風景に溶ける日々
先達と一緒に作ったロッドで渓流に入り、移りゆく岩手の風景を全身で感じる。 仕事も暮らしも24時間フライフィッシングとともにある。
全ての写真:平野 太呂
初めてフライフィッシングのロッドを振ったのは、裏丹沢だった。山深い渓流を利用して作られた管理釣り場で、永井尚子さんはその後の釣り人生でもほとんど出会うことのない風景を目にする。カゲロウが一斉に孵化し、まるで雪のように降り注いでいたという。いわゆるスーパーハッチに遭遇し、「今から振り返ってみると、あの風景は、釣りの神様に迎え入れられたように思うんです」と笑った。
岩手県紫波町、フライフィッシング・ロッド製作を行う「カムパネラ」で、永井さんは働いている。代表の石川寛樹さんがカーボンやグラス素材を芯棒に巻き付けて、硬さ、しなり具合、さまざまな要素を調整しながらブランクと呼ばれるロッドの本体を製作する。永井さんは、フライラインを通すガイドやコルクの持ち手などをブランクに取り付けていく。石川さんにアルバイトに誘われた時には「巻き子さんしない?」と言われたそう。フライラインを通すガイドはミシン糸を隙間なく巻き付けて、結び目もなく固定する。2018年にカムパネラを手伝い始めてからまだわずか数年しか経っていないのに、その手つきの滑らかさにフライフィッシングに通じる繊細さを感じる。
東京で暮らしていた永井さんが岩手への移住を決めたのは、2011年、東日本大震災がきっかけだった。東京では「何かの仕組みがちょっと壊れただけで、すごく影響を受けてしまう」と移住先を考え、頭に浮かんだのが、以前に訪れた岩手の風景だった。
「2008年だったと思います。当時は自然食品店で働いていて、そこで知った岩手の自然学校の収穫祭に遊びに行ったんです。10月の下旬くらい。本当にびっくりするくらい岩手の秋が綺麗だった。カラマツ林が紅葉して一面が金色になっていて、卵型の古いトンネルをいくつも抜けていくと細い道をトラクターで思いっきり塞いでいるおばあちゃんがいて、後ろからノロノロとついていって。その時、このスピードが許されるなんて、なんていいところなんだろうと思ったんですよね」
西や南へと移住した人が多かったあの時期に、震源地に近い岩手を選ぶほど、その風景は強烈だった。ホテル勤務、二戸での地域おこし協力隊、さらに紫波町でも同じく協力隊に従事してトレイルランニング大会の企画運営などを行い、その合間に「カムパネラ」に顔を出すようになっていった。子育てのために中断していたフライフィッシングを再開し、源流キャンプにも参加するようになる。アルバイトとして週に一度手伝っていた「巻き子」の仕事に、協力隊の任期が終わるタイミングで本格的に取り組むようになった。
「カムパネラの仕事は、すごく面白いんです。こんなに面白い仕事は、他にないかもしれない。元々モノづくりが好きということもあるんですが、私は好きな世界と自分の仕事が一致していないと楽しいと思えないみたいで、その感覚をギュッと凝縮した感じなんですね。みなさん好きな世界に、どっぷり浸かりたいから。どんなロッドにするか相談をしているお客様から『寝ながら考えたんですけど!』って電話がかかってきたりして(笑)。私なんてまだ新参者で、お客様から昔の話を聞いたり、いろいろな理由で釣りを引退される方からフライのマテリアルをいただいたり。釣りを経由して、同じ風景を見ている方たちと交流するのは、すごく面白いです」
「同じ風景」とは、単に渓流の景色を指すわけではない。岩手は日本のフライフィッシング文化において重要な土地であり、永井さんは紡がれてきた物語を受け取り、次の世代へと渡していく担い手となっているのだろう。脈々と続く流れに少しずつ身を浸している感覚かもしれない。かつて日本の民俗学の祖とも言われる柳田国男が『遠野物語』で書き記したように、今も岩手には心に訴えかけてくる原風景が残されていて、永井さんの毎日はそこに溶け込んでいくようなもの。岩手には、生涯をかけてもまわりきれないほどの渓流があるという。
