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クリーンクライミングを復活させる

マイリー・フン  /  2022年3月8日  /  読み終えるまで15分  /  クライミング

いまから50年前、イヴォン・シュイナードとトム・フロストとダグ・ロビンソン は自立、抑制、岩への敬意を強調するクライミングの倫理を提唱しました。 2022年、それはこれまで以上に必要とされています。

トゥトカヌラ(エル・キャピタン)にかかる雲。私たちは、カリフォルニア州でヨセミテ国立公園とも呼ばれているこの土地を、過去と現在と未来を通して永遠に 守りつづける始祖に感謝を捧げます。クライマーとして私たちは謙虚と尊敬の念をもってルートのひとつひとつに臨みます。これにはこうした土地が多くの先住民族に とって祖先の未譲渡の故郷や交易路や戦場であったことの認識を含みます。モノ・レイク・クゼディカ族、ビショップ・パイユート族、サザン・シエラ・ミウォック・ ネーション、チャックチャンシー・インディアン系ピカユン・ランチェリア、ブリッジポート・インディアン・コロニー、カリフォルニア・モノ・インディアン系ノースフォーク・ランチェリア、ミウォック・インディアン系トゥオルミ・バンドなどは、私たちがいまもその物語について理解を深めようとしている人びとです。 Austin Siadak

「完全な失敗だった」

1970年代初期、シュイナード・イクイップメントはそのカタログ上で、岩を守るために抑制を呼びかけるクライミングの新たな形を提唱しました。イヴォン・シュイナードと仲間たちは、必要とあらばルートを登るために力ずくで押し切るのではなく、優れたスタイルで登ることが重要であると論じました。彼らはそれを「クリーンクライミング」と名づけました。実質的に言えば、ピトンのように岩を強打するギアを、岩への損傷が少なく容易に回収できるチョックやヘックスなど新種のプロテクションに置き換えるというものでした。しかしクリーンクライミングが求めたさらに野心的な目的は、クライマーがギアではなく、自分の判断力と技量を頼りとし、岩に登攀の痕跡を残さないという倫理を奨励することでした。アメリカとヨーロッパで同時期に出現したクリーンクライミングは、間もなくクライマーがルートを守る方法を変えました。しかしその運動がどのような効果をもたらしたかを尋ねると、今日のシュイナードはきっぱりと答えます。「唯一のふさわしい答えはゼロ、だ」

クリーンクライミングを復活させる

花崗岩の荒海へと乗り出すスコット・ベネット。カリフォルニア州ヨセミテ国立公園。写真:Eliza Earle

シュイナードの言わんとすることは明らかです。登攀の痕跡を残さないのがクリーンクライミングの目的だとすれば、現代の岩場はその理想からかけ離れています。クライマーがハンマーやノミを手にしているのが見つかれば、もちろんソーシャルメディアやアウトドア関連のメディアで激しく叱責されるでしょう。しかし人気の岩場やボルダリングエリアに行くと、クライマーがローインパクトであるとは、とても言えません。人気の高いルートにはチョークの染みが散在しています(シュイナードはこれを「お手本どおりに塗られたペンキ」と呼びます)。岩の上にぶら下がっている邪魔な木の枝は後日にはなくなっており、木そのものが姿を消すことさえあります。無知なクライマーは、先住民にとって神聖なペトログリフや奇岩の上にボルトを設置したり、彼らの祖先が使っていた岩の穴を踏みつけたり、繊細な砂漠の植物の上でクラッシュパッドを引きずったりします。クリーンクライミングが本当に今日のクライミングの主流であるとすれば、いかなるアウトドアのイベントでも岩場の清掃日を設ける必要はないはずで、ヨセミテの清掃イベント「ヨセミテ・フェイスリフト」で総重量数百キロものゴミや放棄されたクライミング用ギアを回収する必要もないでしょう。

クリーンクライミングを復活させる

タダ乗り不可能な「フリーライダー」の途中で、次のセクションにとりかかる前にひと息入れるケイト・ラザフォードとマデリーン・ ソーキン。カリフォルニア州ヨセミテ国立公園。写真:Mikey Schaefer

その一方で、クリーンクライミングによる良い影響も明らかに見られます。クライマーはつねに理想にしたがって行動しているとは言いきれないものの、ボルトの使用の有無や、浮石や安定していない岩の処理、どれほどの「庭掃除」を容認するかなどの論議がつづいているにもかかわらず、「リーブノートレイス」の原則をおおむね身につけています。昨今ではギアをわざと残置するクライマーはおらず、またクライマーの圧倒的多数はピトンを使ったこともなければ、今後使うこともないでしょう。かつての主要なプロテクションの流儀はアルピニズムの端に、当時のボルトは博物館の展示ケースに追いやられました。ピトンを暗い過去の遺品であるとみなす大半のクライマーは、回収可能なプロテクションのおかげで明白なアドバンテージを得ます。

