデアだと思った。「自転車も人と出会うツールだ」と彼は言う。「自転車に乗れるのなら、乗らない手はない」こうしてBread Bikeは誕生した。

左:ローリー・アロンソンは開業当初からデニコラを手伝っている。「毎週このパンを食べるよ」Bread Bikeの誕生前からローリーはデニコラにそう言っていた。「間違いなく、そういう人々がほかにも大勢いるよ」
右:デニコラの配達ルートからはサン・ルイス・オビスポが見渡せる。そこには、パンと会話で地域社会をつなごうという彼の壮大なビジョンがある。Photo: Joe Haeberle
現在、デニコラのCSB(コミュニティ・サポーテッド・ベーカリー)の顧客登録は、30人から250人に拡大し、彼は6人のメンバーと協力して1日100個以上パンを焼き、配達している。デニコラの配達指示は「ゆっくり。親切に。楽しく。人々と話す時間をとること」この急成長はビジネスパートナーのマライア・グレイディとマット・ガマラがいなければ不可能だったと彼は言う。2人とも熟練のパン職人だ。「2人とも僕よりも優れたパン職人だ。マライアはパンを焼いて、その出来ばえを人に見せることにウキウキしながら目覚めるんだよ。彼女とマットは、ここで育ち、2人とも地元でパン作りをするのが夢だった」
“「パンは友だちを作るツールだ」サム・デニコラ ”
パンデミックの影響でビジネスが停滞しているかと聞いてみたが、3度目の外れ。顧客によってはパンの配達が数少ない人との接点であり、会話の機会になると彼は言った。「玄関前にパンを置き、ドアをノックし、距離を保って会話する。内容はたいていパンとは関係ないよ。とにかくつながること、そこがポイントなんだ!」

パンだけではない豊富な品ぞろえ:2020年4月にデニコラとパートナーを組んで以来、マライア・グレイディは美味しいペストリー、クッキー、スコーン、バゲット、そしてもちろん素朴でゴロンとした形のサワードウブレッドによって、Bread Bikeのビジネスを4倍に拡大した。2人はデニコラの故郷に近い、カリフォルニア州ソノマ郡で出会った。ベーカリーで働いていたグレイディは、故郷のサン・ルイス・オビスポに引っ越し、そこでベーカリーを開きたいと彼に夢を語った。Photo: Joe Haeberle
Bread BikeのCSBの背後にある理念は、CSA(地域支援型農業)の宅配サービスに影響を受けている。遠隔地から化石燃料を使用して輸送される産品を購入するのではなく、顧客と農家がお互いの顔を知る関係性。顧客が作物がどのように育てられたか、地元の農家が直面する季節的な課題は何かなど、食料に対する理解を深め、顧客をその土地に紐付ける。オーガニック100%のカリフォルニア産小麦を使用し、人力でパンを配達するBread Bikeは(サン・ルイス・オビスポの爽やかな潮風に二酸化炭素を排出せず)より多くの人々に健康的なな食料品を届けている。
パンを中心にコミュニティを作るというデニコラのビジョンは、顧客や従業員だけにとどまらない。彼は地元の農家や製粉業者を巻き込み、地域の穀物経済を再活性化しようとしており、最近ではバーモント州から製粉機を取り寄せた。穀物や製粉は、Bread Bikeに原料を供給するだけでなく、セントラルコーストの農家、パン職人、シェフも支えている。
デニコラはしばらく黙っていた。次は何を聞かれるか、僕の最後の質問を予想しているみたいだった。「旅をしていた頃、あるビジョンがあった」と彼は言う。「ある感覚を生み出したいことは分かっていたけれど、それが何であるかを説明できなかった。何年も探し続けてやっと手に入れたよ。僕は公園にいるような感覚のビジネスを作りたかったんだ。公園はとてつもなく懐が深い。若者、年寄り、家族、個人、どんなバックグラウンドもウェルカムだ。人々はそこに回遊し、交流できる」
4月、デニコラはサン・ルイス・オビスポ地区と繁華街の間にある完璧な立地の商業地の契約書に署名した。「いい感じになりそう」と彼は5月7日付のInstagramに投稿している。「とびきり美味しいパンを焼くよ。たぶん惣菜も。ピザも時々焼くから、絶対に食べてよ。今度はお客さんが自転車をこいで来てね。(でも今後もご要望があればいつでも自転車で伺います!)」デニコラの父が、建設業という職業柄、ベーカリーが予定どおり2021年9月の開店までに竣工するようにサポートしている。そして設計者はと言うと ―― パンのために働けて満足である。

デニコラが早起きする理由。パンは、コミュニティと同じように、自然な材料に温かさや愛を加える魔法から生まれる。Photo: Joe Haeberle