明日の釣り場の相談をしていると、工房の目前を流れる側溝の溜まりに尺山女が棲みついているという。三面護岸に尺山女。覗いてみるも見当たらないが、その側溝は小さな川へと繋がっていて、澄んだ水が流れている。河原に立って永井さんは、「あの辺に私の家があるんです」と指を差す。工房から歩いてわずか5分足らず。遊びと仕事が近いだけでなく、仕事と生活も近い。「どうせならば24時間辻褄が合っている方が、自分的にはスッキリするっていうか。仕事のためにもなって、遊びのためにもなって。そういう生き方が性に合っているんだと思う」と言う。工房からすぐの広場で出来上がったばかりのロッドを振って感触を確かめ、街を流れる川の水量を見て、明日の釣りを思う生活。渓流に入った時がスタートではなく、その遥か手前から釣りは始まっていて、フライロッドを作る仕事をしている永井さんにとっては、釣りの始まりと終わりの境目はもはや存在しない。
強風の予報でどこに釣りに行くか悩んだが、永井さんの釣りの導き手でもあるカムパネラ代表の石川さんが遠野へと連れて行ってくれた。遠野に暮らして酪農を手伝いながら釣りをしていた石川さんの経験は確かで、入渓するとほとんど風を感じない。釣りと暮らしが完全に一致して長く経つ石川さんは、釣りをしない釣りもまた楽しめるという。本人は決してそのように言葉にはしないが、石川さんと話していると「フライフィッシングは生き方である」と感じてしまう。飄々としながら、あっという間に岩魚を見つけ出す。まるで渓流に棲みついた精霊(妖怪?)のようなものに見えてくる。そして永井さんもまた、フライフィッシングの深淵な世界に人生を捧げることになるのだろう。流れに身を任せて辿り着いた先が岩手の渓流ならば、なんと幸せなことか。
先達が巻いたブランクに、自らガイドを固定したロッドを振って、岩魚を狙う永井さん。未舗装路の手前には民家もあり、人の暮らしからそれほど離れていないが、風の強い平日のせいもあって我々の他には誰もいない。永井さんは時間をかけて準備をし、丁寧にフライを取り替え、自分の釣りに集中している。穏やかに、時にお転婆に明るく話す彼女は、水と岩と魚だけの世界でロッドを振ることができる人だった。風が変わったり、魚をかけたり逃したり、ふとしたタイミングでその没入が途切れ、顔を上げるとそこに「風景」が広がっている。
「広葉樹は落葉して茶色の風景の中に針葉樹だけが緑で、だけど桜はちらほらと咲き始めている。黄砂の影響もあるのか、今年は特に霞んでいて、それもまた春を感じます。もう少し季節が進むと新緑が眩しくて、夏になるとその緑が咽せるように濃くなっていく。6月初めには繁殖力が強いから農家さんには嫌われているハリエンジュ、ニセアカシアが川沿いを真っ白に染めたり、8月には山の紫陽花が咲いて一面を香りで満たしたり、花の風景も素敵です。毎年、その季節ごとに本物を見せてもらえる。秋には大きい山女が産卵のために上がってきて、そのシーズンには青空に一面の鱗雲が出て、空気も澄んでいるから、青空をバックにした山女に『あなた、素敵ねえ』と言いたくなってしまうほど(笑)」
しばらくして緩やかな流れから岩魚を釣り上げ、ホッとした顔を見せた。それほど大きくはない岩魚は、けれどとても美しく、その川の特徴である白い川砂の影響からか、ほんのりと白さを帯びたようだった。当然のことながら川によって同じ魚種でも違いがあり、その環境に染まるようにして特徴が育まれていく。永井さんたちは、今日はどんな子に会いに行こうかと考えながら、渓流を選ぶという。その話を聞きながら、釣っている人間も同じだと思った。毎週末、渓流に入る度に少しずつ「風景」の一部になり、その日々が物語のように紡がれていく。永井さんもまた、岩手の渓流に棲みついた精霊のようなものに少しずつ近づいていく。