ではなぜシュイナードは、クリーンクライミングは完全な失敗だったと断言するのでしょうか。

クリーンクライミングを復活させる

ヨセミテ国立公園で見られるピンスカー(ピトンの打ち跡)。次のクライマーにルートの難度を維持するためピトンは回収されたが、それは取りかえしのつかないダメージを残した。写真:Dean Fidelman

クリーンクライミングの影響――あるいは失敗――の意義をより深く探るために、アメリカのロッククライミングの黄金時代である1950年代と1960年代を振りかえってみましょう。当時有能で大胆だったクライマーは、戦後の大量消費主義の激しい競争社会から抜け出し、森や岩の聖堂のなかで生活費を切り詰めて質素に、そして準合法的に暮らしはじめました。こうした先駆者たちはより傾斜のきつい、より切り立った岩壁を登るようになりました。しかし急斜面に挑む技術が進化する一方、登攀用具はほぼ変わらず、当時のクライマーのラックには墜落に備えて岩に打ち込む金属製ピトンが何キロも装備されていました。ヨセミテ・バレーをはじめとするさまざまな岩場の倫理において、これらのピトンはのちのクライマーにルートの難度を維持するため回収されます。数十年間つづいたこの方法は全米、とくにヨセミテ・バレーのいたるところで、岩のクラックに無数のピンスカー(ピトンの打ち跡)を残しました。おそらく最も悪名高いピンスカーはセレニティ・クラックの最初のピッチで、ピッチ全体に開けられた不規則な一連の穴が、いまでもはっきりと目に見えます。このルートの写真は1970年代初期に流布され、カメラが捉えたひどい自動車事故の余波のように、クライミングのコミュニティに広まりました。何かをしなければなりませんでした。

クリーンクライミングを復活させる

「パッセージ・トゥ・フリーダム」の23ピッチ目の「簡単な」箇所を片づけるトミー・コールドウェル。 カリフォルニア州ヨセミテ国立公園。写真:Austin Siadak

シュイナードは1957年以来独自のピトンを鍛造していました。1970年頃には彼の会社「シュイナード・イクイップメント」はアメリカでもトップのクライミング用具メーカーとなり、なかでもピトンは群を抜いたベストセラー製品でした。しかし1972年、シュイナードとビジネスパートナーのトム・フロストはシュイナード・イクイップメントのカタログの冒頭に、ピトンの使用中止を呼びかけるエッセイを掲載しました。「山には限界がある」とシュイナードとフロストは書きました。「一見壮大なその容貌にかかわらず、山は傷つきやすい」と。そしてそのあとにつづくダグ・ロビンソンの14ページにわたる記事には、クリーンクライミングの手ほどきと声明が綴られていました。

クライミングの核を成すポイントは、自分自身と自然とのより深い交わりであり、また未来のクライマーのために岩の環境と挑戦を守ることだと論じ、「我々自身と未来のクライマーがクライミング体験を確保する唯一の方法は、第一に垂直の野生地を、第二に体験に内在する冒険を守ることである、と我々は信じている」と説明しました。自分の力だけで、そして岩を傷つけることなくルートを登ることができないのなら、それに見合った技量を身につけるまで登るべきではない、また山と岩壁は征服するための場所ではなく、敬意をもって臨むべき場所であると、クリーンクライミングは強く唱えました。新たなプロテクションへの移行はこの見解を支え、「ナッツを1つ設置するために、まずはクラックの形について考えることからはじめなければならない。クリーンクライミングは何よりもまず、岩の環境に対する深い認識を要する」と、ロビンソンは書きました。

ナッツやチョックの人気が高まる前は、クライマーがギアがルートを登るのを助けると期待するのは当然のことでした。クリーンクライミングでは、ギアは墜落を止めるためのプロテクションとしてのみ使われるべきで、クライマーの技術と強さと意識が彼らを成長させると強調しました。これが「フリー」クライミングであり、その概念はクリーンクライミング運動の前に存在したものの、それをクライミングの一種のスタイルからスタイルそのものに押し上げたのはクリーンクライミングでした。

シュイナードと彼の仲間たちは、クリーンクライミングは、倫理的にも実際的にも媒介された体験の可能性を取り除くことにより、自然界に臨む自立や大胆なビジョン、そして謙虚さがふたたび中心に置かれることを当然期待しました。しかし結果は異なりました。クリーンクライミングは、公平な登攀を構成する新たな領域を描くことには成功しましたが、破壊的なギアを消滅させることには成功しませんでした。ある点で、クリーンクライミングはそれ自体の成功の犠牲となりました。

回収可能なプロテクションへの移行は多くの人にとって、より技巧的で、より動的で、おそらくはより面白いクライミングという、あまりに明確で否定しようのないスポーツ上の利点につながりました。クライマーはプロテクションを打ち込むことを考える代わりに、ムーブを優先することができます。そしてプロテクションをまったく使わなくて良いのなら、スポーツクライミングのように、ムーブをさらに分離させることができます。

1924年から1936年のあいだに開催されたオリンピックではアルピニズムにも金メダルが(数名には死後に)授与されたものの、国際オリンピック委員会は1946年にそのようなマウンテニアリングにおける功績の認定を止める決定を下しました。この無定見なレガシーとはまったく対照的に、2020年のオリンピックで遂げられたスポーツクライミングのデビューは、スポーツクライミングはたんに「スポーツ」でしかないというシュイナードの見解を裏づけるものでした。より運動競技らしいかもしれませんが、変化する自然環境と組み合うことは要求されず、クリーンクライミングをクリーンクライミングたらしめる、真のリスクに欠けています。

クリーンクライミングを復活させる

次のホールドはどこにあるのか? チョークの跡でいっぱいのこのような人気のルートでは、想像力がかき立てられることはあまりない。だからこそ他のクライマーに自分で試行錯誤 する挑戦を与えるため、いたずら好きの輩は間違ったホールドにチョークをつけるのだ。オレゴン州スミス・ロック州立公園。写真:Austin Siadak

もちろん相対的な安全性とコントロールは、ハードなクライミングの肉体的な限界を押し広げるうえで不可欠です。大胆で勇敢なオンサイトのフリー登攀はクライミングの功績の頂点にありつづけるものの、その成功はクライマー自身がもつ能力の頂点で達成されるわけではありません。最高グレードに達するために要求されるのは、正確さ、厳しいトレーニング、非常に細かく調整された食生活などで、ルートのシークエンスを自分で見つける無駄な時間やエネルギーは、インターネットの映像が節約してくれます。ホールドはきれいに磨かれ、ムーブはトップロープで予行演習されます。グレードを追い求めるクライマーは誰もが分析家であり、完登の可能性を高めるためにできるかぎりの不確定要素を取り除きます。最も称賛されるフリーソロでさえ、執拗な調査やトレーニング、ギアを使った予行演習のあとに実践されます。一部のクライマーにとって、「クリーン」とは、クライマーと岩のコンテストでクライミングの本質を抜き出すことです。これは、未知のものを受け入れるのではなく取り除くことによって解決される最大の挑戦です。クライミングの冒険的要素やそれを定義する環境の重要性は脇に追いやられます。真の冒険は効率的ではないからです。

十分に予行演習され、厳しく管理されたスポーツクライミングが、クリーンクライミング運動のおもな成果であることは理にかなっています。ロビンソンによると、クリーンクライミングを受け入れたクライマーのうち、それが正しい行動であるからと考えた人は少なかったそうです。「道徳的な要請はある程度の動機にはなる」と、ロビンソンは言います。「しかし何よりもやる気を起こさせるのは興奮だ。クリーンクライミングは絶好の挑戦だった。リードで脚を震わせているときにナッツが足元で抜け落ちるかもしれないというスリル。俺たちにできるか?達成は可能か?最初は誰にもわからなかった」

しかし現在のクリーンクライミングの本質が、50年前のクリーンクライミングの理想に合っているか試すと、論点がずれます。人間のあらゆる過ちを考慮に入れたとしても、現代のクライミングの精神は開放的で、クライミングを愛する人なら誰でもクライマーであるとすばやく認めて、受け入れる傾向にあります。クライミングのコミュニティのこの温かい雰囲気を称賛するならば、本質を求めて命を懸けることが唯一価値あるクライミングの形式であるとは主張できません。今日のクリーンクライミングの本当の意味は私たちがクライミングから何を得たいのか、何を得るべきかを分析する挑戦です。それはクライマーに、ときに利己的で孤独な傾向をもつこのスポーツが他者にも影響を与えるということを、そして成功への欲望だけに焦点をおくのではなく、挑戦に直面することでさらに意義深い体験が見つかることを思い出させます。

クリーンクライミングはたんに抽象的な議論ではなく、その倫理と指針は一直線上にあります。1998年に『アメリカン・アルパイン・ジャーナル』誌は、ヨセミテのロッククライミングの未来に関するクリス・マクナマラのエッセイを掲載しました。マクナマラは「1972年にダグ・ロビンソンがシュイナードのカタログで紹介して以降、クリーンクライミングは正しい選択となり、それはいまも変わらない。むしろ、クライミングを持続させたければ、それはますます必要不可欠な選択となっている」と述べました。マクナマラのこの主張は、現在とくに真実味を帯びています。2021年5月、国立公園局はヨセミテでの泊まりがけのクライミングにバックカントリー許可書取得の義務化を開始しました。これはクライミングエリアを管理するレンジャーたちが何年も毎日のように直面してきた、ゴミや放棄されたギアへの直接的な対応です。岩場の利用方法や環境への配慮は直結するものであり、それは自然のなかでクライミングをするためだけでなく、より広範に適用されるべきなのです。

クリーンクライミングを復活させる

クリーンクライミングで汚れる場面。「ブラック・クラック」でハンドスタックをがっちりキメるバーチ・マロッキー。ニューハンプシャー州ノース・コンウェイ。写真:Brent Doscher

ベトナム戦争、ストーンウォールの反乱、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺、第二波フェミニズム、リチャード・ニクソン大統領の(つかの間の)再選など、1972年はさまざまな政治的、文化的激変がありました。そしてシュイナードやロビンソンら自称「ダートバッグ」たちは、そうした社会から身を引くことを選びました。「何かに抵抗していたわけではなく、ただ自分の人生を生きていただけ」とシュイナードは言います。しかし他の人にとっては、たんに自分の人生を生きることは当時もいまも抵抗のひとつの形であり、そこから身を引くことは選択肢ではありません。社会への順応を拒否した結果は、地域や個人によって根本的に異なります。シュイナードが言うとおり、拒否と抵抗は異なります。しかし拒否する自由をもつ私たちにとって、クリーンクライミングを選択することは、シュイナードや彼の仲間の立場で考える機会であり、それをより広い世界に向ける機会です。

クリーンクライミングは私たちが環境を傷つけたり、他のクライマーの体験を損ねたりする行為を止めることができます。しかも止めることにより、皆にとってさらに良い方法を見つけることができると教えてくれます。クリーンクライミングは他者への思いやりと他者に与える自分たちの影響を考慮するという、昔ながらの知恵の新たな形です。ロビンソンがエッセイに書いたように、「クリーンクライミングを実践する最善の方法は、クライミングそのものをゼロから学び直すこと」です。

クリーンクライミングを復活させる

エル・キャピタンの「ザ・ノーズ」を照らす、この日最初の光。カリフォルニア州ヨセミテ国立公園。写真:Drew Smith

クリーンクライミングは悪影響を減らすことです。悪影響を減らすことは人目を引く魅力的なことではなく、現実を受け入れることです。そして現実を受け入れることは、それ自体が失敗を認めることであるとみなす人もいます。しかし私たちが触れるものすべてに私たちの痕跡が残るのは、根本的な事実です。クリーンクライミングはこの現実を受け入れ、自分たちが背後に残す跡を意識するよう訴えます。先住民族の人たちがつねに理解していたように、そして遅ればせながら私たちも学んだように、すべての生命と場所は、神聖でも不敬でも、都会でも野生でも、つながっています。一方に背を向けるということは、もう一方に背を向けることを意味します。

すべての運動と同様に、「クリーンクライミング」は動作を表す言葉であり、実行し、改善し、ふたたび全力を傾ける必要がある実践です。クリーンクライミングは自我に直面してそれを抑制し、自然に直面してそれに謙虚になり、世界を征服するのではなく、自己を克服するために努力することを意味しています。こうした考えは私たちをかき立て、地球を救うという大きな挑戦に直面する私たちに必要な興奮です。失敗できない場所がひとつあるとすれば、それはここにあります。私たちにそれができるでしょうか?達成は可能でしょうか?いまのところ、誰にもわかりません。それを見つける方法はひとつしかありません。

クリーンクライミングを復活させる

「アローヘッド・アレート」の最後の垂直のピッチに臨むノエル・コックニーとブレット・キャロル。マーク・パウエルとビル・フューラーはこれを1956 年にオールフリーで初登し、クライミングの未来の可能性をほのめかした。ヨセミテ国立公園。写真:Eric Bissell

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